大館城(おおだてじょう)

大館城の基本情報

通称・別名

桂城

所在地

秋田県大館市中城

旧国名

羽後国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

浅利勝頼

築城年

天文19年(1550)

主な改修者

主な城主

浅利氏、北氏(南部氏家臣)、秋田氏、小場氏(佐竹氏家臣)

廃城年

明治6年(1873)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

川口館(秋田県大館市)[7.0km]
十狐城(秋田県大館市)[9.7km]
碇ヶ関関所(青森県平川市)[19.8km]
明利又城(秋田県北秋田市)[20.2km]
大湯館(秋田県鹿角市)[22.5km]
石鳥谷館(秋田県鹿角市)[22.6km]
館平城(秋田県能代市)[27.8km]
石川城(青森県弘前市)[30.7km]
乳井城(青森県弘前市)[31.7km]
小栗山館(青森県弘前市)[32.9km]

大館城の解説文

萩原さちこさんオススメの見どころ!
慶長7年(1602)、この地を所領としていた秋田氏は常陸の宍戸へ転封となります。代わりに秋田へ入った佐竹義宣は大館城の接収を赤坂朝光に命じましたが、抵抗した旧浅利家臣による一揆が勃発。佐竹西家の小場義成(義宣の従兄弟)がその鎮圧に出動しました。慶長15年(1610)に旧浅利勢力を押さえると、小場義成は津軽・南部の国境を固めるべく、正式に大館城代となります。

 

一国一城令後も存続を認められた大館城は、延宝3年(1675)の大火後に本格的な町割が行われました。内町(武家町)と外町(農・商家町)に分けられ、道路は碁盤目状に区画されて、ところどころに桝形や袋小路がつくられました。町の外郭に寺社が配置され、外町の要所14か所には木戸を設けるなどし、城下町としての町構えが完備されます。

 

幕末の"大館城攻城戦"の舞台となった城として、よく知られるところでしょう。戊辰戦争のひとつ、秋田戦争で激しい戦いを経験しました。奥羽越列藩同盟を離脱した久保田藩に対し、南部藩は宣戦布告。南部軍に圧倒的な大軍で攻め込まれ、十二所の茂木軍や大館の佐竹軍は敗北を喫しました。大館城代の佐竹義遵は自ら城に火を放ち、堀などをわずかに残して全焼したといわれています。

 

現在は本丸部分が桂城公園として整備され、水堀や空堀、土塁やわずかな石垣が残ります。二の丸は官公庁や住宅地、三の丸は住宅地と完全に市街地化され、当時のおもかげを残すものはまったくと言っていいほどありません。

 

現地案内板によれば、本丸を中心に、本丸の東・南側に二の丸、西側に三の丸を置く梯郭式の縄張りで、本丸の規模は東西約180メートル×南北約90メートルほど。周囲は土塁で囲まれ、西・南・東側は堀がめぐります。西・南・東側の三方に内桝形虎口が設けられ、このうち南虎口が大手だったとみられます。虎口の前面には目隠しになる蔀土塁が築かれていたようです。


大館城(おおだてじょう)は、秋田県大館市にあった日本の城。桂城(かつらじょう)とも呼ばれる。城跡は桂城公園(けいじょうこうえん)として整備されている。

歴史・沿革 

源頼朝の奥州征伐の後、この地には御家人浅利氏が配され地頭職となったのが、比内浅利氏のはじまりとされているが、大館城の歴史は浅く、天正10年(1582年)以前に浅利勝頼により築城された[1]とされている。

戦国時代、この地は浅利氏、南部氏、秋田氏(安東氏)、津軽氏の係争の地となる。浅利氏は勝頼の死後、それを継いだ浅利頼平が慶長3年(1598年)に急死し断絶し、秋田氏(安東氏)が勝者となり、豊臣政権下において、この地は秋田氏の所領となった。

関ヶ原の戦いの後、秋田氏は常陸国に移封され、かわりにこの地は常陸国から移封された佐竹氏が支配することになる。一国一城令の例外としてこの城は横手城同様に存続を認められ、大館城には佐竹西家が入る。初代の城代小場義成は城中に常陸国の若宮八幡宮の神霊を奉持し、2代目城代小場義易・4代目城代佐竹義武が城の東に大館八幡神社を建立して遷座させ、大館城の守護神とした[2]

戊辰戦争の際に南部氏が大軍で攻めてきたため、城は大館城代の佐竹義遵(佐竹大和)が自ら火を放ち、堀などの遺構を残して全焼することになる(大館城攻城戦)。この際焼け残った城門を移築したものと伝わる門が一棟市内新町の民家に現存するが、どこの門を移築したものかわかっていない。

歴代の久保田藩城代 

佐竹西家
初代:小場義成(慶長7年(1602年) - 寛永11年(1634年))
2代:小場義易(寛永11年(1634年) - 万治元年(1658年))
3代:佐竹義房(万治元年(1658年) - 貞享元年(1684年))
4代:佐竹義武(貞享元年(1684年) - 元禄9年(1693年))
5代:佐竹義方(元禄9年(1693年) - 宝永7年(1710年))
6代:佐竹義村(宝永7年(1710年) - 明和5年(1768年))
7代:佐竹義休(明和5年(1768年) - 寛政元年(1789年))
8代:佐竹義種(寛政元年(1789年) - 不明)
9代:佐竹義幹(不明 - 嘉永5年(1852年))
10代:佐竹義茂(嘉永5年(1852年) - 元治元年(1864年))
11代:佐竹義遵(元治元年(1864年) - 慶応4年(1868年))

