黒滝城(くろたきじょう)

黒滝城の基本情報

通称・別名

黒滝要害

所在地

新潟県西蒲原郡弥彦村大字麓字要害(黒滝城址森林公園)

旧国名

越後国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

黒田氏、山岸氏

廃城年

慶長3年(1598)

遺構

曲輪、土塁、堀切、井戸跡

指定文化財

村史跡

再建造物

碑、説明板

周辺の城

天神山城(新潟県新潟市)[6.0km]
松ヶ岳城(新潟県新潟市)[6.7km]
島崎城(新潟県長岡市)[10.3km]
三条城(新潟県三条市)[12.5km]
本与板城(新潟県長岡市)[14.1km]

黒滝城の解説文

弥彦村麓にある中世の城郭。15世紀初めの頃、越後の戦国武将小国氏と黒滝氏が京都で越後守護上杉房方に謀反を企てた。この黒滝氏はおそらく黒滝城を本拠とした武士と考えられ、少なくともこのときまでに黒滝城が存在していたと推測される。

永正7年(1510)には、越後守護代長尾為景の軍勢と関東管領上杉顕定の軍勢との合戦の舞台となる。当時、黒滝城には顕定方の八条修理・桃井一類が在城していたが、為景方の夏戸(なつど)城主志田源四郎によって攻略されている。

その後、上杉謙信の時代に山岸氏が城主となる。同氏は謙信に仕える一方、弥彦神社の戸内職を勤めていた。謙信没後の御館の乱では、山岸氏の黒滝城は、西蒲原地域の上杉景勝方の拠点としてその勝利に貢献する。山岸氏は景勝の権力を背景に勢力を拡大し、弥彦神社および神領支配の主導権を確立してゆく。しかし、間もなく景勝の直臣団=上田衆の一員である深沢弥七郎が山岸氏を継承し、黒滝城も景勝の直接の支配下におかれることになる。慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封により廃城となった。

情報提供:弥彦村教育委員会

黒滝城の口コミ情報

口コミがまだ投稿されていません。

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore