高山城(たかやまじょう)
高山城の基本情報
通称・別名
- 道谷山城、妻高山城、古高山城
所在地
- 広島県三原市高坂町、本郷町
旧国名
- 安芸国
分類・構造
- 山城
天守構造
- なし
築城主
- 小早川茂平
築城年
- 建永元年(1206)
主な改修者
- -
主な城主
- 沼田小早川氏
廃城年
- 天文21年(1552)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財
- 国史跡(小早川氏城跡)
再建造物
- 石碑(古高山小早川城址)、説明板
周辺の城
-
新高山城(広島県三原市)[0.9km]
三原城(広島県三原市)[9.1km]
木村城(広島県竹原市)[9.5km]
賀儀城(広島県竹原市)[9.6km]
勝山城(広島県三原市)[11.0km]
松嶽城(広島県東広島市)[11.3km]
相良城(広島県三原市)[13.9km]
鳴滝山城(広島県尾道市)[15.4km]
平賀氏城館(広島県東広島市)[18.0km]
松尾城(広島県東広島市)[18.1km]
高山城の解説文
[引用元:Wikipedia「高山城」の項目]
高山城(たかやまじょう)は、広島県三原市本郷町にあった日本の城。城跡は国の史跡に指定されている。
概要
土肥実平は、源頼朝の元で平家討伐に功績を挙げ、吉備三国(備前・備中・備後)の惣追捕使(守護)に任ぜられた。
実平の子遠平は、土肥郷の地名である小早川氏を称したが、承久の乱で戦功を挙げて安芸国沼田荘を与えられた。
高山城は小早川氏の居城として建永元年(1206年)、遠平の孫・小早川茂平により築かれた。その後、小早川氏は沼田小早川氏と竹原小早川氏に分かれたが、高山城は沼田小早川氏(本家)の居城であった。
天文10年(1541年)、竹原小早川家の当主小早川興景が継嗣なく早世したため、毛利元就の三男徳寿丸(小早川隆景)を養子に迎えた。隆景は天文13年(1544年)同家の当主となる。一方、沼田小早川家の当主小早川繁平は若年のうえ病弱であったので(失明していたとされる)、隠居に追い込まれ、天文19年(1550年)隆景が沼田小早川家をも継ぐこととなり、両家は統合された。
隆景は天文21年(1552年)、対岸の新高山城に居城を移したため廃城となった。
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高山城の口コミ情報
2024年11月10日 かおちゃん太閤
高山城
大手道から登城しましたがマップを用意しておらずあわや迷子に。なんとか元来た道を見つけて事なきをえました。マップ必携です。でも各曲輪が大きく、石垣も散見され、下草もあまり生えていないので見応えは十分です。
2024年07月07日 安芸守カズ
高山城
今まで夏の山城巡りは避けていましたが、先人の投稿記事の写真に勇気づけられ、先日の新高山城に続く夏の山城登城となりました。
搦手の駐車場に至る道は、!?というような狭い道を上りましたが、ナビを信じれば大丈夫です。ナビはスマホの方が良いかも知れません。
駐車場から中の丸までは20分程度です。
搦手道はほんの一部を除き、下草もありません。
中の丸から北の丸、二の丸、本丸、扇の丸と北側の郭郡を見た後に南側の郭郡に行こうとしましたが、道がやや藪化しており、根性なしの私は早々と諦めました。
南側の郭郡は、秋から冬に大手道から再訪しようと思います。
ちなみに、最後まで蜂さんにも蛇さんにも藪蚊さんにも遭遇しませんでした。
なお、搦手道は幅約一間もありそうな広い道ですが、落ち葉が積もり石が散乱していますので、特に下りはお気をつけてください。
2023年08月21日 ヒロ丸
高山城
きちんと整備されている城の公園です!素晴らしい水の音が良きです。
2021年03月22日 上田図書頭雪娘
高山城
石垣が多く残っていますが、規模は大きくありません。案内がとても少ないため必ず縄張り図を持参してください。健脚コースは登りはかなり厳しいです。
2020年08月16日 KAZ左大臣正勝
巌丸 北西方向石垣[高山城 遺構・復元物]
帰り道…京屋敷から巌丸への直登りで石垣発見です*\(^o^)/*
来た道を帰って升曲輪に出る途中猪のねぐらっぽい所を通るのが怖かったのは、ナイショです(≧∇≦)
2020年08月16日 KAZ左大臣正勝
扇の丸[高山城 遺構・復元物]
南側に開けて眺望が良いです。このお城は、あっちこっちが眺望イイっすね(=゚ω゚)ノ石組みも南側に残ってますがコの字状に組まれたものは、どう使ったのでしょうか(・・?)
