典膳館(てんぜんだて)
典膳館の基本情報
通称・別名
- 天膳館、天神館
所在地
- 岩手県和賀郡西和賀町沢内新町
旧国名
- 陸中国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 太田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
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典膳館の解説文
典膳館の口コミ情報
2026年06月23日 さよなら式部少輔急行津軽
典膳館
県道1号線を北上し、郵便局を越えて進み、道路沿いの説明板(1枚目)の箇所を左折し、中学校跡地への道を右折すると城跡から田んぼを挟んだ道路にでます。
中学校跡地には停められそうなスペースが見当たらなかったので、田んぼの東側の道路のスペースに車を停めました。
あぜ道は複数ありますが、城跡に向かうしっかりした道は二本程で、登城口に近いと思われる、南側の道(2枚目)を登城口に向かって歩きました。
登城口(3枚目)の側には標柱(4枚目)があり、この他には特に説明板等は見当たりませんでした。道は草に覆われており(5枚目)、歩きづらかったです。ただ、意外と広く、もしかしたら過去には車道として整備されていたのかもしれません。(腰曲輪とも思えませんし…)
突き当たりに本丸跡らしき場所(6枚目)がありましたが、特に登る道はありません。空堀で周囲と区切られているように見えました。
無理やり登って見ましたが、端は土塁(7枚目)となっていて高くなっていました。土塁から降りる道もないので、降りるときに滑って転びました。










遺構
西和賀町の中央部、和賀川の支流・本内川南側に東西に伸びる丘陵先端に位置する。北から順に主郭を含む3つの曲輪を配した連郭式山城で、北端には巨大な空堀と階段状の帯曲輪が、また南尾根筋には堀切が確認される。
西和賀町には8つの館が存在するが、典膳館はその中で最大の規模を誇るという。
歴史
築城年、築城主ともに不明だが、『西和賀広域エコミュージアム 地域資源リスト』では太田(筒井)縫殿之助の城と推察されるとしている。太田氏は和賀氏の重臣で、現在の碧祥寺(同町沢内字太田)に屋敷を構えていたことから、典膳館は縫殿之助の支城であったとも考えられる。
また、典膳館は伊達藩の家臣・片倉典膳が築城した、伊達政宗に仕えた片倉小十郎の先祖の地という説もあるが、確証に欠ける。
交通
・JR北上線ほっとゆだ駅から車で約20分参考文献
・『日本城郭大系 第2巻』新人物往来社、1980年。・『西和賀広域エコミュージアム 地域資源リスト』西和賀町、2007年。
・『週刊日本の城』デアゴスティーニ・ジャパン、2013年。