矢野城(やのじょう)
矢野城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 徳島県徳島市国府町矢野
旧国名
- 阿波国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 矢野国村
築城年
- 永禄年間(1558〜1570)
主な改修者
- -
主な城主
- 矢野氏
廃城年
- 不明
遺構
- 曲輪、土塁
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
一宮城(徳島県徳島市)[2.8km]
芝原城(徳島県徳島市)[3.8km]
蔵本城(徳島県徳島市)[5.0km]
夷山城(徳島県徳島市)[6.2km]
今切城(徳島県徳島市)[6.7km]
徳島城(徳島県徳島市)[8.1km]
板西城(徳島県板野郡)[8.4km]
片志城(徳島県徳島市)[8.6km]
西条城(徳島県阿波市)[9.1km]
勝瑞城(徳島県板野郡)[9.5km]
矢野城の解説文
矢野城の口コミ情報
2024年06月15日 小太郎左衛門督南海道22國守
矢野城
徳島市立考古資料館に駐車しアクセス。徒歩で行軍するも、石垣等は確認するも中心部は山林で防御されていました。
2023年11月13日 阿波守カンチュリー
矢野城
阿波史跡公園の近くの住宅街にぽつんとありました。
2023年07月31日 国府左京大夫城介
鳥坂城[矢野城 周辺城郭]
阿波守護職となった佐々木氏の居城
【歴史】
文治2年(1186)に、佐々木経高によって築かれたと伝わる。佐々木経高は淡路・阿波・土佐の守護職に任じられ、その拠点として鳥坂(とっさか)城を築いたが、承久の乱では後鳥羽上皇方に属すが、敗戦後自害した。乱後、阿波の守護職になった小笠原長清は、鳥坂城に攻め込み、守っていた経高の次男である高兼を討ち滅ぼした。
その後の詳細は不明だが、遺構から戦国時代まで利用されていたようである。
別名:茶臼山城
【遺構】
矢野城から北西1.1kmに位置する茶臼山(標高75m)に築かれている。山頂の主郭を中心に、同心円状に4、5段の腰曲輪があり、虎口や石積み、竪堀が残る。北側の腰曲輪には畝状竪堀がある。主郭の南側には堀切があり、気延山へ続く尾根を切断している。
【感想】
鳥坂城は阿波の国府(現在の観音寺付近)の西に位置し、その南には国分尼寺があります。そのため、承久の乱以前は阿波守護職の居城としての立地は申し分ないです。しかい、残存する遺構は明らかに戦国時代のものであり、佐々木氏が築いた鳥坂城は山上ではなく麓に居館があったのではないかと思われます。また、矢野城から約1kmほどしか離れていないことを考えると、戦国時代には矢野城の支城だった可能性もあります。
矢野城がある阿波史跡公園や気延山からのハイキングコースもあるようですが、ほとんど整備がなされていない状態でした。藪もそこそこあり、そのため畝状竪堀は確認することが出来ませんでした。主郭南側の堀切や曲輪ごとに虎口あったり、所々石積みも残っていますが、それほど規模が大きい城ではありません。しかし、同心円状の曲輪はきっちりと削平が行われていることから、それなりの期間は運用されていたと思われます。
【アクセス】
石井駅から徒歩で約25分。車でアクセスする場合は、阿波国分尼寺の駐車場を利用するとよい。
【写真】
①登城口
②主郭南側の堀切
③登城道脇に残る石積み
④曲輪の虎口
⑤曲輪
⑥主郭(山頂部)
⑦史跡公園散策コース図
2021年12月18日 やまてつ伊予守
矢野城
近くの資料館?に車を停められます。住宅地の中の路地を進むと小さな案内標識があるので、そこから城山神社に上れます。古墳もあります。
2019年03月30日 馬秀のすけ
矢野城
考古資料館駐車場の横に登城道がありました。城山神社があり、石碑がいくつかあった。城跡の遺構はよくわからない。
日本初のクリスマス発祥の石碑にびっくりポン!
2016年11月05日 久原守
矢野城
近くに矢野古墳という古墳があって石室にはいれる。
矢野城の周辺スポット情報
案内板(碑・説明板)
轟城(周辺城郭)
鳥坂城(周辺城郭)
阿波国分尼寺跡駐車場(駐車場)
鳥坂城跡登城口(その他)
『城跡記』によると、矢野城は天正10(1582)年に落城したとされるが、駿河守が戦死したのちは廃城に近い状態だったと推測される。
城跡は徳島市国府町の気延山から東方に派生する標高30mの丘陵尾根の先端部に位置する。現在、主郭には城主を祀った城山神社があるほかは山林化している。
尾根の北側斜面の段々畑は戦後に開墾されたものだが、遺構の保存状況は比較的良いと考えられている。居館の位置については不明である。