秋月城(あきづきじょう)
秋月城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 徳島県阿波市土成町秋月
旧国名
- 阿波国
分類・構造
- 平城
天守構造
- なし
築城主
- 細川和氏
築城年
- 延元元年〔南朝〕/建武3年〔北朝〕(1336)
主な改修者
- -
主な城主
- 細川氏、秋月氏
廃城年
- 天正7年(1579)
遺構
- 土塁
指定文化財
- 市史跡(秋月城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
川島城(徳島県吉野川市)[4.0km]
上桜城(徳島県吉野川市)[5.4km]
西条城(徳島県阿波市)[6.5km]
久千田城(徳島県阿波市)[6.6km]
虎丸城(香川県東かがわ市)[12.7km]
板西城(徳島県板野郡)[13.2km]
芝原城(徳島県徳島市)[14.0km]
矢野城(徳島県徳島市)[15.2km]
上山城(徳島県名西郡)[15.3km]
一宮城(徳島県徳島市)[15.8km]
秋月城の解説文
[引用元:Wikipedia「秋月城」の項目]
秋月城(あきづきじょう)は、室町時代の阿波国阿波郡秋月庄、現在の徳島県阿波市土成町秋月にあった日本の城。阿波市指定史跡。
概要
建武の新政により小笠原氏(後の三好氏)に代って阿波国守護となって入国した細川和氏・頼春兄弟が、当地の土豪の阿波秋月氏(粟国造の末裔とされる)の受け入りにより築いた守護居館をもとに建武3年(1336年)に築城された[1]。管領となった頼之の弟で阿波細川家の祖となった詮春の代の南朝:正平18年/北朝:貞治2年(1363年)に守護の居城は勝瑞城に移り、その後は秋月氏が居城した。天正7年(1579年)、長宗我部元親によって攻められ落城、廃城となった。
参考文献
- 平井聖ほか 1979『日本城郭大系』第15巻(香川・徳島・高知)新人物往来社 pp.187-189
- 阿波市秘書人事課 2019「阿波市 国・県・市指定文化財一覧」『あすに向かって人の花咲くやすらぎと感動の郷土・阿波市(阿波市勢要覧)(https://www.city.awa.lg.jp/docs/2011040600035/)』統計資料編(https://www.city.awa.lg.jp/docs/2011040600035/file_contents/2019siseiyouran_siryouhen.pdf) pp.14-15
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秋月城の口コミ情報
2024年06月09日 小太郎左衛門督南畿道19國守
秋月城
県道沿に石碑、説明板が南向きに設置されている。同所は若干余地がある。城跡は北側墓地の更に北側の模様。6月9日訪問。
2023年07月13日 RED副将軍
秋月城
管領を輩出した阿波細川氏発祥の城跡🏯
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
1336年に細川和氏により築城。細川和氏は、鎌倉御家人である細川公頼の子であり、1333年に後醍醐天皇による建武の新政が開始されると阿波国守護に任じられ、足利尊氏に従い中先代の乱の鎮圧に参加。足利尊氏が建武政権から離反すると、細川和氏も離反し足利尊氏に従います。足利尊氏が官軍との京都奪還戦に敗れて九州へ落ち延びると、細川和氏は従兄弟の細川顕氏とともに四国へ渡り兵を募りました。細川和氏を四国で迎え入れたのが阿波秋月氏であり、細川和氏は秋月城を築いて居城としたのが築城の経緯です。秋月城は、細川氏三代の居城となりましたが、三代細川頼之が管領として上洛すると弟の細川詮春は勝瑞城に移り、その後は秋月氏の居城となりました。1579年に長宗我部元親による侵攻で落城し、廃城となりました。
見所
現在は、県道139号により城跡は分断されており、県道北側は墓地となり消失しています。城跡碑と案内板が墓地入り口に立っています。
2023年01月01日 尼崎城駿河守一口城主
秋月城
1月1日登城。現在、四国の歩き遍路に挑戦中で9番札所から10番札所に向けて歩いていると年季の入ったお城の看板(写真①)がたまたま目に入り訪城。思いがけず今年最初のリア攻めとなりました。城跡は現在この地域の墓地になっており墓地🪦の入口にお城の石碑と説明板がありました。訪城時、椿がきれいに咲いていたので石碑と合わせて撮ってみました📷
2022年01月10日 やまてつ伊予守
秋月城
石板等があるので見付けやすいですが、近くに車を停められる所が見当たりませんでした。