杷木神籠石(はきこうごいし)

杷木神籠石の基本情報

通称・別名

所在地

福岡県朝倉市杷木林田

旧国名

筑前国

分類・構造

神籠石式山城

天守構造

なし

築城主

不明

築城年

7世紀後期?

主な改修者

主な城主

不明

廃城年

不明

遺構

列石、土塁、水門

指定文化財

国史跡(杷木神籠石)

再建造物

石碑

周辺の城

麻底良城(福岡県朝倉市)[6.0km]
永山城(大分県日田市)[10.4km]
日隈城(大分県日田市)[10.4km]
鷹取城(福岡県八女市)[11.5km]
松尾城(福岡県朝倉郡)[12.8km]
古処山城(福岡県朝倉市)[17.1km]
秋月城(福岡県朝倉市)[17.3km]
発心城(福岡県八女市)[17.9km]
赤司城(福岡県久留米市)[20.6km]
猫尾城(福岡県八女市)[20.7km]

杷木神籠石の解説文

神籠石(こうごいし)または神籠石式山城(こうごいししきやましろ)とは九州から瀬戸内地方にみられる、石垣で区画した列石遺跡を呼ぶ。現状『日本書紀』、『続日本紀』に記載がない、遺構でしか存在を確認できない山城を指している。

福岡県朝倉市に残る杷木神籠石は、全国に16箇所あるこのような神籠石の1つで、国の史跡に指定されている。切石(きりいし、岩を割って作った石)による石積みを配列した列石などの遺構が残る。

杷木神籠石の口コミ情報

2025年08月25日 大内周防守毛利
真竹山城[杷木神籠石  周辺城郭]



真竹山城(またけやまじょう。『筑前国続風土記』)、または『天正十五年四月生駒雅楽頭宛城数覚書』では真嶽城は朝倉市杷木松末(はきますえ)の真竹山山頂(標高181m)に位置する山城です。前者の史料からは秋月氏の端城で野出讃岐というものが城番を務めたとあり、後者の史料では秋月氏の家臣の野津手讃岐、香月九郎衛門が城主であったと伝えている。

※真竹山城は地元の方は城跡があることはご存知ではないため、訊ねられたら(真竹山城の近くにある)神社参りと答えると不審者に見られずに済むかと思います。駐車場はなく、一応6月1日時点で宮地嶽神社の東側に尾根伝いに階段があり、その階段のところ(北側)に空き地があるためそこに車を止めることができました(というか現地の方に指示されました)。
城は神社の裏手の道を道なりに進み、開けた平坦地、堀切のような鞍部(堀切ではない)に着いたら、そのすぐ後ろの山を登る(ほぼ直登)と城にたどり着けます。道を使った別ルートもあったのですが、杷木松末地区を襲った大水害により道が崩落しているため通れなくなっています。

城は2つの曲輪からなり、北側の1段高い曲輪が主郭、その南側の曲輪は真ん中に段差を設けており、共に南北に細長い形をしています。主郭の北には二重の堀切を設け、堀切の間のスペースの西側には土塁が構築されています。城の東側は道をつくるための改変がなされているため不明、城の西側から南東にかけて犬走りとそれを破壊するように畝状空堀群があります。この畝状空堀群は犬走りより畝状部分が高くなっているため横堀のような形となります。

木々や竹の密度が高く、写真映えはしないですが、密度が高いおかげで(城に関しては)地区を襲った大水害の被害をあまり受けなかったのでしょう。地域の文化財を守るために文化財行政として手を加えるよりも、その地域の方々の生業によって副次的に文化財が守られていくことがかえってその方が守られることをしみじみ感じました。
この城は地域の方はご存知ではないですが、地域の方によって城が守られているので訪れる際は地元の方に気を配り、ありのままの城を写真を撮るだけで済ませましょう。

写真
①堀切
②堀切間にある土塁
③主郭
④~⑦犬走り(横堀)と畝状空堀群
⑧主郭の土留めの石積みか?

2023年11月05日 ᖇᎬᗪ副将軍
長尾城[杷木神籠石  周辺城郭]



畝状竪堀群にビッシリと囲まれた秋月氏の支城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代は不詳。戦国時代に秋月種実によって築かれたと云われます。
秋月二十四城のひとつに数えられ、大友氏への備えとして築かれたとされ、城主に木村甲斐守が配されました。
1580年、木村甲斐守が端午の賀礼の為に古処山城へ出仕している隙を付いて大友勢が侵攻。しかし木村甲斐守の夫人が指揮を執り、撃退したと云われます。

見所
筑後川北岸の標高129mの山陵に築かれています。
イタリアの国土の様な長靴型の曲輪が低い段差で五段に分かれており、北端のピークが主郭とされます。
北端は三重堀切で尾根を遮断しており、圧巻なのは周囲を畝状竪堀群でビッシリと囲んでいることです。風化している箇所、明瞭に残存する箇所との濃淡はありますがなかなかのものです。

