岩殿山城(いわどのやまじょう)

岩殿山城の基本情報

通称・別名

岩殿城

所在地

山梨県大月市賑岡町

旧国名

甲斐国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

小山田氏

築城年

享禄2年(1529)頃

主な改修者

主な城主

小山田氏

廃城年

17世紀前期

遺構

曲輪、横堀(空堀)

指定文化財

県史跡(岩殿城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

勝山城(山梨県都留市)[8.6km]
谷村城(山梨県都留市)[8.7km]
上野原城(山梨県上野原市)[14.4km]
小菅城(山梨県北都留郡)[15.6km]
奥牧野城(神奈川県相模原市)[16.5km]
御坂城(山梨県南都留郡)[18.2km]
勝沼氏館(山梨県甲州市)[20.1km]
檜原城(東京都西多摩郡)[21.0km]
於曾屋敷(山梨県甲州市)[21.6km]
中川城(神奈川県足柄上郡)[22.8km]

岩殿山城の解説文



岩殿山城(いわどのやまじょう)は、山梨県大月市賑岡町にあった日本の城。標高634メートルの岩殿山に築かれた山城。

甲斐国都留郡の国衆小山田氏の居城とされ、戦国時代には東国の城郭の中でも屈指の堅固さを持っていたことで知られた。山梨県指定史跡(指定名称は「岩殿城跡」)[1]

概要 

岩殿山

相模川水系の桂川と葛野川とが合流する地点の西側に位置する。頂上の南側直下は鏡岩と呼ばれる礫岩が露出した約150メートルの高さの崖で、狭い平坦地を挟んで、さらに急角度で桂川まで落ち込んでいる。大月市街地からも近く、大月駅からも間近にその姿を眺めることができる。

山頂までは大月駅から徒歩で約1時間[2]。山頂からは富士山が望め、山梨百名山、秀麗富嶽十二景、関東の富士見百景にも選定されている。

山の南側と桂川の間の狭い場所に中央自動車道が通っている。1972年2月末頃には岩殿山で大規模な地滑りが発生、同年3月21日から中央自動車道の相模湖インターチェンジと大月インターチェンジの間が全面通行止めとなった。仮インターチェンジを設けるなどした後、7月22日に通行止めが解除されるまで、通行止めは123日間に及んだ。

沿革

江戸時代後期の文化年間成立の『甲斐国志』に拠れば、岩殿山には大同元年(806年)開創と伝わる天台宗寺院の円通寺が存在し、円通寺は岩殿山の南東麓に観音堂や三重塔、新宮などの伽藍が配され、「岩殿権現」「七社権現(明神)」と呼ばれた。13世紀に入ると天台系聖護院末の修験道の場として栄えている。

16世紀になって大名の領国支配制が成立すると、郡内地方は甲斐守護・武田や郡内領の国衆・小山田氏の支配を受けるようになった。

岩殿山城の築城時期は不明であるが、『甲斐国志』では小山田氏の本拠である谷村館(都留市谷村)の詰城説を取っている。『甲斐国志』に先立つ天明3年(1783年)の萩原元克『甲斐名勝志』でも同様の見解が取られており、江戸後期には小山田氏による要害説が認識されていたと考えられている。一方で、近年は岩殿山城を谷村館の詰城とするには距離が離れすぎていることから、武田氏による相模との境目の城として築かれたとする説もある。

甲州街道の通過する大月は武蔵国など関東地方へ至る街道が交差する地点に位置し、甲府盆地と異なる地域的まとまりをもっていた。小山田氏は初め武田氏に対抗していたが、永正6年(1509年)に武田氏に敗北すると、武田氏の傘下に入った。その後は武田氏が相模の北条氏や駿河の今川氏と争い、相模・武蔵と接する郡内領は軍事的拠点となり、岩殿山城は国境警備の役割を果たしていたと考えられている。

岩殿山城は東西に長い大きな岩山をそのまま城にしている。全方面が急峻で、南面は西から東までほとんどが絶壁を連ね、北面も急傾斜である。東西から接近できるが、それも厳しい隘路を通らなければならない。各種の防御施設が配されたが、天然の地形のせいで郭も通路も狭く、大きな施設の余地はなかった。周囲には集落や武家館が点在していたと考えられている。

