芝原城(しばはらじょう)

芝原城の基本情報

通称・別名

所在地

徳島県徳島市国府町芝原(蔵珠院付近)

旧国名

阿波国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

久米義広

築城年

不明

主な改修者

主な城主

久米氏

廃城年

天文22年(1553)

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

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芝原城の解説文

芝原城跡は吉野川と飯尾川に挟まれた標高8mの沖積地に位置する。

城主は久米義廣で、天文22(1553)年に三好義賢に対して挙兵した人物である。久米義廣は野田山城主野田内蔵助や蔵本城主小倉佐助らとともに吉野川右岸の黒田の原で三好義賢らの軍勢を迎え撃ったが、多勢に無勢でほとんどが討死し、このときに芝原城も陥落したと伝えられる(鑓場の合戦)。

一帯には国府町域に展開する条里地割が広がり、古くから開発の進んだ地域であることがわかる。『阿波志』によると城跡は芝原八幡神社及び蔵珠院の付近であるとされ、地元でも八幡神社付近が城跡であるという言い伝えが残るが、現状では城跡と考えられる遺構は確認できない。

一帯は「芝原遺跡」として周知の埋蔵文化財包蔵地に含まれており、30年ほど前には八幡神社北側の畑地で耕作中に大量の土器が出土したという。

情報提供:徳島市教育委員会


芝原城の口コミ情報

2024年07月25日 阿波守カンチュリー
芝原城



遺構はなく、昔の面影をしのぶものはありませんでしたが、マイマイ井戸は見応えがありました。

2024年06月09日 小太郎左衛門督南海道22國守
芝原城



車で蔵珠院をナビ入力し訪問。同敷地内に螺旋状石垣の、まいまい井戸があります。城中心部は、東側の芝原八幡神社境内銀杏の木付近とのこと。

2022年05月11日 RED副将軍
芝原城



全国的にも珍しい螺旋状の石垣があります。石垣マニアなら是非ご訪城を。

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

阿波讃岐守護細川氏家臣である久米氏の居城。1553年の鑓場の合戦において、城主の久米義廣は、主君を自害に追い込んだ三好実休に対して挙兵。野田山城主の野田内蔵助や蔵本城主の小倉佐助らと対峙したが、三好氏の大群に全滅。芝原城も落城しました。

見所
蔵珠院の境内にある「まいまい井戸」 。江戸後期のもので城郭遺構ではありませんが螺旋状の石垣は珍しい。芝原城庭園の「心水の泉」とも言われています。蔵珠院まい込み泉として昨年に国の有形文化財に登録されました。

2022年05月02日 やまてつ伊予守
芝原城



城跡は神社になってます。側には遺跡もあるようです。

2021年02月16日 織田上総介晃司
芝原城

芝原城へは蔵珠院を目指して行きましょう。蔵珠院と芝原八幡神社が城跡となりますが遺構らしきものは見あたりません。

蔵珠院に心水の泉(栄螺の泉、まいまい井戸)と呼ばれる螺旋状の石組み井戸があります。改修したみたいで先人の方の投稿写真と比べてきれいになってます。

ちなみに「まいまい」とはカタツムリの事でカタツムリを食べる虫の名前はマイマイカブリ(まいまいにかぶりつくの意)といいます。

2019年12月31日 摂津守いくpika
まいまい井戸[芝原城  遺構・復元物]



蔵珠院の境内にある心水の泉(栄螺の泉・まいこみ泉)。まいまい井戸と呼ばわれる珍しい構造の井戸。

芝原城の周辺スポット情報

 まいまい井戸(遺構・復元物)

 桜間城(周辺城郭)

 鑓場古戦場跡(寺社・史跡)

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