今帰仁城(なきじんじょう)

今帰仁城の基本情報

通称・別名

今帰仁グスク、北山グスク

所在地

沖縄県国頭郡今帰仁村

旧国名

琉球国

分類・構造

山城

天守構造

なし

築城主

湧川按司

築城年

13世紀頃

主な改修者

主な城主

北山王、第一尚氏

廃城年

寛文5年(1665)

遺構

曲輪、石垣

指定文化財

国史跡(今帰仁城跡附シイナ城跡)、世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

伊江城(沖縄県国頭郡)[12.7km]
名護城(沖縄県名護市)[12.9km]
恩納城(沖縄県国頭郡)[22.5km]
根謝銘城(沖縄県国頭郡)[23.0km]
漢那城(沖縄県国頭郡)[24.3km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

98 今帰仁城

設置場所

今帰仁村グスク交流センター[地図

今帰仁城の解説文

今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう、別名:北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく))は、沖縄県国頭郡今帰仁村に位置する城跡である。14世紀、琉球王国成立以前に存在した北山の国王・北山王の居城であった。国の史跡に指定されている。

概要
城内からは中国や東南アジアなどの陶磁器が多く出土し、往時の繁栄をうかがわせる。北山は尚巴志に1416年(1422年説もある)に滅ぼされるが、北山が滅ぼされた後も旧北山統治の要所として引き続き使用され、北山監守が派遣された。1609年の薩摩藩による琉球侵略の際には、その攻撃の第一目標となった。

現在も石垣などの遺構の整備が進み、今帰仁城跡として1972年(昭和47年)5月15日に国の史跡に指定される。門から城の中心部へと向かう階段(戦後に造られたもの)の左右にはカンヒザクラの並木があり、毎年1月末 - 2月始めに開花する。本部町の八重岳などと並び、桜の名所として知られている(※日本トランスオーシャン航空作成の壁掛けカレンダーの1月は最近数年間この桜景色が写真を飾っている)。城内には志慶真乙樽歌碑や山北今帰仁城監守来歴碑記などの碑もある。

2000年(平成12年)11月に首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された(登録名称は今帰仁城跡)。

城域
南北350m、東西800m、面積37,000平方メートル。県内最大級の城(グスク)として名高い。

現地情報
世界遺産登録以降、城跡は徐々に整備及び修復作業の強化が行われた。また駐車場が城跡入口付近へ、場内に入る際のチケット販売所がグスク交流センターへ移設された。2005年(平成17年)9月1日、グスク交流センターや観光バス駐車場などの周辺設備の整備に伴い、今帰仁城跡のみの入場料が今帰仁城跡と今帰仁村歴史文化センターの共通料金となり、300円から400円に値上げされた。

2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(98番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。

アクセス
;バス路線
; 今帰仁城跡入口バス停
65番・本部半島(渡久地)線(琉球バス交通・沖縄バス)...

今帰仁城の口コミ情報

後中城按司 知名朝安様[2018年06月20日]
度々失礼しました。二手分けて→二手に分けて、です。

後中城按司 知名朝安様[2018年06月20日]
度々失礼しました。護佐丸は、尚巴志軍に従軍した1416年は、中山所属では無くて北山所属でした。1414年に尚巴志が豊見城城を攻略した事を知って、保身の為に尚巴志の道先案内をしました。

後中城按司 知名朝安様[2018年06月20日]
失礼しました。志慶真川方面が奇襲を→志慶真川方面から奇襲を、です。

後中城按司 知名朝安様[2018年06月20日]
1416年に尚巴志が攻略した後の、今帰仁城の城主は、北山監守と呼ばれます。北山監守は、1416年から1421年迄は、護佐丸です。1422年から1439年迄は、尚巴志の次男で、尚巴志の崩御後の1440年に第一尚氏第三代尚忠王として、琉球国中山王に即位する尚忠です。1440年以後、1609年の島津家久軍の琉球征服で、再び落城するまでは、王族である歴代の今帰仁王子です。

後中城按司 知名朝安様[2018年06月20日]
千代金丸は、地元の漁師が尚巴志に謙譲した伝承がありますが実際は、信長が桶狭間の戦いで、今川義元から強奪した、義元左文字と同じく、尚巴志はが今帰仁城攻略後の際に、樊安知から強奪した物です。