『信長公記』『甲陽軍鑑』『甲乱記』によれば、天正10年(1582年)3月、織田信長・徳川家康連合軍の武田領侵攻に際して、武田家臣・小山田信茂は新府城(韮崎市中田町中條)から武田勝頼を岩殿山城へ迎えるが、勝頼一行が郡内領へ向かう途中で信茂は勝頼から離反し、勝頼一行は天目山(甲州市大和町)で自害した(天目山の戦い)。『』では信茂が勝頼に籠城を薦めた岩殿山城を「みつからか在所」と記している。小山田信茂は勝頼滅亡後に織田氏に出仕しているが、甲斐善光寺において信長の嫡子・信忠に処刑され、郡内小山田氏は滅亡する。

同年6月には本能寺の変により信長・信忠が死去し、甲斐・信濃の武田遺領を巡る「天正壬午の乱」が発生する。都留郡では本能寺の変が伝わると土豪や有力百姓などの「地衆」が蜂起し、甲斐国を統治していた織田家臣・河尻秀隆の家臣は追放された。こうした状況から、後北条氏では相模津久井城主・内藤綱秀が都留郡へ侵攻し、岩殿城を確保した。後北条氏はさらに都留郡一帯を制圧する。

天正壬午の乱において甲府盆地において三河国の徳川家康と北条氏直が対峙するが、徳川・北条同盟の成立により後北条氏は甲斐・郡内領から撤兵し、甲斐国は徳川家康が領した。江戸に武家政権を成立させた徳川家康は、幕府の緊急事態の際に甲府への退去を想定していたといわれ、江戸時代にも岩殿山城は要塞としての機能を保った。

乃木希典の詩碑

岩殿山の山頂には明治期の陸軍大将である乃木希典の詩碑がある。乃木が明治12年(1879年)に登頂した際のもの。

参考文献 

  • 『山梨県大月市岩殿山総合学術調査報告書 岩殿山の総合研究-県史跡岩殿山跡、旧円通寺跡及び岩殿山の自然-』大月市教育委員会・岩殿山総合学術調査会(https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/search/item/7316?all=%E5%B2%A9%E6%AE%BF)、1998年

関連画像 

外部サイト 

  • 全国遺跡報告総覧 奈良文化財研究所(https://sitereports.nabunken.go.jp/ja)
  • 「岩殿山城」を探究する(https://sanadada.com/3845/)

岩殿山城の口コミ情報

2025年04月09日 内記かずりヾ(・ε・。)
岩殿山城



さて、アプリも桜とお城のコラボ写真で盛り上がりを見せる中、波には乗るけど流れには乗らないおいらはストイックに山城を口コミしやす。おいらの城郭写真は全てが記録用、焦点がぼやけてしまう桜も紅葉も本来の目的から外れてしまうので必要無し。藪と格闘して傷だらけになりながら松くい虫防除のスミパイン乳剤の香りを愛でるのが山城好きの本来の姿、そんな訳でアプリの登録城、岩殿山城を再訪してみた。

全方位敵対を覚悟の上で全てのアプリユーザーに問いたい。めぐら〜のみんなが小さい頃になりたかった職業はお花屋さんじゃなくてお城屋さんだったんじゃないのかな?それが今じゃ46Tシャツを脱ぎ捨てて87Tシャツてか?運営さんもさぞかし嘆き悲しんでおられるわ…アントキの猪木…いや、あん時の気持ちを思い出そうぜ、果たして桜が好きなのかお城が好きなのかどっちなんだいっ!

岩殿山城は桂川北岸(左岸)、葛野川南岸(右岸)、両川の合流点を東方に控える、標高634mの岩殿山山頂部を中心に立地する要害です。北麓の岩殿山畑倉登山口からの比高は255m位でしょか。城跡としてよりも富士山眺望スポットのお山として有名、JR中央本線の車窓からもその突拍子も無い凄まじい山容を眺める事が出来る。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。利用出来るルートは浅利登山道と畑倉登山道、一般的だった強瀬登山道は崩落の為に現在は通行禁止となっている。ちなみにどちらを選ぶかについてだけど畑倉登山道にしとけ、単にリア攻めが目的なら浅利登山道を登る奴は最初から致命的なミスを犯していると思うぜ。

お城については登録城なんでアプリの城郭基本情報を参照してくらさい。奥ゆかしいおいらはそり以上の内容が無ければわざわざ書く事はしないのら。正直言えば甲斐については勉強中なんで…

