黒滝城(くろたきじょう)
黒滝城の基本情報
通称・別名
- 黒滝要害
所在地
- 新潟県西蒲原郡弥彦村大字麓字要害
旧国名
- 越後国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 上杉氏?
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 黒田氏、山岸氏
廃城年
- 慶長3年(1598)
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、井戸跡
指定文化財
- 村史跡(黒滝城跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
天神山城(新潟県新潟市)[6.0km]
松ヶ岳城(新潟県新潟市)[6.7km]
島崎城(新潟県長岡市)[10.3km]
三条城(新潟県三条市)[12.5km]
本与板城(新潟県長岡市)[14.1km]
与板城(新潟県長岡市)[16.0km]
見附城(新潟県見附市)[18.4km]
大関城(新潟県新潟市)[18.5km]
小木ノ城(新潟県三島郡)[21.0km]
蔵王堂城(新潟県長岡市)[23.6km]
黒滝城の解説文
黒滝城の口コミ情報
2025年03月29日 国府左京大夫城介
黒滝城
南沢の道【大手道】について
****このルートは危険なので、行く場合は自己責任でお願いします****
黒滝城址森林公園・案内図(写真1)に描かれている『南沢の道【大手道】』(オレンジ色のルート)が想像以上に危険なルートだったので、注意喚起の意味を含めて口コミに上げます。
この南沢の道は、門口砦の脇から、乳母ノ懐曲輪群を経由し、南沢沿いを下って、県道麓野積線へと至るルートです。
地図(国土地理院)を見ると、南沢という沢沿いを歩くことになり、最後に砂防ダムがあるなというくらいにしか読めませんでした。そもそも、大手道だし、案内図にも書かれている位だから、大丈夫だろうという考えでした。
しかし、乳母ノ懐曲輪を越えて、南沢に入ると、「あれ?これは…」という状態になりました。沢沿いの道というからには、沢の岸を歩いていくのかと思いきや、岸はほとんどない場所が多く、更に岸を交互に折り返しながら進んでいくという状況でした。当然、沢にかかる橋といったものはなく、沢の中にある岩を足場にしながら渡るというものでした。(写真2、3)
この程度は序の口で、完全に岸がなく沢の中を歩く必要があったり、1mほどの滝を降りて行ったり、狭い岩の上に倒木があったりと、このルートを選択したことを後悔しました。とにかく道が荒れ果てている😱
そして、最後の砂防ダムの所にたどり着いたのはいいのですが、どうやって越えればいいのか分からず、15分近く悩みました。最終的には、ルートを見つけましたが、それを見つけるまではかなり危ない場面もありました。
そこを越えて、ほっとした所に、深い泥濘の道があり、靴が完全に泥だらけになりました😫
なお、スタート地点の看板は、土砂崩れ?で倒れていたので、行きは気付かなかった(写真4)
以上が、南沢の道ですが、本当にこれが大手道なのかと思うようなルートでした💦
もし、このルートを通るのであれば、
・このルートの経験者と同行
・沢の中を歩くことが出来る長靴の装着
・服や靴の換えを用意
などの入念な準備をしてから、行ってください。
自分みたいに単独でアタックすることはしないでください!!
