栃尾城(とちおじょう)

栃尾城の基本情報

通称・別名

舞鶴城、大野城

所在地

新潟県長岡市栃尾字城ノ上他

旧国名

越後国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

芳賀氏

築城年

南北朝時代

主な改修者

主な城主

芳賀氏、本庄氏

廃城年

慶長15年(1610)

遺構

曲輪、石垣、堀切、竪堀

指定文化財

県史跡(栃尾城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

乙吉城(新潟県長岡市)[7.6km]
栖吉城(新潟県長岡市)[8.8km]
見附城(新潟県見附市)[9.1km]
五十嵐館(新潟県三条市)[12.1km]
長岡城(新潟県長岡市)[12.2km]
蔵王堂城(新潟県長岡市)[12.2km]
柿城(新潟県長岡市)[12.6km]
鷹待城(新潟県魚沼市)[14.0km]
高城城(新潟県三条市)[14.3km]
与板城(新潟県長岡市)[17.8km]

栃尾城の解説文



栃尾城(とちおじょう)は、越後国古志郡栃尾(現在の新潟県長岡市栃尾地域)にあった城。別名舞鶴城、大野城。標高228mの鶴城山に築かれた戦国時代の典型的な山城である。新潟県指定史跡。

概要 

創設年代は不明だが、室町時代初期~中期と伝えられる。馬蹄型の郭を構成し堅城として有名で、上杉氏の会津転封後も代わって越後に入封した堀秀治の家臣・神子田政友が1万石で入城しているが、1610年に堀氏の没落に伴い廃城となっている。

本庄氏(一説には古志長尾家)の城であり上杉謙信が幼年~青年期を過ごし、謙信の父・長尾為景が死去した後跡目争いが起こった時の初陣の地として有名。

その後、謙信死後の御館の乱で城主本庄秀綱は上杉景虎方につき、三条城の神余親綱らと共に上杉景勝に抵抗するが、天正8年(1580年)4月22日に栃尾城は落城。秀綱は会津方面へ逃亡した。

土橋、複数の堀切、石積、郭跡や竪堀の遺構などが残り、主要部の遺構はほぼ完存している。山頂からは視界が開け、栃尾盆地が一望できる。

栃尾城の口コミ情報

2025年10月22日 尼崎城因幡守一口城主
鬼小島弥太郎戦傷地[栃尾城  碑・説明板]



城山下山後、Gマップ🗺️を見ていたらたまたま<鬼小島弥太郎戦傷地>を発見🔍弥太郎さんは、今年の夏18きっぷで東日本周遊中に飯山城(※現在、森一族のエリア限定めぐりのスポット)近くの英岩寺でお墓🪦参りをしていたことから、一方的な親近感から気になり行ってみました。たまたま同じ方向へ散歩されている夫婦がいらっしゃったので挨拶するともう閉園になったデイサービスセンターの建物の裏にあるよと教えて頂きました。写真①中央のクリーム色の建物を目指し(写真②)→(写真③)と進んでいくと目的地(写真④)に到着。説明板(写真⑤)を読むと説明文終盤に天神橋で割腹して果てたとの記載がありました。
飯山でお墓参りしましたが、勇猛な武将⚔️だったからこそ、獅子奮迅の活躍で各地に様々な伝承が残っているものだと思われます。
天神橋(写真⑥⑦)は、戦傷地付近の城山を望む川に架かっていました。往時の天神橋の場所は不明ですが伝承地の名を受け継ぐ橋に立てて感激してしまいました。
道中出会った夫婦との会話で栃尾城はラジオ体操📻後に散歩がてら登っている人もいるとのことでしたが、この地域は山でも住宅地でもいつ熊🐻が出てもおかしくないので注意しているとのことでした。話を聞いて下山後も熊ベルを鳴らしながら散策🔔

2025年10月22日 尼崎城因幡守一口城主
謙信公像[栃尾城  碑・説明板]



城山下城後、西谷川対岸の秋葉公園(写真①)を散策。秋葉公園には謙信公像(写真②)があり、少し像から離れると謙信公像の後方に城山⛰️(写真③)が見えていました。
写真②③の謙信公像に向かって左側には虎千代(謙信公の幼名)の隠れ岩(写真④⑤)がありました🪨
公園内を散策していると虎千代の師の名僧門察和尚ゆかりの<一夜梅の碑>(写真⑥⑦)もありました。
また、公園名の由来になったと思われる秋葉神社(写真⑧)にもお参り⛩️
熊に出会うこともなく安全に下城出来たことへのお礼参りをしました👏

