三原城(みはらじょう)

三原城の基本情報

通称・別名

浮城、玉壺城

所在地

広島県三原市館町1-2

旧国名

備後国

分類・構造

梯郭式平城

天守構造

なし

築城主

小早川隆景

築城年

永禄10年(1567)

主な改修者

福島正則

主な城主

小早川氏、福島氏、浅野氏

廃城年

不明

遺構

曲輪、石垣、横堀(水堀)、移築門(順勝寺山門)

指定文化財

国史跡(小早川氏城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

鳴滝山城(広島県尾道市)[6.5km]
勝山城(広島県三原市)[8.0km]
高山城(広島県三原市)[9.1km]
新高山城(広島県三原市)[10.0km]
賀儀城(広島県竹原市)[11.6km]
因島村上氏城館(広島県尾道市)[12.6km]
余崎城(広島県尾道市)[12.8km]
鷲尾山城(広島県尾道市)[13.3km]
木村城(広島県竹原市)[17.6km]
甘崎城(愛媛県今治市)[17.6km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)172 三原城

設置場所

三原観光協会[地図
三原市歴史民俗資料館[地図

三原城の解説文



三原城(みはらじょう)は、備後国御調郡三原[1](広島県三原市)にあった日本の城。国の史跡[2]。2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(172番)に選定された。

概要 

最盛期の構造は、天主台を北(陸側)に頂いた本丸、その東・西・南側に二の丸、そしてそれらの東側に三の丸と東築出、西側に西築出を設けた梯郭式の城であった。さらには海に向かって船入りを開いており[3]、郭を隔てる縦横の堀の重なりも加わると、満潮時にはあたかも海に浮かんだように見えるところから浮城とも呼ばれている[4]

歴史 

永禄10年(1567年)頃に、小早川隆景によって整備が始められたとされる。隆景は天文19年(1550年)に竹原・沼田・両小早川家を掌握し、翌年には高山城に入城している[5]。その後、天文21年(1552年)、沼田川対岸に新高山城を創築し本城とした。弘治元年(1555年)には、厳島の戦いに水軍を率いて毛利勢の勝利に貢献するなど、急速に小早川家、ひいては毛利家の伸長を図っている。後に隆景は、現在の沼田川河口の三原湾に浮かぶ小島や中州をつないで、いわゆる砦を築き水軍の拠点とした。これが三原城の原型を成したものと思われ、三原要害とも呼ばれていたようである。当時、新高山城下まで瀬戸内海は深く湾入していたものの、勢力を強める小早川水軍(水運)の差配には、より効率的な運用が期待できるこの地に「三原城」を整備したものと思われる。

天正8年(1580年)から10年にかけて、三原要害は隆景によりさらに整備が進められ、いよいよ海城としての偉容を現した。そして隆景は、新高山城から三原城へと本拠を移した。三原城は、瀬戸内海を軍事的に掌握する為に建てられた城である。三原城の縄張りは梯郭式であり、壮大な天主台を北(陸側)に頂いた本丸、その東・西・南の三方に二の丸、そしてそれらの東側に三の丸と東築出、西側に西築出を設けた台形状の城郭であった。

城の後背には、新高山城下などから数々の寺院を移築し、さらに背後の「桜山」に、詰めの城として機能を担わせた可能性も窺われる。なお桜山には、山名氏により桜山城が築かれていたとのことであり、隆景はこれを甲の丸として整備したようである。また本丸東南には突出部を持つ船入櫓を備えるなど、すなわち城郭と軍港の機能を兼ね備えたものであったことが窺われる。

天正15年(1587年)、隆景は豊臣秀吉から筑前国を加増され、名島城(福岡県福岡市)に居城を移した。やがて文禄4年(1595年)、養子の秀秋に家督・筑前国を譲り、三原城に戻り隠居した[6]。この時期(文禄4年 - 翌慶長元年)隆景は、再度三原城の修築に取りかかっている。ここに至って、いよいよ新高山城の石垣の石を昼夜兼行で運ばせるなどしていることから、桜山から軍港までを一体化した要塞が完成したのではないかと思われる。天主台の石垣の手法はこの時期のものとされ、三原に到る東西の往来は、山と海で挟み込まれた隘路を進まざるを得ず、さらに何重にも行く手を遮る川と掘割が待ち受けるという城郭構成となっている。また安芸・備後国境は、現在の三原市新倉町あたりであり、従来の本領を安堵する目的の新高山城から遠く離れた、自身の隠居所にしては強固すぎる三原城に心血を注いだことからは、毛利一門の東の拠点の構築の意図が汲みとれる。しかし隆景は、慶長2年(1597年)に三原城にて病死した。