小さい頃だから10年位前になるのかな。親父に連れて行ってもらったのが初訪問だ。キュートな天使だったおいらは、このお山が城跡だと確かに聞いて子供心に妙に納得した記憶がある。そんだけのパワーがこのお城にはあるのさ。

がっつりな山城好きの評価はあんまし良くないんだと思う。謂わゆる礫岩の露出した天険の要害地形をフル活用しているんでマニアが好む土の遺構が少ないのだ。それでも登山道の一部は段郭を縫って登るし、小郭を挟んだ連続堀切なんかもあったりする。普請しても出来る事は限られているとはいえ、山頂部の全てを使い切った連郭式の縄張には好感、そして何と言ってもお城としての全体像が要塞感に満ち溢れている。ちなみに最近のおいらは西端部に残る「築坂の堀切」には懐疑的、城域外を選んで開削された単なる切り通し(大手道は下畑倉から城山の西側に入った後に南側斜面を登る。)なんじゃないのかなと…堀切上に郭が設けられていないと思うんで守りの面で意味が無いと思うのさ。

そりにしても山上の桜が三分咲きだったのには救われた。おいら岩殿山に桜があるなんて全然知らんかったわ。今回の口コミでは畑倉登山道の様子を写真で紹介するつもりなんだけど、お山の下段では八分咲きぐらいで撮影の邪魔を見事にしてくれた。バックホウアタッチメントを装着したユンボで全てを薙ぎ倒したかったぜ。そんなDESTROY ALLの気持ち堪えて何とか皆さんにお山の様子を伝えらりる写真にはなったと思うんだけど…桜が写り込んでしまった物についてはお花を無視して見てくらさいな。

※アントキの猪木〜最近見ないけど大好きw鉄板芸は安心して楽しむ事が出来る。おいらは石浜祐太郎みたいな芸人の登場を常に求めている。

※畑倉登山道〜テンポ良くイケる登り易いルートだと思う。

2025年04月06日 ラッセル小弓公方外記
岩殿山ふれあいの館[岩殿山城  関連施設]

岩殿山の中腹にあり、中世の館を模して造られた。ここから先は、通行止めだった。

2025年04月06日 ラッセル小弓公方外記
猿橋[岩殿山城  寺社・史跡]

猿橋は、橋脚を使わず、両側から張り出した四層のはね木で支えられている珍しい構造の橋。

2024年11月30日 島耕作
岩殿山城



畑倉登城口から攻略しましたー落ち葉が多く滑り易く、気をつけてください最後の急坂は大変ですが、本丸攻略時の素晴らしい眺めで疲れが吹き飛びましたーおすすめです。

2024年10月14日 たけ宮内卿
岩殿山城



24年10月13日時点では、落石などもあり、畑倉登山道からしか登れませんでした途中粘土質の土もあり、滑りやすかったりと、注意が必要ですが、45分ほどで登頂眼下に桂川が流れ、遠く見渡せる、この場所が当時大切な要所だったことを、感じられる場所でした!すごくよい!

2023年08月18日 刑部大輔シエラ
岩殿山城



畑倉登山口に、車を止めてリア攻めしました。大変暑い日でした。山頂から稚児落としへ行き、畑倉登山口へ戻り約4時間くらいかかりました。岩か、崩落しているところもあるため、大月市のホームページで確認して下さい。岩殿山の全景は、ふれあいの館で撮りました。

2023年01月23日 徳賀Y絵康淡路守
岩殿山城

畑倉登山口から登りました。自動車教習所前というバス停が近くにあります(ただしバスの本数は少ないので注意)。徒歩約20分で本丸跡に着きます。曲輪、空堀がよく残っていて、説明板がところどころにあります。揚城戸の辺りは大きな岩がゴロゴロあり、この山は全体的に岩が多いように感じます。本丸跡から徒歩約2時間の場所にある「稚児落とし」は、落城時に城から脱出する途中、夫人が背負っていた子供が泣き出し、他の子供も泣き出してしまったために敵に発見されてしまいました。そして夫人は仕方なく子供達を現在の「稚児落とし」から落としたというそうです。まさに断崖絶壁になっていました。

2023年01月16日 いれぶん武蔵守
大月市郷土資料館[岩殿山城  関連施設]