2025年10月22日 尼崎城因幡守一口城主
謙信廟[栃尾城  碑・説明板]



秋葉公園散策後、公園案内図に向かって左側の坂(写真①)を上がり栃尾美術館に向かいました。美術館前には謙信公の騎馬像(写真②)がありました。美術館の入口に向かって進むと美術館前庭に鳥居⛩️(写真③)が見え、こちらが謙信廟でした。
庭は白洲が綺麗に整美されていたので写真③地点よりもさらに前に進み飛び石(写真④)から廟に移動。城山を背景に鳥居の外側(写真⑤)からと内側(写真⑥)から廟を眺めました。
説明板(写真⑦)によると大正四年(1915)春に開廟で大鳥居の<長仰余烈>の額(写真⑧)は上杉憲章伯爵の揮毫とのことでした🖌️
当日は栃尾城のリア攻めが第一目標でしたが下山後の麓散策で散歩中の地元の方に会ったことから上杉軍や謙信公ゆかりの史跡・顕彰碑巡りが出来、最後に上杉廟までお参り出来て充実した日となりました✨
次回、訪れることがあれば謙信廟隣の石碑の門察和尚ゆかりの常安寺や瑞麟寺もお参りしたくなってきました🪷

2025年10月21日 尼崎城因幡守一口城主
松の丸跡[栃尾城  遺構・復元物]



本丸・二の丸から狼煙台散策後、本丸下のトイレの所まで戻ってきましたがトイレ前に松の丸などの道標(写真①)があったのでこちらも見学に向かいました。
本丸下のトイレ側の斜面は上から眺めた際には道は無さそうに見えたのですが実際に探検🧭に向かうと写真②→③→④と進むことができ松の丸跡(写真⑤)に到着❗️ここまで迷わずに辿り着けたのも散策路を定期的に整美して下さっている保存会の方々のお陰なのでこの場をお借りして感謝致します🙇🏻‍♂️
こちらの四阿はワイヤーで木を支えている珍しい感じでした。(写真⑥)松の丸からも本丸や他の郭同様に城下町の眺めは良く(写真⑦)他の郭から見えにくい角度の麓の視界も連携して補完し合っている印象を受けました👀
先人方のリア攻めマップから松の丸の下段に見える郭は三の丸(写真⑧)と思われますが下るには高低差があり急勾配だったため眺めるだけにしておきました😅入念な備えがしてある山城ということを改めて感じました✨

2025年10月21日 尼崎城因幡守一口城主
岩の鼻口(登山口)[栃尾城  その他]



城山登山時は諏訪神社口(三光口)から登り、下山時は岩の鼻口を選択。
山頂付近に岩の鼻方面を示す道標があったのでそれに沿って進むと二の丸の段々の斜面(写真①)を通りました。岩の鼻口に向かって進むと階段の下り口付近(写真②)にどんけ沢(洞抜沢)物語(写真③)という伝承が残る場所がありました👶
岩の鼻口の登山道は(写真④)のような勾配のきつい階段もあり、本丸へは諏訪神社口よりも急勾配で進んでいく感じになるかと思います🥾
岩の鼻口の登り口には熊🐻注意⚠️の看板(写真⑤)があり、無事に下山出来てホッとしました🍵(※登山予定でも危険🚨を感じたら引き返す勇気も大事かと思います⚠️)岩の鼻口は民家の脇に登山口の看板(写真⑥)が建っています🪧登山口は(写真⑦)の通り、岩の鼻橋の近くにあります。
登り口は大野町3丁目バス停🚏から(写真⑧)前方に見える山⛰️が城山なので橋を城山側に渡って右折して城山側の斜面に注意して進んでいくと(写真⑦)の登山口が見えてきます。写真⑧の右側は秋葉公園下の広い駐車場🅿️でトイレ🚾もあります。

2025年10月20日 尼崎城因幡守一口城主
二の丸・中の丸[栃尾城  遺構・復元物]



