神宮寺掃部館
神宮寺掃部館([楢岡城 周辺城郭])
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神宮寺掃部館の口コミ情報
2023年04月21日 【配龍】沼田乃豆腐屋
神宮寺掃部館(じんぐうじかもんだて)
館は単郭で東西175m南北72mの長方形をなし周囲の水田より3mほど高くなっている。北西隅には土塁らしき跡があり現在は奥羽本線によって南北に二分されている。周囲を水堀で囲まれていたというが水田となり痕跡不明である。
明治36年頃の鉄道工事の際に館跡から兜の八幡座が発見され、現在は神宮寺八幡神社が所蔵している。
館主は小野寺信道の三男小野寺道珍で神宮寺藤七と呼ばれ戦国期には大曲城主前田薩摩守利信の弟又三郎(神宮寺掃部介)の居館といい、利信も天正十年(1582年)大曲城落城後居住したという。
神宮寺掃部介は天正十七年(1589年)に安東氏の内紛(湊騒動)に戸沢氏配下として出陣し討死したという。
江戸時代、館の広さは約二町歩あったという。
※館跡は私有地である。近所の方に許可をいただいて、散策をさせていただいた。
①館跡にある標柱
②館跡は周りより2〜3m高くなっている
③館跡上部は平坦で広い
④西部には大きめの石がある。地元の方曰く「一部石垣があったとか?」
⑤館跡の南にそびえる神宮寺嶽。通称「嶽(だけ)」
⑥館跡内部を滑るように走る秋田新幹線こまち