牛岐城(うしきじょう)
牛岐城の基本情報
通称・別名
- 富岡城、浮亀城
所在地
- 徳島県阿南市富岡町トノ町(牛岐城趾公園)
旧国名
- 阿波国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 新開氏
築城年
- 14世紀?
主な改修者
- 不明
主な城主
- 新開氏、香宗我部親泰、賀島政慶
廃城年
- 寛永15年(1638)
遺構
- 石垣
指定文化財
- -
再建造物
- 模擬門、碑、説明板
周辺の城
-
平島館(徳島県阿南市)[3.5km]
立江城(徳島県小松島市)[7.3km]
松鶴城(徳島県阿南市)[10.1km]
片志城(徳島県徳島市)[14.8km]
仁宇城(徳島県那賀郡)[15.9km]
津田城(徳島県徳島市)[16.5km]
夷山城(徳島県徳島市)[18.2km]
徳島城(徳島県徳島市)[19.6km]
鈴江城(徳島県徳島市)[21.4km]
蔵本城(徳島県徳島市)[22.0km]
牛岐城の解説文
[引用元:Wikipedia「牛岐城」の項目]
牛岐城(うしきじょう)は、徳島県阿南市富岡町にある日本の城跡。阿南駅から北西500メートル。周辺は牛岐城址公園として整備されている。別名は富岡城、浮亀城。海部郡牟岐町にある「牟岐城(むぎじょう)」とは異なる。
歴史
牛岐城周辺は牛牧荘(庄)と呼ばれていた。私牧として牛や馬が多く飼われていたと思われる。その後中央の権力者や大社寺に寄進され、鎌倉幕府により地頭職が設けられ、維持、管理されるようになる。1203年には、牛牧荘は高野山領となり1351年には仁和寺領となっている。牛牧荘とは旧富岡町の地区を表したものでその政治の中心地が牛岐城であることを表している[1]。築城年代は明らかにされていないが、至徳年間(1384年 - 1386年)に細川氏に従っていた新開実重が、阿波国に入った際に築城(浮亀城)した説が有力である。
天正10年(1582年)、城主であった新開実綱(新開道善)が長宗我部元親に謀殺され、香宗我部親泰が入った。
天正13年(1585年)、蜂須賀家政が阿波国を領有とし、支城群阿波九城の一つとして家老である賀島主水政慶に1万石を与え、城代とした。政慶は入城後、牛岐の地を富岡と改名したため、牛岐城も富岡城と呼ばれるようになった。
その後、寛永15年(1638年)に一国一城令により廃城となった。蔵屋敷だけを残し取り壊された[2]。
1768年に描かれた「牛岐・富岡城絵図」は、2010年に阿南市文化財に指定された[3]。
遺構
城の南は湿地帯で、北は多門が淵といって深い川であった。城山はひょうたん型の小山であり、中央のくぼんだ所を山越えして通行していた。城のあった小山の周囲に堀を巡らせていたと窺えるが、宅地開発などにより遺構のほとんどは失われている。大正2年(1913年)の道路工事で、城山は南北に分かれた[4]。かろうじて残った元の城山の南半分の頂上に、八角形の展望室を設置するなどした「牛岐城址公園」となっている。産業記念館(後に牛岐城資料館)の建設前に行なわれた発掘調査で、主郭部分に石垣が認められ、徳島城と同様の野面積みであったことが確認された。元の城山の北半分には新開遠江守実綱の神社がある。
参考文献
- 【書籍】「阿波国蜂須賀氏の支城「阿波九城」について 」
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牛岐城の口コミ情報
2024年08月11日 小太郎左衛門督南海道22國守
牛岐城
牛岐城址公園となっており、公園内の管理事務所前に見学者専用の駐車場がある。説明板等整備されている。天守代わりか小山上に産業会館があるが、見学には管理事務所の許可が必要らしい。小山の頂上付近は、恋人の聖地となっている。8月10日訪問。
2023年08月06日 ( *¯ ³¯)っ旦
牛岐城
夜に行くと大変に綺麗で遠くからでもよくわかります。
2023年07月26日 国府左京大夫城介
高源寺城[牛岐城 周辺城郭]
阿波では珍しい連続堀切を有する城
【歴史】
永禄年間(1558~1570)に、桑野康明によって築城されたと伝わる。天正年間には、佐藤伊賀守が城主になっている。
桑野康明は、桑野城主の東条氏(甲斐武田氏の庶流)の一族で、長宗我部氏が阿波に入ると仕え、天正10年(1582)の中富川の戦いで活躍したが、同年長宗我部元親により暗殺されている。
【遺構】
牛岐城から南西に約6.3kmに位置する南側に張り出した尾根(標高80m/比高70m)上に築かれている。
主郭が最も高い所にあり、二段に区切られている。北側は尾根を切断する堀切が4条連続しており、主郭から数えて2つ目の堀切が最大のもので、かなり下まで竪堀として落ちている。尾根側の2条は中央に土橋が残っている。また、南側はやや傾斜はあるが、曲輪が複数設けられている。
【感想】
阿波の中世城郭は主郭を中心に円形上に曲輪を設置する縄張りが多いですが、珍しく堀切が連続しており、関東や信濃の城を想起します。遺構は極めて良好に残っており、主郭の北側にある4連堀切が一番の見所といえます。堀切自体も深く、竪堀もかなり鋭く落ちており、一番北側にある堀切は林道からもはっきりと視認することが出来ます。
