金沢柵(かねざわさく)
金沢柵の基本情報
通称・別名
- 金沢城
所在地
- 秋田県横手市金沢中野字安本館
旧国名
- 羽後国
分類・構造
- 古代城柵
天守構造
- なし
築城主
- 清原氏
築城年
- 平安時代後期
主な改修者
- -
主な城主
- 清原氏、東将監(佐竹氏家臣)
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
大鳥井柵(秋田県横手市)[5.0km]
横手城(秋田県横手市)[6.0km]
六郷城(秋田県仙北郡)[6.9km]
四十二館(秋田県大仙市)[9.1km]
払田柵(秋田県大仙市)[10.9km]
吉田城(秋田県横手市)[10.9km]
本堂城(秋田県仙北郡)[11.8km]
大森城(秋田県横手市)[12.6km]
典膳館(岩手県和賀郡)[15.2km]
岩崎城(秋田県湯沢市)[19.4km]
金沢柵の解説文
金沢柵の口コミ情報
2024年04月15日 noble権中納言弥勒菩薩
金沢柵
後三年の役のメイン舞台、なかなか見応えがあります。本丸に何故か皇族3名様の石碑がありました。見に来られたんでしょうね。
2021年08月02日 【配龍】沼田乃豆腐屋
後三年合戦金沢資料館[金沢柵 御城印]
奥州藤原氏登場や中世武家社会誕生のきっかけとなった「後三年合戦」の最終決戦が繰り広げられた金沢地区にあります。「後三年合戦絵詞」(戎谷南山筆、重文模写)、秋田県指定文化財の経筒、遺跡発掘調査時の発掘品、金澤八幡宮の宝物などが展示されています。
令和3年7月31日より、『南部御城印プロジェクト』の一環として金澤城の御城印の発売が開始されました。
2021年07月04日 【配龍】沼田乃豆腐屋
物見山[金沢柵 寺社・史跡]
物見山(斥候山)
金沢柵の南側にある山で、後三年合戦の際に清原氏が物見の兵をおいたことにより、この呼び名が生まれた。
現在山頂には、創建年は不明だが大山祇命(山の神)を祀る八木沢神社が鎮座している。
また、参道脇には明治天皇御膳水となった岩清水が湧いている。
2021年07月04日 【配龍】沼田乃豆腐屋
西沼[金沢柵 寺社・史跡]
西沼は、後三年合戦の古戦場である。かの有名な『雁行の乱れ』の場所である。現在もヨシが生い茂り、往時の様子が偲ばれる。
【雁行の乱れとは…】
清原武衡は、金沢柵を目指して軍を進める源義家に奇襲を仕掛けようと伏兵を放った。薄の原に身を潜めて義家を待ち受けていた伏兵だったが、義家が上空を飛ぶ雁の乱れに気付いて、清原軍の伏兵がいることを察知し、これを討ち取った。
西沼のほとりには、平安の風わたる公園がある。後三年合戦の様子を描写した壁画レリーフや登場する人物のブロンズ像がある。
令和3年6月24日放送の『にっぽん縦断 こころ旅』で、火野正平さんが訪れた場所でもある。
2021年07月04日 【配龍】沼田乃豆腐屋
蛭藻沼[金沢柵 寺社・史跡]
後三年合戦のおり、金沢柵落城の後、清原武衡が潜伏していたとされる場所。刀の鞘の尻を切り、シュノーケルのようにして水中に潜んでいたが見付かり、生け捕りにされたと云われている。
令和3年6月24日放送の『にっぽん縦断 こころ旅』で、火野正平さんが訪れた場所でもある。
2021年05月27日 【配龍】沼田乃豆腐屋
西野館[金沢柵 周辺城郭]
源頼朝の奥州合戦(文治の戦い)の落武者、西野修理亮道俊の屋敷跡とされ、小野寺の臣として戦陣に加わった西野道房、道俊は末裔であろう。
館跡の北西部には堀跡が残る。
2021年05月25日 【配龍】沼田乃豆腐屋