本丸見学後は隣の二の丸、中の丸を散策。二の丸は階段状の曲輪(写真①)になっており、攻め上がって来る敵を本丸側と挟み撃ち⚔️🏹出来るようになっていました(写真②)
二の丸跡(写真③)には四阿があり、登城時は青紅葉でしたがあと少し季節が進むと紅葉が楽しめると思います🍁
二の丸からは本丸とは別角度で城下町が眺められるので栃尾城の各郭で山城の周囲の様子が分かるよう死角を補いあっている印象でした。
次に中の丸の道標(写真⑥)があったので二の丸より一段低い所にある(写真⑦)中の丸跡(写真⑧)も見学。郭が多いので攻城時、麓から攻め上がって来る敵は二の丸・本丸の山頂付近に辿り着くには各郭の抵抗を跳ね返して進む必要がありかなり困難だったと思われます🤕

2025年10月20日 尼崎城因幡守一口城主
堀切・竪堀[栃尾城  遺構・復元物]



空壕(びわ丸跡)
本丸・二の丸見学後、山頂下のトイレ方面へ降りていくと狼煙台の道標(写真①)があり、そちらへ進むとびわ丸跡(写真②)があり、びわ丸の狼煙台方面(写真③)に空壕(写真④)がありました。
狼煙台見学後の復路、びわ丸郭(写真⑤)に上がって守備側目線で空壕を確認(写真⑥)守備側からだと心強く✊、攻城側からだと戦意が削がれそうな😨空壕でした。

2025年10月20日 尼崎城因幡守一口城主
狼煙台詰郭[栃尾城  遺構・復元物]



びわ丸跡の空壕から約1分で狼煙台詰郭(写真①)に到着。郭跡にはみどりの日制定記念碑(写真②)が建ち、校区に謙信公ゆかりの山城がある地元の中学が羨ましくなってきました🏫
狼煙台詰郭からあと5分(写真③)の狼煙台を目指して進むと大空壕跡(写真④⑤)があり、散策路の両サイド(写真⑥⑦/⑧)を撮ってみました。写真⑥⑦の麓側は青紅葉がよく見えているので紅葉シーズンは紅葉🍁と大空壕のいい写真が撮れると思われます📷

2025年10月20日 尼崎城因幡守一口城主
狼煙台[栃尾城  遺構・復元物]



山城散策の疲れを考慮して下さってか狼煙台詰郭から狼煙台の道中には「林の中で一休み一休み🍵」とベンチ(写真①)を設置して下さっていました。
こちらのベンチから約1分で狼煙台(写真②)に到着🐺🔥💨狼煙台は写真③の通り右から薬師社(写真④)、説明板(写真⑤)、案内パネル(写真⑥)が並んでいました。登城当日は曇りでパネルに載っている守門岳⛰️は見えなかったものの城下町の風景(写真⑦)はよく見えていました。栃尾城本丸のお城の説明板の最後の一文に「栃尾城は籠城用の要害であって、城主の平生の政庁居宅は南麓の大野町地内の字館屋敷にあった」と記載されていたので写真⑥パネルに記載の地名と照らし合わせて頂くと写真⑦の中央やや左のエリアがかつての城主館があった辺りの場所になります。
本丸散策後、時間⏰と体力👣に余裕があれば狼煙台見学に足を延ばすのもオススメです‼️道中の郭や空壕・大堀切見学も楽しめると思います✨

2025年10月16日 尼崎城因幡守一口城主
栃尾城



[進軍編]
公共機関での城山山麓の諏訪神社の三光口から登城の一例✏️
長岡駅東口のバス乗り場より栃尾車庫行きに乗り進軍開始🚌バスが城山山麓を走行中、大野町3丁目バス停🚏を過ぎた辺りで<栃尾城跡・岩の鼻口>の登り口の看板🪧が見えましたが今回は事前調べで諏訪神社から登ると決めていたのでバスが諏訪神社の前を通った時点で降車ボタン🔘を押し大町バス停🚏で降りました。大町バス停は戊辰戦争中、同盟軍(長岡藩)、新政府軍、両軍の本陣となった検断・富川家邸跡(写真①②)前にありました。
大町バス停から諏訪神社に向かうと階段前に城跡碑や<栃尾城跡・三光口>の登り口の看板がありました(写真③)階段を上がっていきまずは本殿で安全祈願👏本殿に向かって右奥に栃尾城址図が見えています(写真④)
城址図(写真⑤)を眺めてみると山の地形を活用して各ピークを削平地にしたり、所々尾根を断ち切って堀切にしたりと曲輪の多い山城の印象を受けました。城址図を見てから登り始めると諏訪神社口の看板🪧(写真⑥)があり「ゆっくり歩いて30分」とあったので思っていたよりも時間が掛からないんだなと安心しましたが写真の⑥からさらに1分程進んだ所に「クマ🐻出没注意⚠️」の看板🪧(写真⑦)があり、所要時間で安心したのも束の間で緊張感が高まってきました😨山城に登る時はいつも熊ベルを携帯していますが今回はいつもより大きな音を鳴らしながら登山開始🛎️