所在地から猿橋に関する展示が充実していますが、岩殿山城に関する展示もあります。写真の他に出土品等も展示されています。特に驚いたのは『岩殿山の総合研究』を"ご自由にお持ち下さい"としている所で、これは実に充実した書籍ですので、お手に取っての閲覧をお勧めします。館内撮影は許可されています。入場料110円は安すぎると思いました。

2022年10月12日 左近衛少将軍曹
猿橋城山[岩殿山城  周辺城郭]

猿橋小学校西側の道の突き当りから登山道あり。
小さな神社までの道は明瞭。そこから3箇所ほどの岩登りを経て尾根へ。二の曲輪はきれいな平坦地で本曲輪には櫓台のような土塁あり。
南尾根は迷いやすく道も荒れているので来た道を引き返した。高い山ではないが上級者向き。名勝猿橋も近い。

2022年01月23日 eiki
駒橋御前山砦[岩殿山城  周辺城郭]



JR猿橋駅から約1時間の登山で到着。砦に近づくと尾根を削った堀切跡が2箇所確認できます。砦跡は絶壁の岩山でその周辺は平らに削られた郭の跡があります。人気のハイキングコースで展望も良好です。

2021年10月20日 カツ
岩殿山城

登山ルートが畑倉登山口しかなく、おすすめできないです。かなり滑ります。スニーカーで行ったのでかなりこけました。メインの揚城戸は見れず残念。恐らく、今後数年は見れないのかなぁ。

2021年04月05日 しげしげ主税頭信繁
岩殿山城



畑倉登山口から登城しました。前日までの雨の為地面が滑りやすく、この山特有の玉砂利が多く登城入り口にあった杖を持って正解でした。頂上付近まで行くと鎖が垂らしてあり助かります。主郭には電波塔が大部分を占領してました。これだけの規模の城址の割に城碑や説明板などなく、あっさりしてる印象でした。帰りの下り坂で慎重降りてたのですが3回足を滑らせ転けました。

2020年11月23日 葵尾張守
岩殿山城

秋の登城でしたが、急な坂道も多く落ち葉でかなり滑りやすいので登山用の靴が良いと思います。私は下りで2回程尻もちつきました(>_<)登山に慣れてない方は時間に余裕をもって登城される事をお勧めします。

大月駅前の観光案内所で4種類の御城印が販売されておりました。

2020年10月30日 蔵人頭ふみふみニャンコ
岩殿山城



昨年の台風で最短の強瀬ルートは崩落で通行止のまま。景色も良く絶壁の上(稚児落とし)を歩く浅利ルートで天神山を通って岩殿山へ。城を見て、畑倉登山口へ降るルートで城攻めしました。頂上での30分休憩も入れて大塚駅から駅に戻るまで5時間弱です。
稚児落としのある浅利ルートは、急傾斜の鎖場が数カ所あり、また熊も出没するので、登山装備での城攻めをオススメします。登山中級者向き。畑倉ルート往復ならば、岩場はないので初心者でも登城可能。
稚児落としはその名の由来が納得の断崖です。頂上には馬場跡がありますが、この断崖を騎馬で移動したとはにわかには信じられません。本当ならば素晴らしい乗馬技術です。
空堀や狼煙台、帯曲輪など一見して分かる遺構が残っています。
秀麗富嶽十二景に選ばれている山なので、空気の澄んだ晴天の時には素晴らしい眺望が広がります。

2020年04月13日 三ツ鱗▲如意成就
岩殿山城

コロナ災禍で、ふれあいの館は閉鎖。駐車場と、トイレとドリンク自販機のみ稼働。

2020年03月04日 内記かずりヾ(・ε・。)
岩殿山城



現在、岩殿山城は崩落によりお城の北側に登山道入口(駐車場付き。)がある畑倉ルートと西側の浅利ルートからしか山頂部には行けないです。

自宅から約45kmの場所にあるお城なんすけど、全く情報知らなくて現地に行って初めて気付きました。畑倉ルートを使って山頂部を目指し帰りは浅利ルートを使って下山しましたが、駐車場所から離れ過ぎてしまってタクシーを呼んで車を取りに行くはめに…

