恩納城(おんなじょう)
恩納城の基本情報
通称・別名
- 恩納グスク、大田グスク
所在地
- 沖縄県国頭郡恩納村恩納(私有地)
旧国名
- 琉球国
分類・構造
- 山城
天守構造
- なし
築城主
- 不明
築城年
- 15世紀
主な改修者
- -
主な城主
- 不明
廃城年
- -
遺構
- 石垣、拝所
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
伊波城(沖縄県うるま市)[9.5km]
山田城(沖縄県国頭郡)[10.7km]
安慶名城(沖縄県うるま市)[13.1km]
座喜味城(沖縄県中頭郡)[15.3km]
知花城(沖縄県沖縄市)[15.8km]
名護城(沖縄県名護市)[16.8km]
屋良城(沖縄県中頭郡)[17.4km]
越来城(沖縄県沖縄市)[18.2km]
勝連城(沖縄県うるま市)[18.8km]
泊城(沖縄県うるま市)[19.3km]
恩納城の口コミ情報
2024年12月23日 気分爽快武蔵守
恩納城
ちょっと危険な感じの入口から、50m程度入り込めば御嶽に辿り着けます。足元注意しながら、慎重に進みました。
①入口先の広い場所。ここでリア攻め認定
②①の先には怪しげなハシゴ
③さらに進むと御嶽
④御嶽を正面から
2024年07月04日 ʀᴇᴅ副将軍
恩納城
詳細不明の西銘ヌルの次男が築いたとも云われるグスク🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代や築城主などの城史は不詳。15世紀頃の築城と考えられており、南山国の西銘ヌル家の次男が恩納城を築いたという伝承があります。
見所
太田集落の西南丘陵上に築かれています。
頂部は削平された郭地形で浜崎御嶽が祀られており、階段状の地形が認められますが、ヤブ化しておりかなり不明瞭です。
拝所の後方に僅かに野面積みの石垣が残っている様ですがよく分かりませんでした。
行き方は国道58号沿いにあり、道路を挟んだ恩納海浜公園の駐車場を利用させて頂きました。浜崎御嶽への案内が目印です。
2024年06月17日 順☆散歩征夷大将軍215+11
漢那城[恩納城 周辺城郭]
先人の方に敬意を表しつつ…
かなりいろいろ調べましたがとにかく情報が見つからないので自分が書いたことも間違っているかもしれません。何か情報をお持ちの方は補足していただきたいです。
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グスクとは必ずしも城的なものではなく、集落や聖域を起源とするって説がありますね。ここは正確には「グシク」なんですけど、それはさておき説明板を読めば、漢那グシクとは「岩山一帯」のことであり、いわゆる城ではない(防御施設がないので)ことはもちろん、聖域や集落の可能性も低いと考えられます。近くにある「漢那ウェーヌアタイ遺跡」は発掘も行われていますし、岩山裏の「城原トゥールガマ遺跡」も調査が行われていますが、漢那グシクで発掘が行われたかどうかは不明。というか、どこにも報告書がないので、正式には行われていないんじゃないかな…遺物が採集されたのは、開発に伴うものである可能性が高い気がします。
ここは地理的に漢那福地川の河口にあり、説明板にも「(麓の)河口に港があった」「港と関係のあるグスクが村内にある」という趣旨の記載があることから「物資の中継地」と言えなくもないですが、少々語弊がある気がします。急峻な岩山の上を中継地と呼ぶのは不自然で、「中継地である麓の港に何らかの関係がある」程度の表現が適当ではないでしょうか。
ただ、地元の人がわざわざ岩山をグシクと呼んできたからには、その山は何らかの役割を持っていたわけで、例えば航海の目印にされてきたとか、もし何らかの施設があったとすれば「航行する船舶の管理施設」のようなものがあったとかじゃないかなと個人的には思います。
ちなみに地形図を見ると、お城マークがあるのは急斜面の途中。少なくともその地点に何かの施設が存在したという可能性は低いです。行ってみましたが(激藪の急斜面です)事実今は何もありません。なお、石垣は城マークとは少し離れた場所にある作りかけで断念した展望台?か何かであって(山の裏手から行けます)遺構ではないようです。昔の航空写真には何も写ってないですし、説明板にも「石垣等の防御施設は認められない」とありますので、これが正しいならアプリの情報は間違っていることに…
現在ではその展望台?すら藪に埋もれていて場所がわからず、自分は激藪漕ぎのあげくプチロッククライミングしてようやくたどり着きました。さらに周囲を散策するとお墓が2つほどありましたが、どれくらい古い物かは不明。地形についても後世に改変されている可能性が高く、遺構が曲輪というのもやや疑問が残ります。(そもそも琉球のグスクに曲輪って用語を使っていいのか自分はわからないので詳しい方教えてください)
とにかく書物どころか伝承すらないわけですから本当に謎。遺構もないと言っていいと思います。ここは遺構探しをするようなところではなく、ロケーションや地形等から、多くの船が行き交っていた往時を想像して楽しむところじゃないかなと思います。
最後に…ここは「第三紀の砂岩の上」に第四紀の隆起珊瑚石灰岩(琉球石灰岩)が堆積した「独特」の地形ではあるものの、珍しい地形というわけではありません。調べてみると、沖縄本島以外でも久米島、西表島、宮古島、石垣島などいろんなところに見られる地形のようです。
写真①岩山
写真②説明板
写真③岩山裏の城原トゥールガマ遺跡説明板
写真④⑤展望台の石垣
写真⑥展望台
写真⑦上からは河口がよく見える
写真⑧崖で見つけたお墓
2024年04月09日 ʀᴇᴅ副将軍
漢那城[恩納城 周辺城郭]
漢那湾の丘陵上に築かれた詳細不明のグスク🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代、築城主等の詳細不詳。
石垣や拝所等も見当たらず、伝承や祭祀も伝えられていませんが、地元では「漢那グシク」と呼ばれており、12~16世紀の遺物が発掘により採取されています。
漢那福地川の河口にはかつて港があり山原船が出入りしていたとされ、漢那グスクは物資の中継地として機能していたと考えられています。
見所
漢那湾と呼ばれる漢那福地川の河口部にある標高35mの丘陵上に築かれています。琉球石灰岩が堆積してできた珍しい地形です。
山頂部は展望台または公園化された様ですが現在はヤブ化しています。
但しヤブの切れ目からグスク跡らしき削平地があり、その一段下には古墓がありました。なんとも詳細が分からないグスクです。
行き方は、西側から林道がついており車で丘陵上まで登ることができます。
案内板は、東側麓の「道の駅ぎのざ」の第3駐車場から北側道路沿いに立っています。
2023年06月27日 MACHT征夷大将軍
恩納城
恩納村コミュニティーセンターに車を停め、目の前にある恩納城を目指してみる。どこから中に入れるのかとぐるっと半周ほどしてみると、浜崎御獄の入口を示す看板があったので、そこから中に入ってみる。段差の部分は草が生い茂っており、足元が見にくい。そこから数十mくらいは地面が見えており普通に歩けたが、そこから先が再び草が生い茂っており地面が見えない。このようなところを歩くのはハブに出会うリスクがあり、また一応リア攻め認定されたこともあるため、ここで退散。あまり大した情報ではありませんが、口コミが全然なかったので投稿しておきます。