なお、三原を代表する祭り「やっさ祭り」で披露されるやっさ踊りは、「この築城完成を祝って老若男女を問わず、三味線、太鼓、笛などを打ちならし、祝酒に酔って思い思いの歌を口ずさみながら踊り出たのがはじまりと言われ」と、やっさ祭り実行委員会のサイトでは書かれている[7]

隆景の死後、関ヶ原の戦いの後には福島正則が安芸・備後に入封した[8]。正則は広島城に、そして三原城には養子正之を入れた。この時正則は、広島城の西側に12基の二重櫓を新設している。三原城の海に面した10基の二重櫓も、その共通性から正則による改築の可能性が示唆されている。

正保絵図から類推される城域は、東は阿久原川(和久原川:湧原川)から西は現西町まで約1キロメートル、南北には桜山の麓から馬ノ口まで約600メートルに及んでいる。この城域に隅櫓32、城門14があったと言われる。また桜山と本丸に挟まれた部分の平地に、東西を連絡する往来(中世から近世山陽道)の径路があったはずであるが、この平地の幅は100メートル程度である。和久原川を東端の備えとし、桜山の麓から芦堀、南東に位置する東築出を囲む東築出堀、その南が外堀、そして馬ノ口で南東の防備としている。馬ノ口は、あえて満潮時に海面との差をなくす工夫がなされ、東舟入から本丸の郭を守る消波堤の役目と、敵船に対する海中防御を期待されていた。

東築出の内側には中堀を挟んで三の丸があり、さらに内堀の先が本丸と二の丸の郭である。三の丸は鍛冶曲輪の東に三角形状の形をしており、東築出の北側に東大手門が配置されている。本丸などの北側には、通り丁堀があり本土側と隔てられている。東大手門から堀端にかけては、通り丁(山陽道)が東西に通じ、天主台の西北対岸で南に折れ、芦堀に対応するかのような桜山からの蓮堀などに遠ざけられるように西に折れて、西築出北側の西大手門に至る。その先西方は町家が並び、現西町地区の西野川左岸が海岸線であった。城下を抜け、廣嶋海道を西方に進むと現西野川の上流部である西野村川があり、これを西方の護りとした。

本丸北側の先端部に一段高く天主台が設けられ、江戸城天守台と同規模の面積があったが、実際に天守が建築されたことはない。天主台は東北西三方を石垣で囲まれていたが、南側は土塁となっていたらしい。絵図等では、天主台には3基の二重櫓が建てられ、それぞれ多聞櫓で連結されている。一説では三層の天守を置いたともあり、これは元和元年(1615年)の一国一城令の後に、鞆城天守を三原城に移築したことを指しているものと思われる。

元和5年(1619年)、福島正則が改易となった後、紀伊和歌山藩主浅野長晟の一門で筆頭家老の浅野忠長が紀伊新宮より入り、広島藩の支城として幕末まで利用された。この間、寛文3年(1663年)には本丸御殿を建て替えている。宝永4年(1707年)には、宝永地震の影響による石垣修理などが成されている[9]。この破損個所は…「元のごとくなりがたかりしを、伝右衛門(竹原市下市)をして築かしめられけるに、遂に築きおさめければ…」とあり相当大規模なものであったようである。