畑倉ルートは整備されていて割とすんなり山頂部に到達出来ます。子供さん連れても安心して登れるでしょう。帰りは自分、お城とは切っても切れない場所、稚児落としを見たくて浅利ルートを選択しました。簡易的な地図だと簡単に行ける感じですが、距離もある上にアップダウンもあって結構きついです。岩殿山から隣の天神山に行くぐらいの感覚でしたが、実際にはそこからも幾つかのピークを越えなければならず、断崖の鎖場もあったり(迂回ルートもある。)して、注意書きにあるとおり低山とは言え縦走する中級者以上向けのルートでしょう。稚児落としの谷だけでなく、断崖の上を結構歩かされるので時間にも注意して下さい。暗くなったらとても危険です。又、倒木や崩落箇所も多いので無駄な体力を消耗させてくれたりもします。

稚児落としの谷は実際にはお城とは何の関係も無いですし、お城の西側は築坂の堀切までが城域ですので、遺構だけを見るならちょっと面倒だけど此処から引き返すのが正解でしょう。下りて来た所をまた登るのは辛いですが、後からそんなのどうでもよくなる程の苦労が待ち受けています。

最もお城に行きやすい南側の丸山公園ルートが閉鎖されてるのが辛いところ…崩落箇所の修復はどうやら垂直の断崖部分らしいので、時間と労力、お金が必要になり数年は掛かる事でしょう。募金も受け付けてますので、岩殿山城ファンや断崖ファンは是非!ちなみに自分は小銭の持ち合わせが少なくて141円しか募金出来ませんでした。

2020年01月25日 国府左京大夫城介
岩殿山城



岩殿山城アクセスルートについて(R2.1.25)

大月駅~ふれあいの館~畑倉登山口~岩殿山城~稚児落し~浅利口~大月駅というルートで登城しました。
基本的なルートにあっては、大月観光協会の岩殿山のページ通りに進めば、大丈夫です。

上記サイトに載っていない情報を補足します。
畑倉登山口は、子供でも登れる程厳しくありませんが、土の為、天候次第ではぬかるみやすくなります。
岩殿山城の大手口である築坂を越え暫くすると、鎖場があります。写真のような場所なので、無理はしないでください。撤退するのも勇気です。
次の鎖場を迂回する林間道は、倒木の下を潜ったり、鎖場を下る必要もあります。
稚児落し周辺は、岩場になっています。雨が降れば、かなり滑りやすくなるかと思います。
浅利ルートは、岩場ばかりの上、倒木も多く、かなり歩きにくいです。

鎖場もあるので、軍手等は必須です。
また、雨が降った後や、風が強い日は避けた方がいいと思います。

以上が補足となります。
一応、全行程約3.5時間程で踏破できました。

2019年12月15日 信州左衛門佐克幸
岩殿山城



これ、重要です。(写真参照)
登山口には駐車スペースが10台くらいあります。

2019年12月02日 上田原合戦無名戦死左衛門尉
岩殿山城



事前に大月駅前の観光協会で情報収集。
災害の影響で南側の丸山公園を通るルートは通行止め(途中のふれあいの館までは通行可)。北側の畑倉登山口を案内されました。登山道のパンフレットが入手でき、駐車場についても案内してもらえます。他の登山道も山頂までは通行止めで開通は未定。登る前に観光協会で情報収集することをおすすめします。

登山道入口から本丸や展望所までは30~40分くらい。岩殿らしい岩場を登るコースではありませんが、所々ぬかるみや急斜面があるので慣れていないと中々キツい山道だと思います。次の日しっかり筋肉痛に(笑)

展望所からの眺めは素晴らしいです。南に富士山、90度真下は大月の市街地。高層ビルから下を覗き込んだ感覚で、高所恐怖症の方は怖いかもしれません。
お城の遺構は立ち入り禁止の区域も多くあまり確認できませんでしたが、本当に素晴らしい景色なので汗をかいて登る価値はあると思います。

観光案内所ではパンフレットの他、御城印と小山田信茂が描かれれたカードを入手できます。可愛いハートが描かれた袋に入れてもらいました(笑)

