三条城(さんじょうじょう)

三条城の基本情報

通称・別名

三条嶋城、三条島ノ城

所在地

新潟県三条市上須頃(石碑所在地)

旧国名

越後国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

三条左衛門?

築城年

平安時代

主な改修者

上杉景勝、市橋長勝

主な城主

池氏、山吉氏、神余親綱、甘粕氏、堀氏、市橋長勝、稲垣重綱

廃城年

寛永19年(1642)

遺構

移築門(本城寺)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

見附城(新潟県見附市)[10.4km]
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天神山城(新潟県新潟市)[14.8km]
松ヶ岳城(新潟県新潟市)[14.9km]

三条城の解説文

三条城(さんじょうじょう)は、現在の新潟県三条市にあった日本の城。

歴史
最初に城が築かれた時期は不明だが、平安時代に三条左衛門が築き、前九年の役の後、安倍貞任の郎党、黒鳥兵衛が攻め落としたという。

南北朝時代には南朝方の池氏の拠点となった。

室町時代になると守護代長尾邦景方の山吉久盛の拠点となり、応永30年(1423年)には、守護上杉房朝方の中条房資・黒川基実・加地氏・新発田氏に攻められるが、黒川基実・加地氏・新発田氏が寝返り落城しなかった。

戦国時代も代々山吉氏の居城となっていたが、山吉豊守が天正5年(1577年)9月に死去すると、嗣子がなかったために弟の山吉景長が山吉氏を嗣いだが、領地は半減されて木場城に移され、三条城には神余親綱が入った。

上杉謙信の急死により勃発した御館の乱で、神余親綱は栃尾城主の本庄秀綱と示し合わせて上杉景虎に与し、上杉景勝に対抗した。景虎死後も景勝に対抗していたが、山吉景長が城内の旧臣に呼びかけて内応を誘い、天正8年(1580年)6月に落城、親綱は自刃した。

その後景勝は三条城を応急普請し甘粕長重を城主に据え、天正9年(1581年)に勃発した新発田重家の乱において中継拠点として度々利用された。

上杉景勝の会津移封後は堀秀治の家老堀直政が城主となり、直政嫡男の堀直清が城代となった。慶長5年(1600年)の上杉遺民一揆の際に攻撃を受けるも堅守。慶長15年(1610年)に堀家が改易になると三条城は一旦廃城となった。

江戸時代になると元和2年(1616年)、市橋長勝が三条城主に任じられ、信濃川の対岸東側にあらたに築城したが、市橋氏は在城5年で改易となり、稲垣重綱が入ったが寛永19年(1642年)、幕府により廃城となった。

三条城の口コミ情報

安田大宰少弐秀元様[2017年07月30日]
三条市東裏館 定明寺に 三条城築城者の 三条左衛門定明の墓があります。
(神余親綱の墓ではないか?という異説あり)

影武者様[2017年02月11日]
私が昨年4月26日に三条城の事に書いたのは間違いで、旧三条競馬場に有る三条城が三条島の城、こちらは平安時代、弥彦線の北三条駅周辺の城跡が三条城、こちらの方は江戸時代に出来た城と思います。

影武者様[2016年04月26日]
三条城は二ヶ所有り弥彦線、北三条駅周辺と旧競馬場周辺となっています。旧競馬場周辺の城の名前は三条島の城、信濃川を挟んで西に有るのが三条島の城、三条駅周辺の城が三条城です。歴史上どちらの方が古いかは私では解りません。

影武者様[2011年05月08日]
今は何も残っていませんが、昔、此処に三条城が有りました。

傾奇揚げ仙兵衛様[2010年12月29日]
駐車場は旧三条競馬場(現大井の場外)

傾奇揚げ仙兵衛様[2010年08月22日]
三条ではカレーラーメンがあつい。あと故ジャイアント馬場氏の地元

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