江戸時代には、脇街道としての山陽道(近世山陽道:西国街道)が三原城下を通る形で整備された。三原には本陣が東の城外に置かれ、宿場としての機能をも成していた。

明治維新後、城地は帝国海軍の鎮守府(西海鎮守府)建設のために政府が確保し、実際に仮設が行われていた。しかし沼田川の堆積作用が危惧されたため、この計画は解除された。以後建物・樹木などは競売に付され、建築物は市内の糸碕神社や順勝寺の門に移築されたり、用材として処分された。明治27年(1894年)、山陽鉄道三原駅建設の際に、城地は駅用地に使用され、また石垣も糸崎港建設の用材として大部分が撤去された。

その後、東築出から馬ノ口の海側には、国道2号が敷設されることになり、これにより海からも遠く離れることになった。現在窺われる遺構としては、天主台とそれを取り巻く3方の堀、駅の南側の五番櫓と船入櫓の石垣および、本丸中門跡・臨海一番櫓跡の石垣・堀を残すのみである。

昭和50年(1975年)の山陽新幹線開業およびその後の三原駅高架化により、高架が本丸および天主台跡を貫いていることもあり、城地は寸断され、現在の姿になる。2004年度より天主台跡を囲む堀の周囲の景観を保存し、公園化する工事が進められている。

遺構 

  • 昭和32年(1957年)12月11日、現存している天主台とその周りの内堀一帯が国の史跡に指定された。公園になっており小早川隆景像がある。
  • 本丸中門跡の石垣(JR三原駅南口の再開発ビル「ペアシティ」西側・新高山城の石垣を利用)
  • 東舟入櫓跡(イオン三原店西側・瀬戸内海に面していた石垣が現存。史跡指定)
  • 西船入櫓跡(三原国際ホテル横に保存)
  • 近隣の和久原川付近に石垣の遺構が残存。
城址には建造物は残存していないが、以下の門が移築利用されている。
  • 糸碕神社神門(市内糸崎町・三原城にあった侍屋敷門が利用されている・三原市指定重要文化財)
  • 順勝寺山門(市内西町・三原城内にあった作事奉行所門を1877年に移したもの。三原城の城門14箇所のうちの一つ)

その他 

  • 城下、恵下谷の大善寺には、広島藩筆頭家老職で浅野家一門の三原浅野家3代浅野忠真の側室で三原浅野家4代浅野忠義の生母であり徳川幕府3代将軍徳川家光の落胤とされる月渓院の墓所がある。寺には5000石の御化粧料を下賜され、将軍家菩提寺である増上寺の寺号を賜り、増上山大善寺とされ、三つ葉葵の使用が許された。現在でも境内の随所に葵の紋章が施されている。また、なぜ徳川家縁の姫が外様である広島藩、さらにその家老職で既婚者であった浅野忠真へ側室としての輿入れが認められたかということについては、月渓院が江戸城内において忠真に一目惚れをし、何度もなだめた末、どうしても曲げなかったので下賜という扱いで忠真に輿入れしたという。
  • また徳川家光の乳母であった春日局が、当時、小早川秀秋の補佐役であった夫・稲葉正成と共に三原城で過ごしていたため、この輿入れに深く関与したと考えられている(また、江戸幕府の「一藩一城」の方針にもかかわらず、大名でもない広島藩の一家老の居城の存続が認められていたのは、春日局および月渓院に縁があったことが大きな要因であったとされている)。
  • 「三原には過ぎたるものが3つある」という言葉があり他藩から羨ましがられた。第一に3万石の居城に相応しくない大規模の三原城、第二に前述の月渓院に関係する徳川将軍家の「葵」の紋、第三に日光東照宮にて命じられた天下普請を10日間で成し遂げた鈴木方衛(すずき なみえ)という家臣がいたということであると伝えられている。

見学方法 

天主台跡へはJR三原駅コンコース内からのみ入ることができ、通路は朝6時から夜10時まで開いている。入場券は不要である。コンコース床には「天主台跡30m」と描かれている。 舟入櫓跡は市の港町公園となっているので常時見学できる。

三原城の口コミ情報

2024年02月27日 泉左衛門尉三八五守皆中神社
三原城



JR三原駅構内から、直接三原城址へアクセスしました。三方を堀に囲まれ、他方は三原駅になります。城址の真ん中を貫く形で山陽本線が建設されたためですが、このような城址は他に見られないのでは…😑