2025年10月16日 尼崎城因幡守一口城主
栃尾城



[金井曲輪〜馬洗い池跡]
進軍編から引き続き、熊注意の看板から1分程度上がったところが金井曲輪跡で祠横に大壮の鐘🔔(写真①)があったのでこちらでも鐘を鳴らして進みました。散策路は保存会の方々が山中に階段🪵を設けて下さっているので階段に沿って進めば迷うことはないかと思います。この場をお借りして保存会の方々に感謝です🙇🏻‍♂️
階段に沿って進む道中、戊辰戦争で民家焼失を防ぎ後に教育に尽力された富川鶴一翁の碑の案内(写真②)があったので登山ルートから一旦外れて碑(写真③)を見にいきました。碑の建っている所は周囲と高低差があり削平地(写真④)となっていたので城内の曲輪の一つだったと思われます。
碑を見学後、登山ルートに戻って本丸を目指していくと馬場跡(写真⑤⑥)の広い曲輪がありました。写真⑤の案内板の最後の一文に「一隅には池の跡があります」とあるように馬洗い池🐴(写真⑦⑧)もありました。

2025年10月16日 尼崎城因幡守一口城主
栃尾城



[大空堀〜金銘泉]
金井曲輪〜馬洗い池に引き続き、馬洗い池のすぐ上には大空堀(写真①②)や千人溜り(写真③④)がありました。
千人溜り付近からは城下町の見晴らしが良く(写真⑤)、下山後の麓の散策をされる方の参考になればとしばし脱線✏️写真⑤の真ん中辺りに広い駐車場🅿️が見えるかと思いますが駐車場から城山方面への橋を渡っていくと<岩の鼻口>の登山口があります。次に駐車場の左上の小高い丘になっている広場が秋葉神社がある秋葉公園です。謙信公広場に謙信公像や虎千代(謙信公の幼名)の隠れ岩🪨などがあります。秋葉公園の右手に坂道が見えていますが坂道を上った所が栃尾美術館で美術館の入口前の庭に謙信廟があります。
ついつい脱線してしまうので本題に戻って😅、写真⑤地点から2、3分歩いた所に湧き水(写真⑥⑦)がありました💧「水質検査を行ってありません」との注記がありましたが飲んでみました。私は幸いなことに大丈夫でしたがチャレンジされる場合は自己責任でお願いします⚠️写真⑦地点の階段を上がるとついに本丸の切岸(写真⑧)が見えてきます。本丸切岸下にも金銘泉跡がありました。

2025年10月16日 尼崎城因幡守一口城主
栃尾城



[本丸編]
進軍編の写真⑥地点(栃尾城跡諏訪神社口)からゆったりと遺構見学しながら約25分で本丸・二の丸への入口(写真①)に到着。前日が雨だったので足場がニュルっと滑りやすくなっていたので慎重に上っていきました。道標に従ってまずは本丸を見学。入口に標柱や標高板(写真②)、説明板(写真③)、それらの奥に覇道の鐘🔔(写真④)がありました。覇道の鐘を鳴らしてみたところ大きないい音が出て、達成感を感じました。本丸は写真⑤の通り細長い曲輪で敵がよじ登るには困難な切岸で、よじ登る前段階で攻め上がってくる敵兵の動きが写真⑥の通り上からはよく見え撃退しやすそうでした🏹
本丸からの景色は写真⑦の通りでした。登城当日は生憎の曇り模様で遠くの山々は見えませんでしたが晴れていたら絶景だと思います。城下町の町並みはよく見え、往時は敵の進軍の様子も把握出来たように思います✅

2025年09月21日 みその対馬守
栃尾城



あいにくの雨で、ふもとの神社から本丸までの往復だけで、あまり遺構を観ることができませんでした。また、先日近くで熊が出たとの地区放送があり。かなり警戒を要します。単独では難しいと思います。大きな山城でした。

