五十嵐館(いからしやかた)

五十嵐館の基本情報

通称・別名

所在地

新潟県三条市飯田字館ノ前

旧国名

越後国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

五十嵐吉辰?

築城年

不明

主な改修者

主な城主

五十嵐氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

県史跡(五十嵐館跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

高城城(新潟県三条市)[6.2km]
見附城(新潟県見附市)[10.5km]
三条城(新潟県三条市)[11.5km]
栃尾城(新潟県長岡市)[12.1km]
護摩堂城(新潟県南蒲原郡)[16.9km]
村松城(新潟県五泉市)[17.4km]
乙吉城(新潟県長岡市)[18.3km]
栖吉城(新潟県長岡市)[20.3km]
蔵王堂城(新潟県長岡市)[20.9km]
本与板城(新潟県長岡市)[21.6km]

五十嵐館の解説文

五十嵐館(いからしやかた)は、新潟県三条市飯田館ノ前にある館。

遺構
国人領主、五十嵐氏の居館だ。五十嵐氏は鎌倉時代以来、飯田を本拠として五十嵐川右岸の一部を支配していた。五十嵐川流域は、中世には五十嵐保と呼ばれた国衙領だった。

五十嵐館は、五十嵐川東側の標高37~38mの段丘上に築かれている。五十嵐川は三条方面へと舟運が通じ、また五十嵐川に沿って会津方面へ通じる街道も通る水陸交通の要衝だった。館の東側には城下町が形成されていた可能性が高い。

発掘調査により、土塁と堀をめぐらせた東西約80m、南北約95mの方形単郭式の館が確認されている。館には主殿や小屋などが建てられ、周囲をめぐる土塁は北東隅が屈曲し、土塁上には櫓があったと推察される。周囲をめぐる堀は幅10m前後で、虎口には張り出しがあり、四脚門が構えられていた。13〜16世紀までの陶磁器類が出土しており、約4世紀にわたり機能したと推定される。

五十嵐神社がある館の西側の段丘上には、五十嵐館の詰城とみられる飯田城があった。普段は五十嵐館に居住し、有事の際に備えて背後に飯田城を構えていたようだ。

歴史
建保元年(1213)の三浦和田氏と北条氏との抗争(和田合戦)において五十嵐小文治の名がある。五十嵐氏は鎌倉幕府の御家人で、鎌倉時代に五十嵐保の地頭職を賜り入部したと考えられている。五十嵐氏は鎌倉時代から戦国時代まで400年近く文献資料に登場し、この年代は前述の発掘調査の成果とも合致する。

天正6年(1578)3月の上杉謙信の没後に勃発した御館の乱では、五十嵐氏は上杉景虎に味方したらしい。この頃に下田郷(五十嵐保)から姿を消したとみられるが、詳しいことはわからない。

交通
関越自動車道三条燕ICから車で約20分

参考文献
『甲信越の名城を歩く 新潟編』吉川弘文館、2016年

文:萩原さちこ

五十嵐館の口コミ情報

2019年06月01日 +かず
五十嵐要害(飯田城)[五十嵐館  周辺城郭]



五十嵐要害は鎌倉時代に源頼朝の側近であった五十嵐小文治の要害で五十嵐館北東の段丘上に鎮座する神社一帯にある。

写真は…
・五十嵐要害の縄張図
・主殿背後にある虎口
・虎口の先に残る空堀

地図上の主殿のマークを避けて位置登録したはずが拡大するとかなりズレてましたが縄張り内なのでご了承ください。

2019年06月01日 +かず
五十嵐神社[五十嵐館  寺社・史跡]



五十嵐神社は延喜式内社「伊加良志神社」といわれている。祭神は五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)日本書紀によると垂仁天皇の皇子五十日足彦命がこの地に下向し農耕の技術を伝えたとの伝承がある。

五十嵐姓発祥の地で全国の五十嵐氏が参拝に訪れる。鳥居前にて位置登録しました。五十嵐館にお寄りの際は是非参拝してください。

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