十狐城(とっこじょう)

十狐城の基本情報

通称・別名

独鈷城

所在地

秋田県大館市比内町独鈷字館間

旧国名

羽後国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

浅蜊則頼

築城年

永正年間(1504〜1521)

主な改修者

主な城主

浅利氏

廃城年

慶長3年(1598)

遺構

曲輪、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

大館城(秋田県大館市)[9.7km]
明利又城(秋田県北秋田市)[13.8km]
川口館(秋田県大館市)[14.2km]
石鳥谷館(秋田県鹿角市)[15.2km]
大湯館(秋田県鹿角市)[21.9km]
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乳井城(青森県弘前市)[40.9km]

十狐城の解説文



十狐城(とっこじょう)は、秋田県大館市(出羽国)にあった日本の城(平山城)。 別名:独鈷城。

概略 

戦国時代、比内地方を中心に勢力を拡大した浅利氏の本拠地。 永正15 年(1518年)大館地方に移った清和源氏義光流の浅利與一則頼が最初に築城し、一族を比内地方に配置。勢力を拡大した。[1] 浅利勝頼が扇田や大館に城を構えるまでの主城とし、大日堂が守り神として現存している。 城郭規模は比内随一。

構造 

炭谷川が犀川に合流する地点の北東側の舌状台地に築かれている。 群郭式の平山城で、深い空堀によって区画されたI〜Ⅳの四郭と2つの出丸からなる。城の規模は東西約300m×南北約300m。

  • 【I郭(主郭)】城の中央に位置。東西約50m×南北約120m。周囲は高さ5〜6mの切岸に加工され、西側に折れ虎口が設けられている。
東側は谷地を利用した空堀で、東南の浮島と呼ばれる池から水が流れている。十狐城の水の手。I郭とⅣ郭間の堀を湿地状にする役割を持っていたものと推測される。
  • 【Ⅱ郭(西郭)】Ⅰ郭の西側、幅約40mの空堀(武者溜か)を隔てて位置している。東西約40m×南北約130m。空堀とは坂虎口で繋がっている。
中央部より多量の焼米が出土したことから米蔵と称されている。
  • 【Ⅲ郭(北郭)】Ⅰ郭とⅡ郭の北側に位置し、東西約110m×南北約40m。元はⅠ郭と同一の台地だったが、幅約10mの空堀を設けて分断している。監視用の郭か。出丸が2カ所設置されている。
  • 【Ⅳ郭(東郭)】Ⅰ郭の東側に位置。東西約30m×南北約80m。

その他 

十狐城の南には大日神社(現社殿(寛文12年(1672年))築)がある。浅利氏入部以前からあったとされているが、浅利則頼が再建(大永6年(1526年))後に浅利氏の氏神となった。 北側の沢に降りると中世の八角石造りの井戸、お茶の水(伝16世紀築造)がある。

十狐城の口コミ情報

2016年07月01日 【隠者】史学会帰新参
十狐城

大日神社を目的地にすると分かりやすい。神社敷地内に駐車スペースは十分ある。
大日神社前に伝承館があり、ここにトイレ水道があった。すぐそばの社務所に言えば使用可能。神社の北西から北側に十狐城がある。神社から城まで道標と遊歩道がある。

十狐城は南九州に見られる群郭式の平山城である。集落と曲輪との比高が20M、曲輪と空堀との比高が7から8M、各曲輪の高さはだいたい同じである。

本丸以下の各曲輪は残っているが草や木が生い茂っていて入れなかった。本丸は入口まで行ったが草が生い茂り奥まで行けなかった。三の丸相当の曲輪は一部が農地になっていて曲輪内に入れた。曲輪の間に空堀があった。明確な土塁跡は分からなかった。名称板はあるが城の由来や歴史の説明板はなかった。

戦国時代、大館周辺に領土を持っていた浅利氏は甲斐源氏の一族である。源頼朝の奥州平定のとき比内に領土をもらい、戦国時代1515年ごろ浅利本家が甲斐から大館に移った。ここ十狐城は一時期浅利氏の居城だった。

十狐城の周辺スポット情報

 十ニ所城(周辺城郭)

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