2024年01月11日 ᴿᴱᴰ 副将軍
栃尾城



全国屈指の高く美しい切岸が見事な上杉謙信旗揚げの城🏯

オススメ度 ★★★★★

築城年代は不詳。南北朝時代に芳賀禅可により築かれたと云われます。
芳賀氏は、天武天皇の一族である清原高重が流罪となり、下野国芳賀郡大内荘へ配流され芳賀氏と称したのが始まりとされます。
1189年の源頼朝による奥州藤原氏征伐の際には宇都宮朝綱に従軍。それ以降は宇都宮氏の重臣となりました。
南北朝時代になると芳賀氏は当初は南朝方として戦いましたが、主君の宇都宮公綱に対する反発から芳賀禅可は宇都宮氏綱の擁立して宇都宮公綱を排除。その後は北朝方として戦い、1351年に足利尊氏から宇都宮氏綱は上野国・越後国の守護職を任じられ、芳賀禅可の子である高貞と高家は越後国守護代として越後に入部。芳賀禅可は出家していたので子息を守護代としましたが実務を執っていました。栃尾城はこの頃に築かれたと思われます。
足利尊氏が没すると1362年に上杉房顕が関東管領となり、足利基氏は宇都宮氏綱から越後守護職を奪い上杉房顕に与えたため芳賀高貞・高家の兄弟は上杉房顕と戦うも敗れ没落しました。
その後は長尾氏の支配となり、栃尾城は長尾氏の属城となった様で、1543年には長尾景虎(上杉謙信)が中越地方の国人統制のため14歳で入封。本庄実乃が城代として入城し補佐。上杉謙信旗揚げの城と呼ばれる所以です。
中越を平定すると1550年に長尾景虎は春日山城へ迎えられ家督を継承しました。栃尾城には城代として本庄玖介が入城し栃尾衆を形成します。
1578年に上杉謙信が没すると後継争いの御館の乱が起こり、栃尾城の本庄秀綱は上杉景虎方に付きますが上杉景勝に攻め寄せられ落城。
1598年に上杉景勝が会津へ転封となると、代わって会津に入封した堀秀治の家臣である神子田政友が城主となりましたが、1610年に堀氏が改易となると廃城となりました。

見所
標高227mの鶴城山に築かれおり、南から東に流れる刈田川を天然の堀としています。
山頂部は南北に伸びる尾根に沿って細長い郭が連なり、北から五島丸・三の丸・松の丸・本丸・二の丸と連なり、さらに西へ中の丸・びわ丸・狼煙台詰曲輪と連なり、大規模な堀切と竪堀により区切られています。
最大の見所は本丸東側面の高さ約40mあるといわれる切岸。危険な鋭さであり圧巻です。大きいだけの堀切は他にも沢山ありますが、ここの切岸は全国屈指の美しさと規模と思います。
下には金銘泉という井戸があり、東側には中腹まで段郭群が連なる巨大山城でした。

行き方は、県道138号から栃尾城への林道があり、車で中腹の駐車場まで行くことができます。

2021年05月14日 桜井太政大臣静龍
栃尾城



悠久山公園から、283→138号線、土ヶ谷入り口バス停過ぎた所に、栃尾城跡登り口の看板ありました。

看板から入る道は狭く離合スペースもほぼなし。駐車スペースは広めでした(軽自動車なら)登り口は登りやすいでした。ただ、蜂がいたので虫除けはあったほうがいいかも。その入り口の道、冬期通行不可な表記もみたので、確認してからが良いです。



2018年04月01日 フー甲斐守
栃尾城

大野口は土砂崩により通行止。
三光口は千人溜まり迄は行けますが、その先は積雪がとけだしており、くるぶし辺りまで雪に埋まらないとあがれません(長靴持参なら大丈夫かも?)。登城にはもう少し春待つ必要がありそうですね。
またの機会に本丸目指します(^o^)

2016年12月06日 カーネル
栃尾城

上越線長岡駅から越後交通で中央公園前バス停で下車

西へ向かい西谷川を超えて、次の信号で左折して南下します
道が道なりに左折するところに諏訪神社の参道があり、ここから登ります
拝殿の右奥が登り口で案内図もあります

年末にいったら、雪深く樹林帯を抜けるまでは、道がわかりにくかったです
登り始めると標識が多数あるので、助かりました

とにかく登って二ノ丸に往復してから本丸へ。ここからの眺めがよいです。バス停からここまで40分
本丸と二ノ丸の鞍部から反対側に降ると中の丸の標識があるのでこれに従うと、堀を土橋で超えて狼煙台に到着です
ここの道は狭く、道が雪庇のようになっていて怖かったです
バス停に戻って1時間半くらいでした

