鳥坂城
鳥坂城([矢野城 周辺城郭])
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鳥坂城の口コミ情報
2023年07月31日 国府左京大夫城介
阿波守護職となった佐々木氏の居城
【歴史】
文治2年(1186)に、佐々木経高によって築かれたと伝わる。佐々木経高は淡路・阿波・土佐の守護職に任じられ、その拠点として鳥坂(とっさか)城を築いたが、承久の乱では後鳥羽上皇方に属すが、敗戦後自害した。乱後、阿波の守護職になった小笠原長清は、鳥坂城に攻め込み、守っていた経高の次男である高兼を討ち滅ぼした。
その後の詳細は不明だが、遺構から戦国時代まで利用されていたようである。
別名:茶臼山城
【遺構】
矢野城から北西1.1kmに位置する茶臼山(標高75m)に築かれている。山頂の主郭を中心に、同心円状に4、5段の腰曲輪があり、虎口や石積み、竪堀が残る。北側の腰曲輪には畝状竪堀がある。主郭の南側には堀切があり、気延山へ続く尾根を切断している。
【感想】
鳥坂城は阿波の国府(現在の観音寺付近)の西に位置し、その南には国分尼寺があります。そのため、承久の乱以前は阿波守護職の居城としての立地は申し分ないです。しかい、残存する遺構は明らかに戦国時代のものであり、佐々木氏が築いた鳥坂城は山上ではなく麓に居館があったのではないかと思われます。また、矢野城から約1kmほどしか離れていないことを考えると、戦国時代には矢野城の支城だった可能性もあります。
矢野城がある阿波史跡公園や気延山からのハイキングコースもあるようですが、ほとんど整備がなされていない状態でした。藪もそこそこあり、そのため畝状竪堀は確認することが出来ませんでした。主郭南側の堀切や曲輪ごとに虎口あったり、所々石積みも残っていますが、それほど規模が大きい城ではありません。しかし、同心円状の曲輪はきっちりと削平が行われていることから、それなりの期間は運用されていたと思われます。
【アクセス】
石井駅から徒歩で約25分。車でアクセスする場合は、阿波国分尼寺の駐車場を利用するとよい。
【写真】
①登城口
②主郭南側の堀切
③登城道脇に残る石積み
④曲輪の虎口
⑤曲輪
⑥主郭(山頂部)
⑦史跡公園散策コース図