黒川館[金沢柵 周辺城郭]
天正9年(1581)黒沢甚兵衛道家は、小野寺家の若年寄に就任、同時に黒川館の主となり、慶長6年(1601)小野寺氏の没落により廃城されるまでその任にあった。
この地に館が築かれたのは天文の頃(およそ450年前)の説もあり、黒川縫殿助が城主であったとされるが定かではない。
六郷城主六郷兵庫頭戦功覚(東京大学所蔵文書)に「慶長五年十月九日、於仙北黒川朝掛之合戦に首級五ツ御討取黒川城破る」と残されているが、このとき攻め落とされたのは黒川館か西野館か謎である。
現在は開墾されて遺構は確認できない。あたかも館のようなビニールハウスが並んでいるが…。
説明板の南西200m、辺り一面水田の中にポツンと「念仏塚」という御堂があり、地蔵様が祀られている。その御堂の中には城主黒沢家の由来が記されている。
2020年07月08日 マクスウェル
金沢柵
横手城の資料館入館料100円で市内の4施設が同日なら無料で利用できる説明でお伺いしました。麓に資料館がありこちらを最初に利用して100円払い横手城訪問も良いと思います。
駐車場にはトイレが設置されています。
2019年05月19日 【配龍】沼田乃豆腐屋
武者隠しの森[金沢柵 その他]
後三年合戦、清原家衡最期の地。金沢柵での籠城から、雑兵に扮して逃げ延びようとしたところを、敵方の「縣小次郎次任」(あがたのこじろうつぐとう)に射られた。
2017年07月25日 大隅守上
金沢柵
金沢公園を目指します。
金沢公園に駐車場が有りますが。
無視をして道なりに林道を進むと
やがて 案内板と駐車場があるのでそこに車を停めます。
成り立ち
金沢城(かねざわじょう)は、鎌倉時代以来の名門武士の家系である小野寺(おのでら)氏が14世紀後半頃に築いた城として伝えられている。15世紀中頃には現在の岩手県に本拠を置く南部氏が小野寺氏と争い、金沢城を一時支配下に置いたこともあった。その後、応仁2年(1468)小野寺泰道(やすみち)が南部氏を打ち破り、その子の道秀(みちひで)が城主となったが、小野寺氏の統治は、慶長5年(1600)奥羽合戦の結果終わりを迎える。
その後、常陸54万石の領主佐竹義宣が慶長7年(1602)に秋田藩に入部し、佐竹氏の統治下において当地は篤く保護され、金澤八幡宮や参道が整備されたが、金沢城は元和8年(1622)に破却された。
また、金沢城は平安時代後半に横手市周辺で起こったとされ、日本史の教科書にも載っている「後三年合戦(ごさんねんかっせん)」の決戦の地である「金沢柵(かねざわのさく)」の推定地としても知られているが、現在のところ場所の特定には至っていない。
横手市教育委員会では金沢柵の場所を特定するために平成19年から発掘調査を継続して行っており、平成26年度には金沢城跡に隣接する陣館遺跡から後三年合戦前後の時代のものと見られる四面庇付掘立柱建物跡などが検出され、徐々に全容が明らかになってきている。
現状
金沢城跡は、現在「金沢公園」として整備されており、桜やツツジの名所として市内外の方々が訪れるの憩いの場となっている。展望場所からは横手盆地を一望することが出来、城として拠点であったときの眺望の良さを伺うことが出来る。
特記事項
金沢公園の近くには、後三年合戦・金沢柵のガイダンス施設である「後三年合戦金沢資料館」がある。資料館では、郷土の文人・戎谷南山の模写による『後三年合戦絵詞』などを展示している。所在地: 秋田県横手市金沢中野字根小屋102-4、入場料:100円、問合せ先:TEL0182-37-3510