角館城(かくのだてじょう)
角館城の基本情報
通称・別名
- 古城山城、小松山城
所在地
- 秋田県仙北市角館町古城山
旧国名
- 羽後国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 角館氏?
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 戸沢氏、蘆名義広、佐竹氏
廃城年
- 元和6年(1620)
遺構
- 曲輪、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(古城山城跡(角館城址))
再建造物
- 石碑(古城山城)、説明板
周辺の城
-
白岩城(秋田県仙北市)[5.4km]
戸沢氏城館(秋田県仙北市)[6.7km]
本堂城(秋田県仙北郡)[14.2km]
払田柵(秋田県大仙市)[15.4km]
六郷城(秋田県仙北郡)[20.4km]
楢岡城(秋田県大仙市)[20.6km]
唐松城(秋田県大仙市)[21.0km]
四十二館(秋田県大仙市)[21.8km]
金沢柵(秋田県横手市)[26.0km]
典膳館(岩手県和賀郡)[27.7km]
角館城の解説文
有名な観光スポットなのも納得で、黒板壁の武家屋敷を歩いていると、藩政時代にタイムスリップしたかのような気持ちになれます。火除と呼ばれる広場を中心に、北側は武家屋敷が建ち並ぶ内町、南側は町人や商人が住む外町に区分されていました。
角館の城下町が"みちのくの小京都"と呼ばれるのも、桜と同様に藩主の妻と深い関わりがあります。芦名家の後を引き継いだ佐竹北家の初代・佐竹義隣と2代義明の妻は、いずれも京都の公家出身。そのため、京都の生活と文化が取り入れられたのです。
武家屋敷の北にある標高168メートルの古城山に築かれた角館城は、武家屋敷とはうって変わって観光客がいませんが、古城公園として整備されています。草が刈られているのは本丸だけですが、びっくりするほどの広さです。二の丸からは武家屋敷が見下ろせ、この地の主の居場所であることがとてもよくわかります。東に奥羽山脈、西に桧木川をのぞみ、北には秋田駒ヶ岳。南には城下町が一望できます。歴代藩主もこの地に立って、平和な角館の町並みを眺めていたのかもしれません。
登城道になっているところは後世の改変で、本来の登城道ではないようです。本丸北側に通じる道のほうが、どちらかというと近いかもしれません。車で5分もかかりませんから、武家屋敷とセットでぜひどうぞ。観光地として栄えているところですから、交通の便もよいのがいいところ。春はいわずもがな、紅葉のシーズンもなかなかおすすめです。
[引用元:Wikipedia「角館城」の項目]
角館城(かくのだてじょう)は、秋田県仙北市の角館地域にあった日本の城(山城)。別名、小松山城。戦国時代に戸沢氏の本拠地があったことで知られている。
歴史・沿革
応永31年(1424年)、戸沢氏は北浦郡の門屋城から角館城へ移った。居城移転には諸説があり、『戸沢家譜』には、戸沢氏重臣で小松山城主の角館能登守が上浦郡の小野寺氏と通じて謀叛を起こしたので、戸沢家盛がこれを討って小松山城を開城させ、後に居城を移転したとある。その後、戸沢氏は北浦郡内の国人領主の仙北前田氏、本堂氏、楢岡氏を傘下に組み込んだ。天正年間に活躍した当主戸沢盛安は、「鬼九郎」(夜叉九郎)の異名で呼ばれた。
関ヶ原の戦い後の慶長7年(1602年)、北浦郡を去った戸沢氏に代わり入部した蘆名義広(盛重)が角館城主(城趾は古城山(ふるしろやま))となり、現在の角館の元となる町割を行った。元和元年(1615年)の一国一城令発令に伴い元和6年(1620年)に廃城となった。のちに城主は麓の屋敷に居住し、防衛のための町割りを行ったとされている。[1]明暦2年(1656年)、蘆名氏が断絶すると佐竹義隣が出羽長野紫島城から角館へ入部し、以後明治まで続いた。
現在、角館城南側一帯は蘆名氏や佐竹氏家臣たちによって造られた侍屋敷が建ち並び、「みちのくの小京都」と呼ばれている。
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角館城の口コミ情報
2020年10月09日 たけし
角館城
その昔は山城で、その後は山の麓に城を移したと地元の人が言っておりました。ただ、現在は山の麓の敷地は宗教団体が土地を購入しているので入る事は出来ません。
一方、山の方は公園や、お散歩(プチ登山)コースになっていて、山城であったであろう場所は何となく遺構が残っています。
プチ登山道は、そこそこ整備されており、裏の山を管理する道は車が入れる道に整備されていました。
山から望む城下町は絶景でした!一汗かきますが、登る価値はあります!!
