黒滝城(くろたきじょう)
黒滝城の基本情報
通称・別名
- 黒滝要害
所在地
- 新潟県西蒲原郡弥彦村大字麓字要害
旧国名
- 越後国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 上杉氏?
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 黒田氏、山岸氏
廃城年
- 慶長3年(1598)
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、井戸跡
指定文化財
- 村史跡(黒滝城跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
天神山城(新潟県新潟市)[6.0km]
松ヶ岳城(新潟県新潟市)[6.7km]
島崎城(新潟県長岡市)[10.3km]
三条城(新潟県三条市)[12.5km]
本与板城(新潟県長岡市)[14.1km]
与板城(新潟県長岡市)[16.0km]
見附城(新潟県見附市)[18.4km]
大関城(新潟県新潟市)[18.5km]
小木ノ城(新潟県三島郡)[21.0km]
蔵王堂城(新潟県長岡市)[23.6km]
黒滝城の解説文
黒滝城の口コミ情報
2024年06月19日 すなちゃん武蔵守
黒滝城
歴史的なものは調べれば分かるので、現場状況を伝えたいと思います。
山城と言うことで道が細く、対向車を躱わせる場所が数ヶ所しかないので大きな車での進軍はお勧めしません。
また1番奥に車2台分位のスペースが有りますが、少し狭いです。
そこから木の階段で登城となりますが、かなり急で滑りやすいので登り降りは、張ってあるとらロープを使った方が良いでしょう。
蚊はいませんでしたが、イノシシが出るらしいので気を付けてください。
2022年05月23日 しぇるふぁ加賀守
渡部城[黒滝城 周辺城郭]
城跡は城址公園として整備されています。写真の通り、無料の駐車スペースがあり、車でもアクセスしやすいです。遺構は腰曲輪等が良好に残っていました。案内板と鳥瞰図が設置されており、城の来歴についてもわかりやすかったです。
本丸跡は神社になっており、本殿と裏に奥宮と思われる建物が建っていました。
2020年09月14日 しん佐渡守
黒滝城
麓から野積に抜ける道が土砂崩れの為通行止めになっていた。黒滝城までなら徒歩で行けました。
2018年08月08日 カーネル
黒滝城
弥彦線 弥彦駅から県道2号を南下する
遠くに山が見え、遠いし高いし、あれじゃありませんようにと祈るが、山は近づくばかり
30分あるいて県道440号で右折。ここに黒滝城址森林公園2.6kmとありますが、これは車道の距離なので、歩きはもっと短い。と思います
道が狭くなり、貯水池を超えると大手道の石碑があります。5分ほど進むと、大手道だったのに、搦手道入口の石碑があるのでここから山に入ります。山道は搦め手で、車道だと大手道のようです
狭い山道を登ると、道が左右に分かれるので滑落注意の看板で左へ。斜面を登りきり尾根に着いて一息。ここから城域です
尾根を右へ登ると桜井の大曲輪と井戸。二ノ丸を経由して頂上が本丸。反対側へ降りると堀と曲輪があります。来た道を戻り、搦手道を降りずに先に進むと大蓮寺郭など、曲輪群がいい感じです
本丸付近と、曲輪群の雰囲気が違うので、二度楽しめるお城です
搦手道で2.6kmの標識まで戻り、ここから3km北上して戻ると一宮神社の弥彦神社。ここまでで170分です
永正7年(1510)には、越後守護代長尾為景の軍勢と関東管領上杉顕定の軍勢との合戦の舞台となる。当時、黒滝城には顕定方の八条修理・桃井一類が在城していたが、為景方の夏戸(なつど)城主志田源四郎によって攻略されている。
その後、上杉謙信の時代に山岸氏が城主となる。同氏は謙信に仕える一方、弥彦神社の戸内職を勤めていた。謙信没後の御館の乱では、山岸氏の黒滝城は、西蒲原地域の上杉景勝方の拠点としてその勝利に貢献する。山岸氏は景勝の権力を背景に勢力を拡大し、弥彦神社および神領支配の主導権を確立してゆく。しかし、間もなく景勝の直臣団=上田衆の一員である深沢弥七郎が山岸氏を継承し、黒滝城も景勝の直接の支配下におかれることになる。慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封により廃城となった。