後中城按司 知名朝安様[2018年06月20日]
尚巴志の謀略で、腹心の本部平原に裏切られた樊安知は、所持していた刀(国宝、千代金丸)で、本部平原を討った後に、今帰仁城城内の御嶽に守護神として、祀っていたイビという石を、千代金丸で叩き切ったそうです。その石は、受剣石と呼ばれて今も今帰仁城に有ります。樊安知は、千代金丸で切腹しようとしたけど、何度も試しても千代金丸では、切腹出来なかった為に千代金丸を志慶真川に投げ捨てた後に、別の刀で切腹したと言う伝承があります。その後、夜に怪しい光を発する志慶真川を捜索した、地元の漁師が千代金丸を発見して尚巴志に謙譲したと言う伝承もあります。

後中城按司 知名朝安様[2018年06月20日]
今帰仁城は、北山王の居城ですが1416年に、佐敷の小按司こと、鬼鷲、尚巴志が攻略します。尚巴志軍は、護佐丸や、先中城按司、知花按司(もしかして、おもろさうしのイケメン按司?)等の中山に所属する部隊三千の兵で遠征します。対する北山王、樊安知の兵は、一千です。今帰仁城は、要害であったので尚巴志軍が、三日三晩総攻撃をかけても持ちこたえたそうです。そこで、尚巴志は軍を二手に分けた上に、忍者を使って内通工作を仕掛けます。樊安知の腹心であった、本部平原(むとぅぶてーばる)の懐柔に成功した尚巴志は、籠城していた樊安知を野戦に誘き出すのに成功します。そして、樊安知を本部平原と共に挟み撃ちにします。さらに、二手分けておいた軍勢の内の少ない方の部隊を、急峻な崖の為に守りが手薄だった志慶真川方面が奇襲を掛けて、今帰仁城を落城させます。

後中城按司 知名朝安様[2018年06月15日]
今帰仁城の城主として、中城城の城主であり、座喜味城の城主でもあった、護佐丸の名もあげるべきです。彼は、尚巴志の北山攻略に従軍しています。そして、一番の軍功を上げた褒美として、北山監守に任命されています。尚巴志が、北山を併合した1416年から、1421年迄は、護佐丸が、今帰仁城の城主です。実は、護佐丸は、尚巴志と共に、沖縄本島に有る五つの世界遺産の城、全てに関係している凄い人物です。

KAZ左衛門督正勝様[2017年10月30日]
那覇市のホテルから朝8時到着目指して
6時に出たら、ちょーどでした(^O^)/
(高速道未使用です)
待ちに待った今帰仁城!!
いやー!チケット売り場から見ただけで…
あの石垣のカーブは横矢用っすかね?
めっちゃ美しいっす\(^o^)/

台風後で道をホウキで掃除されてました
『足元気を付けてくださいねー』って
感謝!感謝っす!
城跡全周→歴史センター→ミームングスクで、1時間半滞在でした(^O^)/
一つだけ心残りが出来てしまいました。
御嶽は『偶像』では無いんすね!
訪問前の勉強不足でした(>_<)
説明看板はあるけど…神さま?ん?ん?
って、感じでした(>_<)
この後訪問した中城城のガイドさんに
教えてもらって…後悔です(T ^ T)

ミームングスクは…
蛇が居そうで…ガクブルでした
:(;゙゚'ω゚'):
普通の人はミームングスクとかハンタ道には行かずに1時間くらいの滞在らしいっす
(//∇//)

あと…志慶真城郭の後ろが崩れてるのは
意味有りそうで…帰り道…
いや!今も!ずーっと気になってます
(≧∇≦)

【❖赤ロス】征夷大将軍クララ姫様[2016年12月03日]
熊木杏里さんの『桜』(コブクロ原曲)PV映像の舞台になっています。カラオケの映像などでも見られますよ!

【❖赤ロス】征夷大将軍クララ姫様[2016年02月13日]
2016.2.8に訪れました。寒緋桜の桜祭り(ライトアップ等)は7日まででしたが8日時点で、まだ八分咲きでした。勿論、その年の寒暖差によって寒緋桜の開花時期はズレますが、訪問時期の参考にしてください。

柳生兵庫助如雲斎様[2014年12月01日]
今帰仁城跡のバス停から徒歩で一キロですが割とキツい坂道なので要注意。

温水隊マイリバ様[2010年06月09日]
大蛇のうねりのような石垣が印象的な今帰仁城、いつ訪れても旅の記憶に残ることは間違いありませんが、1月下旬~2月初旬にはカンヒザクラが満開を迎えます
ちゅら海のコバルトブルーと石垣のグレーのコントラストにカンヒザクラのマゼンタが加わり、文字通り彩りと華を添えてくれます
オリオンビール一番桜缶もこの時期だけ(^-^)b

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