2023年12月03日 池田紀伊守信輝
三原市歴史民俗資料館[三原城  スタンプ]

R4.4.1〜営業時間変更
10:00〜16:00

2023年10月19日 永久楽武蔵守マクシミリアン
三原城



三原駅から突き出したような天守台。どこから登るか探すと、まさかの駅のコンコースから。縄張り図と駅の構内図と合わせた地図があったが、今残る天守台は、かつての天守台(本丸?)の一部だと分かる。さすが小早川隆景のお城、スケールの大きな城だったんだなあ。

2023年10月06日 虎之助弾正大弼@武田勝頼隊
三原城

駅にある古地図で本来の城割を確認してからの見学をお勧めします

2023年03月14日 尼崎城大膳大夫一口城主
三原城



[三原駅北側編]3月5日、三原駅の南側の史跡散策後、三原駅の観光案内所で三原城の御城印を購入して桜山(城)の行き方を確認して桜山登山に向かいました。道中、東大手門跡の石碑付近に桜山登山口入口の道標(写真①)があり迷わず登山口に辿り着けました。登山道入口から山上のベンチまで30分弱で登れました。桜山城の遺構を探してみようとベンチのあるところから奥を散策してみると草でやや見えにくくなっていた小規模な石垣(写真②)がありました。桜山城山上はほぼ平地の広いスペースがあり縄張りの雰囲気が随所に感じられる場所でした。当日は快晴に恵まれ桜山から三原城(写真③ほぼ中央)や瀬戸内の島々(写真④)を望むことが出来ました。桜山から下山して最後に天主台を目指しました。天主台付近のパネル(写真⑤)に桜山城も記載されていました。隆景公像(写真⑥)を眺めた後、天主台に向かいましたがその際、お堀の鯉と天主台と桜山城をセットで撮ってみました(写真⑦)天主台に上がり今度は先程とは逆に天主台から桜山城を撮り(写真⑧)下城しました。

2023年03月14日 尼崎城大膳大夫一口城主
三原城



[三原駅南側編]3月5日、まず宿泊先周辺から史跡散策を開始し、三原城臨海一番櫓址(写真①)と本丸中門跡(写真②③)を見学。続いて三原駅前の道標(写真④)に従って三原城舟入櫓跡を目指しました。まず櫓跡を外側から眺めて見ました(写真⑤)説明板に<江戸時代はじめ(1605年前後)に福島氏によって築かれた>とありました。外側から見学した後、舟入櫓跡の石垣の上も見学してみました。(写真⑥⑦)そこにあった説明板(写真⑧)の<現在の地図と城の縄張り図の重ね図>が位置関係をイメージしやすくて良かったです。余談ながら当日宿泊したホテルで出発前に下を眺めてみると真下に三原城本丸中門跡の水堀が見える運の良い部屋で縄張り図によると思いがけずも本丸に泊まっていたことが分かり感激してしまいました。

2023年03月05日 天河水民部卿
三原城

三原城に限った話ではありませんが、スタンプ押印の受付時間などコロナ以前から変更になっている事が多いので、最新情報のチェックは必要。新高山城リア攻め後に歴史民俗資料館まで続百名城スタンプを押しに行きましたが、閉館後でした(*゚▽゚*)スタンプと御城印だけなら三原駅の観光協会にあるのでこちらをご利用下さいm(_ _)m

2022年12月17日 michan 右衛門佐
三原城



高架下にある城壁がテンション上がります。隠れ城跡というらしいですが、観光案内所の横から行くと見れます。

2022年11月22日 蔵人頭マックイーン
三原城



鉄道に分断されて残念ですが、その結果天守台には徒歩0分です。遺構は少ないですが、観光案内所は隆景推しでつい家紋ハンドタオル買ってしまいました(笑)
パンフレットをもらってぐるっと回りました。舟入櫓の石垣は時間があれば。個人的には当時の広さを感じました。