2020年08月16日 KAZ左大臣正勝
高山城
ここも広いっす!(^-^)南西方向には立石もありました。『石突きのものども』さんの作品でしょうか?*\(^o^)/*
2020年08月16日 KAZ左大臣正勝
北の丸[高山城 遺構・復元物]
かなり広く、帯曲輪もめぐらせてあります。これだけ広いと、多くの兵力が駐屯出来たと思います(^-^)南側の大手から攻めると渡河作戦になるので攻め上がるなら西の丸と北の丸の間の谷筋だろうと考えたのではないでしょうか?以上、僕の勝手な妄想でした(≧∇≦)
2020年08月16日 KAZ左大臣正勝
二の丸[高山城 遺構・復元物]
升曲輪から二の丸に出ましたが途中はめっちゃ荒れてます(>_<)階段状曲輪と太鼓丸の間を来れば少しはましですが…ほんのちょっとです。道をロストしない様にGPSは必須だと思います。北側には2列2段の石組みがあります。
2020年08月16日 KAZ左大臣正勝
西丸[高山城 遺構・復元物]
敷地は広いです(=゚ω゚)ノ南側に長方形の盛り土があるのですがなにに使用したのか(・・?)見張櫓にしては広すぎると思うのですが…解りませんm(_ _)m
2020年08月16日 KAZ左大臣正勝
太鼓丸[高山城 遺構・復元物]
古墳みたいに、まんまるです(^-^)しかし…ほぼ真下の新幹線や民家が見えると言う事はかなりの急斜面です。ガクブル((((;゚Д゚)))))))
2020年08月16日 KAZ左大臣正勝
階段状曲輪群[高山城 遺構・復元物]
見事な階段状です(^-^)真下には新幹線のトンネル出入り口があるので、ちと…うるさいです。
雷の音と勘違いして変な声だしてるわたしはビビリです(//∇//)
2020年08月16日 KAZ左大臣正勝
権現丸[高山城 遺構・復元物]
高山城では1番高そうです。西の端からは新高山城も望めます(^-^)
2020年08月16日 KAZ左大臣正勝
巌丸[高山城 遺構・復元物]
写真の様に大きな岩があり、柱穴が3箇所確認出来ました(^-^)ここも南方向の眺望は良好です
四角い穴が掘ってありましたがなんでしょうか?石列っぽいので発掘中っすかね(・・?)
2020年08月16日 KAZ左大臣正勝
犬の丸[高山城 遺構・復元物]
三日月型の曲輪なので、竪堀や大手道から登ってくる敵の撃退用に鶴翼型なのでしょうか(・・?)
2020年08月16日 KAZ左大臣正勝
南丸 大堀切[高山城 遺構・復元物]
高山城で1番大きな堀切です(^-^)堀切からの竪堀で直下は登城口に繋がりそうです。南丸も広く南方向(街道)の眺望も最高です(^-^)
2020年08月16日 KAZ左大臣正勝
番所曲輪[高山城 遺構・復元物]
番所って言うぐらいだから、見張りの役目があったのでは(・・?)たしかに、大手道だと言う方向から登って来ましたが、そちら方向は切り立っているので、狙えそうではあります(^-^)
2020年08月16日 KAZ左大臣正勝
高山城 登城口[高山城 その他]
『奥様のご実家家庭訪問シリーズ』
第4弾は、小早川隆景公の奥方
問田大方さんです(^-^)
問田大方としましたが、これは山口に引越し後の名前で、当時の名前は解りませんでした。隆景公とは夫婦円満だったと言う事になってますが、官兵衛くんによると隆景公は奥方に会う時は、ほぼ正装に近い服装に着替えてた、との事なので…?ですσ(^_^;)
この辺りは昔は家臣屋敷が多くあったらしいです(^-^)
周りは民家と細い路地ばかりなので駐車スペースはありません。9時以降なら本郷生涯学習センターの無料駐車場、それ以前の時間は本郷駅北口の有料駐車場(1日駐車で250円)がイイと思います。いずれの駐車場からも登城口までは歩いて10分くらいです(^-^)
2019年10月14日 織田上総介晃司
高山城
高山城へのルートは本郷駅からの大手道ルートと県道50号線からの搦手道ルートがあります。
今回は墓所にある2台くらい停めれる駐車場から搦手道で登りました。
つづら折りの山道を登ること約20分、削平された二ノ丸にたどり着きます。
沼田小早川氏300年の歴史を感じさせる規模の大きな城で遺構もちゃんと残ってます。
毛利元就が乗っ取ろうと画策する訳だ。
続百名城の新高山城に比べ高山城の扱いはややぞんざいで登山道は荒れた状態です。
案内板はないので城までのアクセスは調べないと難しい。看板も少ないので方向オンチの方は一人で行かないでください。
先ず新高山城で高山城のパンフレットをゲットしてリア攻めすべし。
2013年08月19日 三浦の荘中納言大介義明くん
高山城
毛利元就の息子たち、三本矢の筆頭、賢将の小早川隆景の居城の割には、遺構少ないのか、写真があまり無いですね?
新高山城が本城でしょうか?
2013年03月16日 尾張守ひろっちぃ
高山城
地図ではわかりずらくナビを頼りに散策しました。本郷駅の背後にそびえる山が城山にあたります。山頂付近までは行きましたが城跡を示す石碑は見当たらず周辺にはかなり民家が多くふらふらして探し回っていると不審者扱いを受ける恐れがあるため途中で散策をやめて引き返しました。