2019年05月27日 信州左衛門佐克幸
岩殿山城



山城の厳しさと優しさを感じた城。体力自慢の私の膝が笑ってました 「もう一回いく?」って聞かれたら本気で悩みます 泣

2019年04月12日 京急渡島守ドレミファ♫
岩殿山城

【アクセス】
JR大月駅⇔ふれあいの館⇔山頂が各々徒歩約30分。
ふれあいの館は展示等がある櫓風の建物です。
そこから山頂までは、結構キツい登山です。

【見所】
何と言っても富士山です!
城としての見所は揚城戸ぐらいでしょうか。

【その他】
桜と富士山の絶景を堪能しましたが、天気が悪い時は見所もなく、足元もかなり危ないでしょう。
駅の裏手辺りにある吉田屋のうどんがおススメです。

2018年03月18日 フー甲斐守
岩殿山城

岩殿山公園市営駐車場はまだ復旧工事中でした。登城口は道沿いに65m先にあります。本来の登城道は未だ修復中ですが、代替の道がふれあい館迄用意されています。また、ふれあい館から本丸迄は問題なく登れました(急峻ですが(笑))。遺跡に関して言うと、帯曲輪の辺りに山崩れがありました。今回は本丸より先並びに兜岩・大手門跡方面には時間の関係で行っていませんので様子は分かりません。ただ兜岩方面のルートは封鎖されてませんでしたので、いけるのかなと思いますが、事前にご確認される事をお勧めします。

2017年12月07日 えど
岩殿山城

災害により全面入山規制となっていた岩殿山ですが、迂回路の整備によって規制が一部解除となり、登れるようになったそうです。

2017年08月09日 えど
岩殿山城

8月7日の台風5号の災害により岩殿山で土砂崩れが発生しています。駐車場は土砂に覆われて使用不可、登山道も恐らく通行止めだと思われます。行かれるか方は必ず事前に確認を。

2017年05月16日 さく守刑部卿
岩殿山城

車では岩殿山公園市営駐車場から山に沿って国道139号を登ると登山道があります。
丸山公園までもきつめですが城はそこから
階段が続き勾配もきつくなります。
岩が多くなり手摺やロープにつかまり
ながら山頂の本丸までやっとたどり着けました。岩の上の曲輪は結構広いですが、
下を見ると高所恐怖症にはクラクラする
高さです。
季節を選び体力を温存して臨んだ方が
良いでしょう。

2017年01月12日 カーネル
岩殿山城

中央線大月駅南口から

駅前の細い道を東へ歩き線路を超えて北へ
T字を右に行くと国道139号線で道なりに歩き笹子川を超えると道が右に曲がり、2分くらい進むと登山口です

登山道は整備され人も多いです。ふれあいの館を過ぎると山道。こちらも歩きやすいです。ただ、高所恐怖症の自分には怖い場所もありました

途中の道は巨岩を利用した門や番所跡を超えて登山口から頂上まで20分

頂上から奥に進み馬場跡等を経由して本丸です。ここにはアンテナが建ってます
さらに進むとキレイに空堀が残ってます

今回は稚児落としにはいかなかったので、駅から往復して1時間45分くらいでした


2014年10月13日 尻啖え孫市中納言
岩殿山城

小山田信茂の居城で、主を裏切ったことで有名な城。勝頼は最後にここに籠り、織田に対し無二の一戦を試みる積もりだった。ただ曲輪の規模は小さく籠城してもせいぜい500人程度で、全周敵の後詰めが期待できない地で何を期待したのか。ほぼ一国を手に入れていた上州に逃れ、上杉の後詰めも期待し、昌幸の深謀に掛け、それこそ織田に無二の一戦を仕掛けるべきであった。山頂に登りそんなことを夢想した。

2010年06月21日 甲斐の虎
岩殿山城

岩殿山頂からの富士山は、とても綺麗ですよ急な階段をひたすら登って山頂でご飯食べながら観るのはサイコーですよ

岩殿山城の周辺スポット情報

 堀状地形(遺構・復元物)

 本丸跡(碑・説明板)

 烽火台(碑・説明板)

 倉屋敷跡(碑・説明板)

 馬場跡(碑・説明板)

 説明板・案内図(碑・説明板)

 馬屋(碑・説明板)

 番所跡(碑・説明板)

 揚城戸跡(碑・説明板)

 駒橋御前山砦(周辺城郭)

 駒宮砦(周辺城郭)

 猿橋城山(周辺城郭)

 花咲鐘撞堂(周辺城郭)

 斧窪御前山砦(周辺城郭)

 猿橋(寺社・史跡)

 大月市観光案内所(御城印)

 トイレ(トイレ)

 岩殿山公園市営駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 岩殿山ふれあいの館(関連施設)

 大月市郷土資料館(関連施設)

 築坂峠(その他)

 雛鶴神社入口(その他)

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