2022年09月19日 猿飛大宰大弐三輔
三原城



新幹線駅降りたら直ぐに天守台 堀には鯉が優雅に泳いでいて小早川隆景が見た景色はなかなか素晴らしかった。

2022年08月21日 小太郎左衛門督南海道22國守
三原城



三原城跡周辺は、市街地となっており、駅前に複数ある有料駐車場を利用できます。天守台跡南側は、JR三原駅となっていて、三方は、堀が残されていて、浮城の面影を残している。堀にはブランド化を目指しているという錦鯉が優雅な姿で、泳いでいる。先人の教えのとおり、駅構内から天守台に通じている。駅構内観光案内所で、営業時間中、続百名城スタンプを押すことができ、御城印(プレミアムものあり)が、販売されています。令和4年8月19日情報

2022年04月11日 583系安房守きたぐに
三原城



三原駅建設のために本丸を削った三原城。ということは、新幹線で三原駅通過時にリア攻めできる?と思ってチャレンジしましたが、さすが運営管理者、そんなことはできませんでした。写真のように新幹線ホームが本丸石垣の上に載っており、天守台には駅構内を通らないと行けません。ただ、改札の外なので、入場券は要りません。

在来線改札を出て駅構内を右へ行くと、駅ナカにラッキー神社!?(写真参照ください)があり、その横に説明板があります。そこを右折して、階段を上がると、新幹線待合所の横の扉から、天守台に出れます。新幹線改札から直接には行けません。

城絵図では完全な海城ですが、近代化とともに埋め立てられ、本丸の堀に泳いでいるのは海水魚ではなく、錦鯉。街中にも船入櫓跡が遺構として残っていますが、こちらも陸地の一部と化してます。宇和島城といい、三原城といい、海城が陸上の城と化してしまっているのは、少し残念です。

2022年04月10日 森大炊頭小鉄之助
三原城

駅から非常に近く、直ぐに行けます。最近城の周りが整備された様で、きれいになりました。

2022年02月06日 オッチ〜(旧落武者)
三原城

三原城跡、船入櫓跡、本丸中門跡以外にも小早川隆景関連の史跡がコンパクトなエリアに点在しています。私は、車をイオ○の駐車場に停め(ちゃんと買い物しましたよ)て、歩いて巡りました。レンタサイクルもあるみたいですね。

2021年09月30日 安芸守 あきら
三原城



船入櫓跡の入口をリア攻めマップに追記しました。朝8時~夕方5時まで入場可能です。途中に門があります。

2021年07月22日 ぞぞぞ右京大夫
三原城



駅直結でアクセス良。6:30-22:00まで天守台無料開放。観光案内所に続100スタンプ、三原城、新高山城の御城印、隆景の武将印有り。

2021年05月08日 真田蔵人頭三代
三原城



駅に隣接どころか、密着していました(笑)
車で行ったので、城の登り口がわかりにく買ったのですが、なんと駅の構内から直結していました。
車で行った場合、石垣に向かって左側の道です、迷わず駅構内に突入して下さい。

2021年01月10日 KAZ中納言正勝
桜山城(周辺城郭)登城口[三原城  その他]



桜山城登城口になります(^-^)
柵が閉まってますか、鍵はかかっていません。100mぐらい登ると、桜山神社(小さな祠)が見えてきます。すぐ上の道を上がって行く感じです。その先は何回か分かれ道になってますが、必ず合流して主郭にたどり着きます。
階段を選ぶと距離は近いですが、傾斜がキツいです(=゚ω゚)ノ

2020年10月03日 せせらぎ太政大臣
三原城



三原市歴史民俗資料館でスタンプを押し、駅の下のタイムズに車を停め、駅構内から登城。普通お堀の水は濁って汚いけど、ここのお堀の水は割ときれいです。何でなんだろ。

2020年09月14日 ともりん雅楽頭♪♬☻
三原城

三原駅新幹線上りホームの窓越しに、天主台跡が見えます。三原駅の一階まで降りたら、改札出て右手奥に天主台への階段があります。
天主台を下から見るには、隆景広場(西口出口)側か、北口出口側の、東西二ヶ所の出口から出て堀端を一周できます。

2020年07月26日 陸奥守たろす
うきしろロビー観光案内所[三原城  御城印]



