鷹待城(たかまちじょう)
鷹待城の基本情報
通称・別名
- 鷹待山城、鷹待山古城
所在地
- 新潟県魚沼市大栃山字ヨウガイ
旧国名
- 越後国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 穴沢氏
築城年
- 室町時代前期
主な改修者
- -
主な城主
- 穴沢氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(鷹待山城跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
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長岡城(新潟県長岡市)[20.8km]
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鷹待城の口コミ情報
2024年09月09日 だって右衛門督まさむね
鷹待城
鷹待城跡への道は、『道の駅いりひろせ』がある鏡ヶ池周辺の遊歩道の途中にありました。
車を停めさせてもらった駐車場の周辺案内図に城跡の表記はありましたが、かなり省略された図で、遊歩道からの分岐はよく分からなかったのですが、結果的に登りは池の東側の尾根道を登り、下りは途中の分岐を西に入って野外ステージのところにでてきました。
高低差にして100mちょっとの山道を登った頂上部には少し荒れた展望施設があり、今は木が茂ってやや展望が悪くなっていましたが、正面に守門岳を望み、当時は辺りを一望できるいい城だったんだろうなと想いを馳せつつ暫し休憩してから下山しました。
2023年10月14日 鶏系男子下野守智ぞう
鷹待城
2023/10/13 登城~🎵前々から鷹待城どうなってんだ~と気になってましたからついに行けました
道の駅いりひろせに車を止めて池の遊歩道を道路側から回り込んで森に入ると右側にうっすらと上に昇る道がありますんでそこを登ります
登って行くと開けた郭らしき見晴らしの良いところに出ます。何かコンクリート残骸あるから、ここか?と城めぐポチると鷹待城から外れておりマップに“丸城”となってましたから、ここも一応城みたいです
さらに左側に下る道がありそこを降りて行くと尾根づたいに登れる道がありそこをまた登って行くと、階段が現れ、それを登った先にアステカ文明よろしくの展望台がありましたここが本丸らしい
展望台したの休憩所に案内板あります
さらに奥に行くと近くの集落を一望出来る物見台跡のようなところがありました
鷹待城近辺は秘境チックなので集落も、隠れ里みたいで赴きあります🎵
2020年08月30日 +かず
七夕城[鷹待城 周辺城郭]
七夕城は新潟県魚沼市の守門岳から流れる西川と破間川に合流する手前の西名集落北側の七夕山にあった室町時代後期の城址で市の史跡として指定されてます。
写真は…
・無念現在は崩落防止工事中
・古峯神社石碑(左側の階段が登城口)
・階段先の山道(今回は此処まで)
・城址西側から遠景
何故此処にこの石碑があるんだろうと思いながら古峯神社石碑前階段先の山道付近あわせて位置登録しました。
現在は崩落防止工事中でしたので散策は諦め紹介のみとさせて頂きます。
2020年08月24日 +かず
会津街道–六十里越[鷹待城 その他]
会津街道 六十里越は「歴史の道百選」No.89として令和元年に選定されました。
魚沼地方と奥会津地方を結ぶ街道で中世には軍用道路として利用された。
近世になると暮らしの道として日用雑貨類や綿布などが運ばれたほか越後縮の原料として奥会津で生産された青苧が六十里越を通って小出・堀之内に卸された。
堀之内で三国街道と別れ破間川沿いに上流へ向かい大白川新田から浅草岳の南側鞍部を越えて福島県南会津郡只見町に通じる県境の峠道をいう。
文化庁HPより抜粋
写真は…
・穴沢地区にある石碑×3箇所
選定箇所の一部穴沢地区にあわせて位置登録しました。国道252号を通られる際は歴史の道百選を思い出しながら走行して頂けると楽しめると思います。
2012年08月13日 傾奇揚げ仙兵衛
鷹待城
福島県側から車でおこしの皆さん国道252号線は六十里越は降水量80mmで通行止めになります。
2012年05月09日 傾奇揚げ仙兵衛
鷹待城
この付近で体長50mmのスズメバチに遭遇。幸い相手が俺に恐れおののき退散したが強面じゃない人は気を付けて!?
2010年11月21日 ️_
鷹待城
11月2日に道の駅・入広瀬の周辺で熊が目撃されています付近を流れる破間川は渓流釣りでも熊との遭遇が頻発する地域として有名ですリアル派の方は、ベル必携、かつソロ活動は控えたほうがベターでしょう