白岩城(しらいわじょう)
白岩城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 秋田県仙北市角館町白岩
旧国名
- 羽後国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- -
築城主
- 白岩氏
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 白岩氏
廃城年
- 天正18年(1590)
遺構
- 曲輪、腰曲輪、堀切
指定文化財
- 市史跡(白岩城跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
角館城(秋田県仙北市)[5.4km]
戸沢氏城館(秋田県仙北市)[10.1km]
本堂城(秋田県仙北郡)[13.8km]
払田柵(秋田県大仙市)[15.3km]
六郷城(秋田県仙北郡)[20.3km]
四十二館(秋田県大仙市)[22.5km]
典膳館(岩手県和賀郡)[23.8km]
楢岡城(秋田県大仙市)[24.1km]
金沢柵(秋田県横手市)[24.8km]
唐松城(秋田県大仙市)[26.3km]
白岩城の解説文
白岩城の口コミ情報
2022年08月05日 沼田乃豆腐屋
十六沢城[白岩城 周辺城郭]
十六沢城址は、大仙市中仙町の東端にあり小沼山に連なる標高200メートルの小高い山に位置している。
この城址の由来について「秋田県風土記」には、10世紀のころ宮藤六兵ェ、左近の将監に任じ、名を有信といって、小沼等八か村を有し、十六沢城を築いた。天喜5年(1057)兵火のため焼亡、建暦2年(1212)白岩城主善右ェ門のために落城したと記され、白岩の支城の役割を果たしていたと考えられている。そのあと天正年間に白岩城が角館城の戸沢盛安に攻められ落城し、十六沢城は廃城になったとあり、鎌倉時代初期の山城であったとおもわれる。今も馬場址や井戸沢の址といわれる場所が残され往時が偲ばれている。
頂上からは町全体がパノラマのように広がり、昭和54年に秋田県憩いの森の指定を受けている。
現在は十六沢城址緑地公園として、遊歩道や炊事場、休憩室などがあり、地元の中学生やボランティアなどにより整備されている。
また、令和4年7月にはマップが作られ、大仙市役所中仙支所や道の駅なかせんなどで配布されている。
①土塁
②横堀と畝状竪堀する
③西郭群
④本丸跡
⑤城址碑
⑥城下の眺め
⑦本丸南西部にある堀切
⑧本丸南西部にある堀切
2021年08月04日 沼田乃豆腐屋
太田城[白岩城 周辺城郭]
かつて仙北郡北部を支配した戸沢氏の家臣であった太田氏が居住した城跡と伝えられ、築地古舘という地名にもその名残がある。内城を中心に二重の水堀で囲まれた平城あったと言われており、現在も外堀や土塁の一部が残っている。天正18年(1590)に、豊臣秀吉の支城破却令により廃城となった。
現在の城跡には、東部地区生活改善センター、太田トレーニングセンター、おおた児童クラブがある。
①北側の復元土塁
②北側の外濠跡
③北側の内堀跡
④馬場跡には、おおた児童クラブが建っている
⑤東側にわずかに残る土塁。中央上部の通路がかつての大手口
⑥南側を流れる窪堰川。右上が城内。
遺構
貴重な武家屋敷群を残すことでも知られる角館城の東方約5kmの館山に位置する。その規模は東西250m、南北500mで南北に細長い地形を利用して築かれており、頂上を主郭として南へ向かって郭が連続的に構築されている。また、尾根続きの北側には空堀が設けられている。
城の西方の山麓には平城(居館)があったとされるが明確な遺構はなく、「平城」の地名にその名残をとどめるのみである。
歴史
正確な築城年代は不明だが、鎌倉時代からの土着の豪族とされる白岩氏が居城とした。白岩氏は後に角館城主である戸沢氏の家臣となったが、豊臣秀吉による奥州仕置によって天正18年(1590)城は廃城となった。平成14年(2002)からは毎年2月に白岩地域の活性化に取り組む住民グループらによって「白岩城址燈火祭」が行われている。
交通
・JR東日本田沢湖線・秋田新幹線・秋田内陸縦貫鉄道角館駅から車で約15分参考文献
・仙北市教育委員会提供資料。・『日本城郭大系 第2巻』新人物往来社、1980年。