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです


2015年08月07日 永眠武蔵守釋 葱進
栃尾城

長岡駅からバス利用の場合、少しでも歩きたくない?方は東口発の<新榎トンネル経由>栃尾車庫行きのバスが良いでしょう。
『大野町三丁目』バス停が岩の鼻ロ最寄りです。
桑探峠経由や大手口発の見附経由の栃尾車庫行きなら、『中央公園前』バス停が最寄りとなり、諏訪神社そばの表町口までおよそ5分となります。

2015年08月07日 青獅子弾正大弼景虎
栃尾城

蝉の声を聴きながら、汗だく日本通信なり、本丸到着。眺めはいいが....暑い!!

2013年06月08日 ぽ修理大夫
栃尾城

本丸からの眺めは気持ちいいですよ

2012年07月04日 傾奇揚げ仙兵衛
栃尾城

ここを攻略に行こうと思っている車の方へ
クーラーボックス持参
出来れば午前中の訪問を
秋葉神社前の駐車場に止め先に星長豆腐店でおぼろ豆腐やジャンボ油揚げを買ってクーラーボックスにキープ
栃尾城の表町登り口から登りましょう。
登り口脇に休憩所兼観光案内所があり案内所のおじさんが居るとお茶を薦められます。
因みにおぼろ豆腐は一般的なサイズの物が160円
その大きいサイズ260円と激安なのに一般的な物より濃厚で旨い。
黒豆や青豆のおぼろも旨い(大無し)
ジャンボ油揚げは一枚150円

2012年05月27日 まるさん伊豆守小町時間割
栃尾城

いくつかある登り口のうち、私は諏訪大社の脇から進む表町口ルートで登りました。

近所の方によれば、このルートが(朝のラジオ体操などで)一番利用されているとのことです。ただ、神社への入り口には登り口と表示されていますが、鳥居のところで左に進む箇所では案内や矢印など一切ありませんので注意しましょう。

それと、ルートが多い割には途中の案内が少ないので、帰り道を気をつけないと思いもよらない方向へ下りてしまうかも。

ちなみに車両でお越しの方は岩の鼻口の目の前の橋を渡った場所に駐車場がありました。そこは路線バスの新榎経由ルートのバス停でもあります。

2012年05月27日 まるさん伊豆守小町時間割
栃尾城

↓のにっこうさんの情報の岩の鼻口ルートの通行止は解除されたようです。それらしい表示はありませんでした。ただ、私はそちらのルートを使用しなかったので正確な状況は書けません。

ちなみに近隣の方々からの情報をまとめると、どのルートも所要時間は30分前後になります。

それと、表町からの登り口は金比羅さん側と諏訪大社側の2種類ありますが、
比較的低い位置で合流します。

2011年08月14日 にっこう
栃尾城

秋葉トンネル出口に広い駐車場があります。登り口は、表町口と岩の鼻口の2つがあるようですが、岩の鼻口は、先の豪雨で土砂崩れにより、通行止めになっています(23.8.14現在)。

登りはひたすら階段ですが、本丸からの眺めは最高です!本丸からは、栃尾市街から粟ヶ岳や白山、二の丸からは守門方向の眺望が最高です!

2010年07月21日 徳川内大臣源朝臣康武
栃尾城

[武将像]上杉謙信像
城を望む栃尾市美術館(騎馬像)と秋葉公園(座像)に鎮座。

2010年07月20日 のぼちゃん陸奥守
栃尾城

秋葉公園の駐車場(秋葉トンネルをすぎてすぐ左に駐車場あり)から登れそうですが、夕方になったので断念秋葉公園内に謙信公の石像がありました。道の駅『とちお』のあぶらあげが大きくて美味しいですよ。

栃尾城の周辺スポット情報

 松の丸跡(遺構・復元物)

 三の丸跡(遺構・復元物)

 馬場跡(馬責め)(遺構・復元物)

 狼煙台詰郭(遺構・復元物)

 狼煙台(遺構・復元物)

 堀切・竪堀(遺構・復元物)

 大堀切(遺構・復元物)

 二の丸・中の丸(遺構・復元物)

 謙信公像(碑・説明板)

 謙信廟(碑・説明板)

 鬼小島弥太郎戦傷地(碑・説明板)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 登城口(その他)

 岩の鼻口(登山口)(その他)

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