西条城(さいじょうじょう)
西条城の基本情報
通称・別名
- 西条東城、戎城、西城
所在地
- 徳島県阿波市吉野町西条
旧国名
- 阿波国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 森春之
築城年
- 正平元年〔南朝〕/貞和2年〔北朝〕(1346)
主な改修者
- 蜂須賀家政
主な城主
- 森春之、岡本清宗、森監物(蜂須賀氏家臣)
廃城年
- 寛永15年(1638)
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
秋月城(徳島県阿波市)[6.5km]
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板西城(徳島県板野郡)[7.3km]
芝原城(徳島県徳島市)[7.5km]
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勝瑞城(徳島県板野郡)[13.4km]
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西条城の解説文
[引用元:Wikipedia「西条城」の項目]
西条城(さいじょうじょう)は、徳島県阿波市吉野町西条にあった日本の城。別名は西条東城、戎城、西城。
概要
貞和2年(1346年)に秋月城の支城として築城[1]。長宗我部元親によって滅ぼされた勝瑞城と運命を共に落城した。
天正13年(1585年)に蜂須賀家政が阿波国に入国し、阿波九城のひとつとして整備された。森監物が城代(支城主)として入り、5500石の石高を有した[2]。その後寛永15年(1638年)、一国一城令によって廃城となった。
城跡は、後世の開墾により不明であるが、明治期に作成された地籍図などから、方形の居館であったことが窺える。現在では「天守台」と呼ばれる高さ6メートルほどの小丘に、城跡を示す石碑と森監物をまつる小さな祠がある。
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西条城の口コミ情報
2024年09月12日 忍びⅡ
西条城
ここは、まったく整備されていません。竹やぶがあるだけです。猛暑で進入口もみつかりません。
2024年06月09日 小太郎左衛門督南畿道19國守
西条城
阿波東交番東側の一條神社に駐車し徒歩にて行軍。民家横の竹藪に覆われています。6月9日訪問。