楢岡城(ならおかじょう)
楢岡城の基本情報
通称・別名
- 揚土城
所在地
- 秋田県大仙市南外揚土
旧国名
- 羽後国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 佐原氏
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 佐原氏、楢岡(小笠原)氏
廃城年
- 慶長6年(1601)
遺構
- 曲輪、腰曲輪、堀切、横堀(空堀)、土塁、虎口
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
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楢岡城の解説文
楢岡城の口コミ情報
2021年06月12日 沼田乃豆腐屋
松山城[楢岡城 周辺城郭]
松山は別名鶴の羽形城とも称され、その昔安倍一族の居城として武威を四方に誇った場所と云われる。いまだに松山には本丸、二の丸、馬場跡等が歴然として昔の影をとどめている。松山には、血浴沢、忍長峰等、源家と安倍一族との争いにまつわる安倍貞任の娘 貞姫と八幡太郎義家の悲恋を物語る地名も数多く残されている。
現在は姫神公園となっており、研修施設やテニスコートがある。高台にあり、仙北平野が見下ろせる。
(目玉のひとつだったジャンボ滑り台は、老朽化により現在は使用禁止になっている。)
①本丸南西部の二重堀切
②二重堀切の内堀
③内堀は本丸北側に廻り込む横堀に変化
④本丸跡に残る土壇
⑤本丸南東部の腰郭
⑥二の丸跡
⑦標柱
⑧本丸と二の丸の間の馬場跡
楢岡城の周辺スポット情報
松山城(周辺城郭)
南方に出の丸があり、井戸跡がある。
主郭の西側は底幅約2m、深さ10mの堀切で背後の山地と画す。二の郭は東西約25m、南北約45mの削平地で西縁に土塁がある。南に1つ、東に2段の腰郭がある。
底幅約2mの堀をはさんで三の郭があり、40aの削平地で途中1mの段差があり、井戸跡がある。8m下に馬場跡とよぶ帯郭がある。中に門跡らしき土盛がある。
大手筋は三の郭の南斜面で登り口に削平地で砂利敷であった。
西麓に城主楢岡氏の菩提寺・常泉寺があり、その背後に幅約25mの空堀がある。
武家屋敷の揚土集落、城下町の横町、柳町、又鍔野の字地を残す。
佐原太郎時連の城であったが、長禄2年、平鹿郡増田城主・小笠原信濃次郎光冬(尾張守長景)が滅ぼし、翌年移住し楢岡氏と称す。
楢岡氏は戸沢氏と姻戚関係を結び、重臣として勢力をもつ。楢岡左馬介清長(長信)、同右衛門尉光清の名を伝える。