【御城印・うきしろロビー観光案内所】
・歴代城主の家紋である小早川氏の「左三つ巴」、福島氏の「福島沢瀉(おもだか)」、浅野氏の「餅の内に杵」がデザインされています
・300円/枚
・新高山城の御城印も取り扱っております

2019年04月24日 十河民部大輔一存
極楽寺山門[三原城  遺構・復元物]



かつての三原城の門が山門となっています。

2017年05月11日 まるき〜出雲守
三原城

新幹線の通過駅だからか?なんせ人が少ない…ので見学もゆっくりとできました。
駅の中に中国新聞の『三原城築城450年』の記事の一部が資料として置かれていました常時置いてあるのかは不明です。

城跡見学は近辺をウロウロ歩いて船入櫓跡と一番櫓跡に寄っても30分くらいか…
個人的には三原城の北側の山にある桜山城(アプリ未登録)が気になりました。

駐車場は駅の高架下にタイムズ、駅の南側にもコインパーキングがありましたよ。


2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
三原城

石垣の遺構とお堀があります。
入口は駅の建物から入っていく珍しいタイプです。
駐車場は近くのコインパーキングを利用しました。
飲食街は新幹線駅を越えた反対側の町にあります。


2017年05月08日 飲んだくれ大和守ジョニィ
三原城

天守台入り口は6時に開門で22時に閉まるそうです。

2017年04月25日 織田上総介晃司
三原城

三原城が日本一エキチカ(駅近)の城ではなかろうか。三原駅コンコースから天守台へ行く事ができるのだから。

かつては海に面して軍港を備えた城で、潮が満ちると浮かんで見える浮城と呼ばれた威容を誇った城。

策士・小早川隆景らしく水攻めされた際、水は城下に流れるよう、平城でありながら城下に対して一段高く築城している。

惜しむらくは山陽線と山陽新幹線が城を通過した為、史跡としての発展が望めないところである。


2014年09月03日 青き巨星弾正少弼かみ
三原城

JR三原駅コンコース北側に天守台への入口があり、駅構内から徒歩1分も経たないうちに、天守台へ着きます。
天守台は公園となっており、石垣と堀以外は当時を忍ばせるものはありません。
駅のコンコース内には、当時の城郭の絵図や再現模型があります。
新幹線の改札を通ると、大河ドラマ毛利元就で小早川隆景役をされた恵俊彰さんが使用した甲冑一領が展示されています。

2013年03月16日 尾張守ひろっちぃ
三原城

三原駅周辺がかつての三原城にあたります。天守台が三原駅のホームにあたり三原駅の待合室から外にでるとかつての天守台に登城することができます。

三原駅から歩いてすぐの所に駅のホームからも見ることができますが船入櫓跡の石垣があり、天守台同様登る事ができます。

残念なことにかつて周囲を海に囲まれその姿をの美しさから別名を浮城と唱われた姿を見ることは出来ず石垣の水堀はありますがあとはすべて埋めたてられスーパー、デパート、コンビニ、駐車場ビル等が立ち並んでおりかつて浮城と唱われた美しさをみることは出来ません。ただ説明図をみてかつて姿を想像するといかにこの城が壮大でスケールが大きいかその規模に圧倒されます。


三原城の周辺スポット情報

 天守台(遺構・復元物)

 船入櫓跡(遺構・復元物)

 極楽寺山門(遺構・復元物)

 水刎(遺構・復元物)

 本丸中門跡(遺構・復元物)

 臨海一番櫓跡(遺構・復元物)

 本丸五番櫓跡(遺構・復元物)

 内堀(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 甲の丸(桜山城)切岸(遺構・復元物)

 甲の丸(桜山城本丸)石垣(遺構・復元物)

 馬の口跡碑(碑・説明板)

 小早川隆景像(碑・説明板)

 桜山城(周辺城郭)

 桜山城(周辺城郭)

 極楽寺(寺社・史跡)

 うきしろロビー観光案内所(御城印)

 三原観光協会 案内所(スタンプ)

 三原市歴史民俗資料館(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 30分無料駐車場(駐車場)

 三原城跡歴史公園(関連施設)

 城町公園(関連施設)

 桜山城(周辺城郭)登城口(その他)

 船入櫓跡入口(その他)

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