津田城(つだじょう)
津田城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 徳島県徳島市津田西町
旧国名
- 阿波国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 桑村隼人亮
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 桑村隼人亮
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- -
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-
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津田城の解説文
津田城の口コミ情報
2020年10月31日 稲田阿波守植元
津田砲台場公園[津田城 関連施設]
嘉永六年、ペリー来航により海外からの脅威を覚えた徳川幕府は諸藩に海防の強化を命じます。阿波徳島藩もこれを受け津田城の東に大砲三十門を配置した高台を築きます。これが今、僅かな遺構を留めた小さな公園として残っています。
住宅街のど真ん中にある小さな公園なのでいささか道に迷いました😅当時の工事は最寄りの津田城から土石を採取して築いたとの事。遺構としては火薬庫の障壁の一部と土塁が残るのみです。往時は100m以上の規模を誇っていたようです。
時の藩主が徳川将軍の実子だった等、諸事情により薩長土に次ぐ雄藩になりきれなかった阿波徳島藩。この江戸末期の遺構はそんな寂しさを感じさせるような……。
津田浦は中世には春日神社領津田島の遺称地とされ、藩政期には川口番所が置かれる重要な港であった。徳島県教育委員会による徳島県中世城館跡総合調査報告書『徳島県の中世城館』(2011年発行)によると、津田城跡は津田八幡神社裏の津田山の標高41mの頂上に位置していたようだが、石取りや公園整備等によりたびたび破壊を受けており、現在はその規模や構造がほとんどわからなくなっているとある。現在津田山山麓に位置する津田八幡神社はもともと津田山山上にあり、慶長年間に東麓の現在地に遷座したという。なお、『日本城郭大系』で城跡とされる津田山の南の標高77mの山頂部には遺構は見当たらない。