特に城として整備されている訳ではないですが、里山として手入れされているのか、夏場でありながら藪がなく、遺構を明瞭に確認することが出来ます。
【アクセス】
桑野駅から徒歩30分。高源寺城の西側にある林道を使って北尾根からアクセスできる。
【写真】
①登城口と遠景
②堀切1
③堀切1の竪堀
④堀切2
⑤堀切3
⑥堀切4
⑦主郭
⑧南側の曲輪の切岸
2022年05月03日 織田上総介晃司
牛岐城
牛岐城趾公園管理事務所に駐車場があります。
模擬城門はいつでも見ることはできますが、現存石垣は牛岐城趾館(旧称・牛岐城趾公園産業展示館)の開館時間(10:00〜18:00)でないと見ることができないので夜討ち朝駆けでは無理です。月曜も休館日なので無理です(でも夜討ちだとキラキラドームのイルミネーションは見ることができます)
しかも開館時間でも鍵が掛かってる事が多く、管理事務所に申請して鍵を開けてもらうようになります。
阿南市に青色発光ダイオードを製造した会社があるのでPRのためキラキラドームのイルミネーションをしています。しかも恋人の聖地だとか…
2022年04月18日 583系備前守きたぐに
牛岐城
JR四国阿南駅下車徒歩10分。道を挟んで南側本丸付近が城址公園として整備され、北側は新開神社になっていますが、道ができるまでは1つの城山だったそうです。城址公園の写真の本丸の建物は産業展示館。中に石垣が保存されているようですが、開館時間内でないと見れません。また、写真の高麗門は平成になって作られたものです。
産業展示館は夜間ライトアップされ、写真のように鍵かけコーナーを設置するなど、公園当局も城マニアよりはカップルを呼び込みたいようです。
一方、道の北側は開発の手が入っておらず、神社の境内となっていますが、個人宅の菜園と建物の間に細い参道があるので、なかなか入っていきにくい状態です。
2022年01月15日 土佐香美真乃佐
牛岐城
石垣の遺稿がかすかに残っていた、場所としての状態は確認出来た。
2021年07月04日 関白 大神信貫
牛岐城
今月11日まで牛岐城跡パネル展を開催してます。開場時間は10時00分〜16時00分までです。
2020年01月30日 d.f.t.渡島守
西方城[牛岐城 周辺城郭]
比高120m、駐車は城跡北側の日亜化学工場さんが公式に認めて下さってます。
登城口は城山北側の道路沿い。きわめて整備良好。北側道路を西に進み、コンクリート工場手前で南の路地へ進むと搦手口。私はここから登りましたが、ブッシュ、倒木多数。よほどの物好きの方以外オススメしません(笑)
正規ルートから登ると頂上は展望台で周り全て防護ネットに囲まれ、一瞬絶望しそうになりますが、1Fベンチの奥に防護ネット張ってない箇所(先人達が行った痕跡あり)をよじ登ると主郭虎口です。
坂虎口+横矢掛けと阿波国では珍しい最新システム(笑)竹やぶの主郭下には帯郭がキレイに残ってます。主郭背後は2重堀切で守りますが、1条目は鉄塔郭(笑)の建設で半破壊され、2条目は風化して甘~い感じです。
主郭東の腰郭群へは城跡東の八幡神社裏手から登れますが、かなり風化している上、ボロボロした土で非常に登りづらいです。
【関連城郭】
南へ5km、西方城主の一族が守った「高源寺城」があります。コンパクトですが4重堀切、竪堀、竪土塁と阿波国にしてはオーバースペックな遺構が明瞭に残ります(実はこっちの方がオススメ(笑))西方城と併せて登城してみてはいかがでしょうか。
2019年09月19日 ひー様
牛岐城
職員の方に案内してもらいました。城址は大正時に道路建設で分断され北側は新開神社が祀られてます。城址の石垣の大半が桑野川の堤防建設に持ち去られ展示以外に山頂付近にも少し残ってます。北は桑野川東側は沼地だったらしく、南側の高さのある土塁を見てもかなりの要害だったと想像できました。
2017年09月22日 なおちん
牛岐城
キラキラドームなるものがあり、夜になると文字通り、キラキラしています。
なんでも、ここ阿南にはLEDの青色ダイオードの本社があるからなんだそうです。
駐車場はなさそうですが、トイレはあったように思います。
2016年01月11日 コロ助
牛岐城
阿南駅から徒歩10分。城趾公園になっています。
公園内の牛岐城趾館に石垣が僅に保存されています。牛岐城趾館に入るには、公園事務所に声をかける必要があります(入館無料、10~18時)。
景観としての城門はありますが、遺構は石垣以外には見当たりませんでした。
青色発光ダイオードを作った企業が阿南市にある関係で“光のまち阿南”という取組をされているらしく、城趾公園はイルミネーションがキラキラ。恋人の聖地に選定されていますが、イルミネーションは独りで見ても綺麗でした。
駅前の観光案内所で『AKB』というタイトルの阿南市観光ブックが貰えます。お城の説明と石垣の写真が少し載っていて、牛岐城趾館のパンフレットよりも少しだけ詳しく記載されています。イルミネーションキラキラの公園のポストカードも貰えました。