桂城公園 

戊辰戦争で焼け落ちた城の跡は桂城公園として整備され、大館城の石積み、土塁、堀などが残る[3]

城跡は1874年(明治7年)から中城学校の校地となり、校名を改称しながら、1954年(昭和29年)まで学校の用地となっていた。1954年(昭和29年)に桂城小学校が水門町へ移転。1955年(昭和30年)10月に桂城公園として整備された。

堀の南側(外側)には大館市役所や桜櫓館が建ち、東側には市民体育館・武道館などが建ち並ぶ。西側には国道7号が通る。国道7号には1978年(昭和53年)に架けられた桂城橋がかかっており、秋田犬会館と直接往来ができるようになっている。北側は土手で、眼下には長木川と大館市街地を望む高台になっている。

園内には、歌手・上原敏の顕彰碑が建立されており、毎年、上原が戦死したとされる7月29日には、慰霊祭である流転忌が開催されている。

参考文献 

  • 【書籍】「日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田」

大館城の口コミ情報

2024年05月05日 チョア
大館城



郵便局横の細い道から入ります。駐車場は広々。

2023年09月14日 尼崎城駿河守一口城主
大館城



8月13日早朝に登城。宿泊していたところから大館城が近かったので散策してみました。大館城本丸跡は現在大館市役所に隣接する桂城公園(写真①)となっていて、大館城大手門付近に大館城跡復元図(写真②)と内堀(写真③)がありました。
公園内を散策していると西側の桂城橋付近に西門跡(写真④⑤)があり、桂城橋を西に渡ったところはかつての三ノ丸で今でも町名は<三ノ丸>とのことでした。(写真⑥)
また望郷のハチ公🐕像(写真⑦)もありました。写真①の方位表示と照らし合わせてみるとハチ公の向いている方角は東南方面でもしかしたら視線の遥か遠く先は渋谷駅方面かも❓と思ってしまいました。
最後に桂城橋を下から撮ってみました。(写真⑧)城跡の説明板を読んでいると橋がかかっているところはかつての内堀とのことで、地形にその痕跡が残っているように感じられました。写真⑧を撮った場所は、写真①左上の下町→と載っている辺りから撮って、表記通り低地になりつつある場所だったので高低差がある内堀も凄いなと感心しました🤔

2023年06月27日 くるみ丸
大館城



秋田犬会館のお隣高台の公園ですお城の面影は見当たりません

2023年02月13日 中納言安君由秀
大館城



大手門跡ですが、近くに土塁と堀のみです。

2022年10月04日 篠沼大膳大夫義久
大館城



佐竹西家…小場氏の城。茨城県常陸大宮の部垂城や小田城を経てこちらにきたので、前二者に想いを致しながら散策。南西の水堀と土塁、そして北の眺めが見どころ。

2020年09月22日 藤陸奥守重真
大館城



大館城城門跡です。かなり公園化しています。

2017年10月12日 しー武蔵守
大館城

JR大館駅から1番バス乗り場から出ている「ハチ公号」で市役所前で降りるとすぐです。土塁跡と市役所の間ぐらいで発掘作業してます。

2016年11月05日 我流尾張守クール
大館城

口コミ初投稿です。
大館市役所のすぐ北側に桂城公園がありますのですぐにわかります。
遺構はあまり無いのですが、小高い丘に在りますので、見晴らしはいいです。
園内には桜の木があり、花見の時季なら綺麗だと思います。

大館市は「忠犬ハチ公」のふるさとです。
桂城公園から羽州街道を朱塗りの橋で渡るとそこは「秋田犬博物室」。秋田犬が出迎えてくれます。冬季以外は毎日開館していますので、時間の許す方は是非ご覧下さい。

大館城の周辺観光情報

大館樹海ドーム

地元秋田の杉集成材を利用して作られた世界最大級の木造ドーム。樹齢60年以上の秋田杉25,000本以上が使われたというドームは広大で、アリーナ面積は東京ドームに匹敵する。

お問い合わせ:大館市文教振興事業団 (0186-45-2500 )

秋田犬会館(秋田犬保存会)

忠犬ハチ公に代表される秋田犬関係の資料を展示。

■開館時間:AM9:00~PM4:00
■休館日:11/21~4/20の土曜の午後、日曜、祝日、年末年始
■料金:大人100円、小人50円(団体30名以上大人80円、小人30円)

お問い合わせ:秋田犬会館(0186-42-2502)

七滝明神

龍神の伝説残る七滝は高さ60mで七段の滝からなり、木立に囲まれて流れる様は、涼味満点。道路を挟んで、向かいに道の駅こさか七滝がある。

お問い合わせ:小坂町産業観光課観光商工班(0186-29-3908)

情報提供:秋田県観光連盟

大館城の周辺スポット情報

 内堀跡(遺構・復元物)

 移築門(遺構・復元物)

 大館城東門跡(碑・説明板)

 大館城穴門跡・穴門の坂(碑・説明板)

 大館城西門跡(碑・説明板)

 大館城大手門跡(碑・説明板)

 大館城中城門跡(碑・説明板)

 大館城搦手門跡(遍照院)(碑・説明板)

 三ノ丸(碑・説明板)

 三ノ丸の坂(碑・説明板)

 大館役屋・岩沢太治兵衛居宅跡(碑・説明板)

 大館八幡神社(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

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