2020年09月27日 兵部卿藤重真
角館城
お山の麓に駐車場があります。お城と言うより桜の名所みたいで、お城の詳しい案内板等はありません。本丸からの眺望はなかなかです。
2020年01月29日 恭任非参議侍従
天寧寺[角館城 寺社・史跡]
観光地である角館にありながら、観光客はゼロ。御朱印頂けます。
大河ドラマ「独眼竜政宗」において、本寺会津天寧寺は伊達軍の焼き討ちにあって消滅した、事になっているが、会津、角館ともに現存する。ご住職はこの件nhkに抗議をしたが、ドラマはあくまでフィクション、との返事だったそうです。
歴史を学ぼうとする者は、歴史を装った物語、に気を付けなくてはならないと思います。
2020年01月29日 恭任非参議侍従
天寧寺[角館城 寺社・史跡]
曹洞宗、萬松山天寧寺(ばんしょうざんてんねいじ)。角館葦名氏菩提寺。山門は角館城薬医門の移築とされる。
会津若松市の天寧寺を本寺として、葦名氏の入府により開山。葦名義勝(=盛重)、盛俊、千鶴丸まで、三代の墓地も現存する。
また、佐竹氏転封に伴い、同行した真壁氏の分家の菩提寺でもあったが、こちらの分家は、江戸中期に久保田城下に移転したため、墓地も移転し、墓碑のみが残る。
2019年05月03日 さすらい
ビューポイント[角館城 その他]
ここの休憩所から、城下町が一望できます。
2016年10月25日 さっきー
角館城
武家屋敷より歩いて、結婚式場を越えると、入口が見えてきます。敷地内の階段や道は、管理が行き届いて歩きやすい。しかし、傾斜はキツい方だと思います。
2016年09月08日 永眠武蔵守釋 葱進
角館城
角館駅から武家屋敷の町並みを進み突き当たり右折(ここまで徒歩30分程度)すると程なく左手に古城山公園への急坂が見えます。そこを登ると石碑及び公園案内板があります(車はその付近に停められる)。
石碑からすぐ右手に丸太等で整備された登山道があり、ゆっくり歩いて頂上まで20分ほど(健脚者なら10分ほどで登れるかも)
階段が苦手な方は公園管理用と思われる舗装された桜並木を通るとよいでしょう。
本丸にあたる頂上付近からは武家屋敷の町並みを俯瞰できます。
2015年10月18日 STRADA
角館城
国道46号線の武家屋敷入口の信号から城廻の信号までの間、左手に古城公園への道が有りますが、解りにくいです。ESSOの前です。坂道が急なので、そーっと行っても車を擦ります(>_<)
2013年08月28日 中務少輔きたろう三世
角館城
駐車場から10分もかからず本丸に着く。郭や土塁が整備されている。武家屋敷からも近い。
角館城の周辺観光情報
田沢湖
ほぼ円形をしたカルデラ湖で、深さは423.4メートルと日本最深となっている。湖畔には遊覧船も就航しているほか、周囲にはキャンプ場や伝説の美女ゆかりの「たつこ」像があるなど見どころが多い。
お問い合わせ:仙北市田沢湖観光情報センター「フォレイク」(0187-43-2111)
武家屋敷
江戸時代のはじめ、芦名氏により大規模な都市計画が実施され、その後は佐竹北家の城下町として栄えた角館。現在も重厚な武家屋敷を中心とした当時の街並みが保存されており、江戸時代にタイムスリップしたような気分が味わえる。武家屋敷通りには多くの飲食店や土産物店も並び、街並みを楽しみつつ食べ歩きやショッピングを楽しむこともできる。
お問い合わせ:仙北市観光情報センター「角館駅前蔵」(0187-54-2700)
抱返り渓谷
「東北の耶馬溪」とも称され、渓谷両岸の原生林と滝、独特の青い渓流が美しい。新緑や紅葉の季節を中心に、名画のような素晴らしい眺望を楽しむことができる。
お問い合わせ:仙北市田沢湖観光情報センター「フォレイク」(0187-43-2111)
金峰神社
養老2年(718)創建。蓮池観音とも呼ばれています。社殿に向かう参道の杉木立は350~800年以上といわれ、県指定天然記念物。
安政4年(1857)に建立された身長3.8mの仁王像は、杉の巨木1本の木によって彫像されています。菅江真澄絶筆の地。
お問い合わせ:仙北市田沢湖観光情報センター「フォレイク」(0187-43-2111)
角館城の周辺スポット情報
武家屋敷-小田野家(遺構・復元物)
武家屋敷-河原田家(遺構・復元物)
武家屋敷-松本家(遺構・復元物)
武家屋敷-青柳家(遺構・復元物)
武家屋敷-石黒家(遺構・復元物)
武家屋敷- 岩橋家(遺構・復元物)
角館武家屋敷(遺構・復元物)
武家屋敷-西宮家(遺構・復元物)
青柳家薬医門(遺構・復元物)
本丸(遺構・復元物)
旧角館城移築薬医門(遺構・復元物)
小松山城址(碑・説明板)
角館城址碑・古城山案内図(碑・説明板)
天寧寺(寺社・史跡)
松庵寺(寺社・史跡)
駐車場(駐車場)
仙北市観光情報センター(関連施設)
仙北市総合情報センター学習資料館(関連施設)
ビューポイント(その他)