2025年03月19日 国府左京大夫城介
剣ヶ峰砦[黒滝城 周辺城郭]
寺泊港を監視も担う黒滝城の詰の城
【歴史】
築城年代は不明だが、慶長3年(1598)に黒滝城と共に廃城となった。
長尾氏(上杉氏)により、黒滝城の改修が行われた際に築かれたか。
【遺構】
黒滝城(黒滝山)の西側に連なる剣ヶ峰(標高290m/比高80m)の稜線に築かれた砦です。
黒滝城と異なり、稜線上に築かれているため、郭は細長い形状となっている。最頂部の主郭からそれぞれ東側と南側の尾根に数段の郭を置かれている。黒滝城の大手側にあたる東側には3つの堀切を設けている。
また、砦内からは渡部城や寺泊港、野積海岸を監視でき、敵の動きを容易に察知することができる。
【感想】
黒滝城というメインディッシュの後に、丁度いいデザート的な砦となります。
稜線上に築かれているので、特段迷う箇所もなく、全ての遺構を見ることが出来ます。堀切もしっかりとしたものもあれば、やや浅くなっているものもありますが、見落とすことはないと思われます。南側は単純な郭があるだけで、やや藪っている箇所もあり、堀切といった遺構も確認できませんでした。
また、眺望がいい場所からは、寺泊港や野積海岸、日本海を望むことができ、監視の役割を担っていたことがよく理解することができます。
【アクセス】
①弥彦・燕広域循環バス「やひこ号」(平日のみ)で、「さくらの湯」バス停を下車し、黒滝城搦手道入口まで15分。黒滝城を経由して、剣ヶ峰・国上山登山口へ。
②弥彦駅から徒歩40分で、黒滝城搦手道入口へ。以降は①と同じ。
③林道黒滝要害線(冬季は閉鎖)で、黒滝城址登城口駐車場から、徒歩で数分で、剣ヶ峰・国上山登山口へ。
【写真】
①登城口(黒滝城側)
②堀切1
③堀切2
④堀切3
⑤説明板
⑥主郭
⑦登城口(南側)
2024年06月19日 すなちゃん武蔵守
黒滝城
歴史的なものは調べれば分かるので、現場状況を伝えたいと思います。
山城と言うことで道が細く、対向車を躱わせる場所が数ヶ所しかないので大きな車での進軍はお勧めしません。
また1番奥に車2台分位のスペースが有りますが、少し狭いです。
そこから木の階段で登城となりますが、かなり急で滑りやすいので登り降りは、張ってあるとらロープを使った方が良いでしょう。
蚊はいませんでしたが、イノシシが出るらしいので気を付けてください。
2022年05月23日 しぇるふぁ加賀守
渡部城[黒滝城 周辺城郭]
城跡は城址公園として整備されています。写真の通り、無料の駐車スペースがあり、車でもアクセスしやすいです。遺構は腰曲輪等が良好に残っていました。案内板と鳥瞰図が設置されており、城の来歴についてもわかりやすかったです。
本丸跡は神社になっており、本殿と裏に奥宮と思われる建物が建っていました。
2020年09月14日 しん佐渡守
黒滝城
麓から野積に抜ける道が土砂崩れの為通行止めになっていた。黒滝城までなら徒歩で行けました。
2018年08月08日 カーネル
黒滝城
弥彦線 弥彦駅から県道2号を南下する
遠くに山が見え、遠いし高いし、あれじゃありませんようにと祈るが、山は近づくばかり
30分あるいて県道440号で右折。ここに黒滝城址森林公園2.6kmとありますが、これは車道の距離なので、歩きはもっと短い。と思います
道が狭くなり、貯水池を超えると大手道の石碑があります。5分ほど進むと、大手道だったのに、搦手道入口の石碑があるのでここから山に入ります。山道は搦め手で、車道だと大手道のようです
狭い山道を登ると、道が左右に分かれるので滑落注意の看板で左へ。斜面を登りきり尾根に着いて一息。ここから城域です
尾根を右へ登ると桜井の大曲輪と井戸。二ノ丸を経由して頂上が本丸。反対側へ降りると堀と曲輪があります。来た道を戻り、搦手道を降りずに先に進むと大蓮寺郭など、曲輪群がいい感じです
本丸付近と、曲輪群の雰囲気が違うので、二度楽しめるお城です
搦手道で2.6kmの標識まで戻り、ここから3km北上して戻ると一宮神社の弥彦神社。ここまでで170分です
永正7年(1510)には、越後守護代長尾為景の軍勢と関東管領上杉顕定の軍勢との合戦の舞台となる。当時、黒滝城には顕定方の八条修理・桃井一類が在城していたが、為景方の夏戸(なつど)城主志田源四郎によって攻略されている。
その後、上杉謙信の時代に山岸氏が城主となる。同氏は謙信に仕える一方、弥彦神社の戸内職を勤めていた。謙信没後の御館の乱では、山岸氏の黒滝城は、西蒲原地域の上杉景勝方の拠点としてその勝利に貢献する。山岸氏は景勝の権力を背景に勢力を拡大し、弥彦神社および神領支配の主導権を確立してゆく。しかし、間もなく景勝の直臣団=上田衆の一員である深沢弥七郎が山岸氏を継承し、黒滝城も景勝の直接の支配下におかれることになる。慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封により廃城となった。