杷木神籠石との重複遺跡であり、東側面の畝状竪堀群には神籠石の列石が露出している部分もあります。

行き方は、杷木神籠石の見学用駐車場を利用し、神籠石の水門から谷筋を進み、適当なところで尾根に取り付きました。

2023年10月04日 ᖇᎬᗪ副将軍
鵜木城[杷木神籠石  周辺城郭]



秋月二十四城 のひとつに数えられる長尾城の出城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

鵜木城(うのきじょう)と読みます。

築城年代は不詳。戦国時代に秋月種実によって築かれたとされます。
豊後国の大友氏への備えとして築かれた長尾城の出城として機能したと云われ、日田近江が城主であったとされます。

見所
筑後川北岸の丘陵上に築かれています。
現座は公園化されており、元々は南北二段で東半分を横堀が巡っていたらしいですが、南側は採土により削られて消失。現在は北の段と横堀が残り、北東側に三条の畝状竪堀群が確認できます。

杷木神籠石と重複遺跡であり、西側に神籠石の列石を見ることができます(写真⑧)。

国道386号沿いにあり、駐車場もあります。杷木神籠石と長尾城も併せて訪城するのがオススメです。

2023年05月26日 ᖇᎬᗪ副将軍
夕月城[杷木神籠石  周辺城郭]



上下二段の横堀が美しく残る秋月氏のものと考えられる城跡🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代、城主等の城史は記録が無く不詳。城跡遺構としては戦国時代のものであり、位置関係からこの地を支配した秋月氏の支城であると考えられます。

見所
現在は、夕月神社の境内となっています。標高121mの山頂に築かれており、神社建造により一部消失はしていますが、南西から南東側にかけて上下二段の横堀が美しく残存しています。サクッと行けるためオススメです。

2023年04月08日 ᖇᎬᗪ副将軍
杷木神籠石



水門2箇所と列石が残る古代山城

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

杷木神籠石(はきこうごいし)と読みます。

築城年代は不詳。日本書紀などの文献に記載が無い全国に16ある神籠石系山城のひとつです。
663年の白村江の戦いにおいて唐・新羅連合に敗れた後、大和朝廷により大陸からの侵攻に備えて防御を固めるために築かれたとされます。

見所
三隈川北岸の山陵に築かれた古代山城です。
第一水門と第二水門が残りますが、あまり残存状態は良くありません。

国道386号線沿いに駐車場も完備されています。
中世山城の鵜木城、長尾城と併せての訪城をオススメします。

2022年03月16日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
櫛崎城[杷木神籠石  周辺城郭]

「日本城郭大系」によると、日田郡司大蔵次郎永秀が筑後の軍に備えるために築城したようです。寿永2年、秋月城主原田種直が日田に侵入しようとしたが、永秀はこれを撃退したいとありました。

2021年07月02日 龍馬備中守【】
夕月城[杷木神籠石  周辺城郭]



福岡県の朝倉市にある【夕月城】♪主郭は現在、夕月神社になっています☆
主郭より南側に二重横堀が廻らされていて防御遺構を鮮明に残します☆
筑後川の右岸に立地した城郭で筑後川を越えた南先には耳納連山☆
耳納連山の山中には妙見城、鷹取城、福丸城の星野氏、発心城の草野氏、井上城の門註所氏など、筑前・秋月氏、豊後・大友氏に属した武将達の城郭がひしめきます☆この夕月城と対峙する形をとる夕月城は…歴史詳細不明です☆

不明ではありますが隣の東側の山中には三日月城♪三日月城は秋月種実によって築かれてます☆古処山城主の秋月種実の支城となっている為にこの夕月城も秋月氏の支城群の一つなのでしょう♪

2021年07月01日 龍馬備中守【】
鵜木城[杷木神籠石  周辺城郭]



福岡県の朝倉市にある【鵜木城】♪

杷木神籠石、筑後・長尾城から派生された尾根の先に城郭は存在します☆
今は国道386号線が道を造り尾根を分断していますが、往時はどうだったんでしょうね〜☆恐らく山は続いていたと思われます♪筑紫次郎は筑後川に面する形で城郭は存在しました♪

築城年代は不明です☆ただ横堀を配置した、この城郭は戦国時代に秋月種実によって築かれたと伝わります☆秋月種実が大友氏への備えとして築いた筑後・長尾城の出城として築かれた城郭になります☆

2021年07月01日 龍馬備中守【】
杷木神籠石



福岡県の朝倉市にある【杷木神籠石】♪昨日口コミした筑後・長尾城とは同山に位置する此方は古代山城になっています☆

古くは、古代より更には筑後川の右岸で豊後国と境目に位置する低山(129m)は戦国時代にも使用されています☆

この杷木神籠石は外周に土塁を巡らせ切石を並べて土塁の根石にしていて全長は2.3キロに及びます☆福岡県を中心に、佐賀・山口・岡山・愛媛・香川の各県に分布している神籠石とやっぱり同じ様な造りです☆域内の谷部では2ヵ所で水門も残り現在でも水が流れています☆杷木神籠石は福岡県の大野城や佐賀県の基肄城のような朝鮮式山城と築造技術などで共通する点は多いですが【日本書紀】などの書物には記録が残っていません☆

神籠石って何なんでしょうね〜?
山城?霊的な何かを祀っていた結界の様なもの?謎ですwただ7世紀前後に造られている事は文献にも残っているので白村江の戦いで大敗した倭国(日本)は唐・新羅連合軍からの侵攻に備え為に造ったモノには違い無いのでしょう☆

幾つか神籠石の特徴を挙げてみます♪
①谷を取り込み山腹を取り囲む場所に立地する事☆
②標高200 ~ 400mの山頂から中腹にかけて数kmにわたって一辺が70cm位の切石による石積みを配列させている☆
③切石の上部には版築による土塁を有している☆
④列石の配置は山頂から平野部に斜めに構築する九州に多い形と山頂を鉢巻状に囲む瀬戸内に多い形が存在する☆
⑤谷を通過する場所には石積みを有する城門や水門を設けてる☆
などなど杷木神籠石もコレに当てはまります♪
注目すべきはやっぱり切石かな〜☆
あの時代にあれだけの石を加工する技術を持っている事☆山腹を取り囲む土木量も凄いですがw対馬の金田城の石垣、石積みなんか本当にビックリするし、この時代の石を加工する技術は凄くって戦国時代のモノよりもよっぽど進んでる☆古代に行われた、この技術は発展していき継続されなかったんだろうか??疑問ですね〜☆
高石垣を築く時って積み方も勿論重要ですが、やっぱり基礎となる切石ってのはもっと重要なんです☆基礎になるから石の加工が甘かったら高く積めません☆

既に朝鮮半島では、この石を加工する技術があったという事なんでしょうね〜♪
恐るべし異国の技術w
この時代も調べたら面白いですね〜♪

2021年06月30日 龍馬備中守【】
長尾城[杷木神籠石  周辺城郭]



福岡県の朝倉市にある【筑後・長尾城】♪筑後国と豊後国の境目に立地していて筑後川に面する北岸、筑後国の最西端に城郭は築かれています☆豊後国から来ると山間が細まる地点で南部には日田街道が走ります☆

築城年代は不明ではありますが戦国時代に秋月種実によって築かれたと伝わります♪
秋月種実が豊後国の大友氏への備えとして築いた城郭で【秋月二十四城】の一つに数えられます☆
往時の歴史としては秋月方の守将・木村甲斐守が五節句の一つ端午の祝いの為に古処山城へ出かけている隙を付いて大友軍が侵攻してきましたが、木村甲斐守の妻が城兵を下知して防戦し撃退したと伝わります☆妻…強しw
城郭の見所は…
北尾根は三重堀切☆
更には畝状竪堀群が山斜面に残り素晴らしい遺構を残します☆
秋月氏の城郭はこの畝状竪堀を良く使っていて非常に特徴的です♪戦う砦といった面持ちは正に境目の城郭に相応しいと言えます☆

更には古代山城である杷木神籠石の一角に位置していて為、古代から人が使用した場所になっています☆

2020年12月08日 じょーうん因幡守
鵜木城[杷木神籠石  周辺城郭]



杷木神籠石の中にあります。南側を筑後川を天然の堀にしてます。現在半分を削平されていますが、綺麗な横堀と土塁が見れます。一部浅い竪堀が見れますので探してみてください。

2011年08月08日 筑後守もんど
杷木神籠石

遺跡の中を国道が突っ切ってます。
遺跡の西側に無料駐車場があります。

杷木神籠石の周辺スポット情報

 鵜木城(周辺城郭)

 長尾城(周辺城郭)

 夕月城(周辺城郭)

 櫛崎城(周辺城郭)

 隈ノ上城(周辺城郭)

 真竹山城(周辺城郭)

 長瀬城(原口城・西原口城)(周辺城郭)

 久保城(大石城)(周辺城郭)

 三日月城(三ヶ月城)(周辺城郭)

 入隈館(煎隈館)(周辺城郭)

 岸山城(周辺城郭)

 烏山城(東山城)(周辺城郭)

 小椎尾氏館(周辺城郭)

 小椎尾氏別館(周辺城郭)

 笹の隈城(小塩城)(周辺城郭)

 一ノ瀬館(一之瀬館)(周辺城郭)

 米山城A(周辺城郭)

 米山城B(周辺城郭)

 庄林城(周辺城郭)

 烏岳城(周辺城郭)

 宮地嶽神社(寺社・史跡)

 杷木神籠石 駐車場(駐車場)

 神社駐車場(駐車場)

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