飯沼城(いいぬまじょう)

飯沼城の基本情報

通称・別名

所在地

千葉県銚子市飯沼町(飯沼観音)

旧国名

下総国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

海上氏

築城年

不明

主な改修者

主な城主

海上氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

桜井城(千葉県旭市)[18.4km]
森山城(千葉県香取市)[21.7km]
野手城(千葉県匝瑳市)[24.8km]
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飯沼城の口コミ情報

2021年09月03日 国府武蔵守城介
中島城[飯沼城  周辺城郭]



東総地方の雄・海上氏の居城

【歴史】
築城者は、千葉六党の東氏に連なる海上(うなかみ)氏。
築城年代は不明(建久年間?)だが、天正18年(1590)に小田原征伐に落城し、そのまま廃城となった。

【遺構】
飯沼城から西北西7.2kmの利根川に面する標高40mの台地に築かれ、東西約500m、南北約400mの広さを誇る。
現在、主郭部分はほぼ農耕地となっているが、地形改変はあまりされていなく、郭や空堀の跡を確認することが出来る。西側にある琴平神社が城域の最高所にあたり、物見台の跡であると考えられる。
台地上を囲むように帯曲輪があり、そこには水堀の跡があり、中世城郭としては珍しい。
急崖の地形のため、本来の登城口は大手門(東)と西木戸の二つしかなく、かつては土塁や枡形虎口もあったようだが、土砂採掘等により消滅した。なので、案内板にある虎口の位置はおかしいのだが…

【感想】
東総地方で勢力を誇った海上氏の居城に相応しくかなり巨大な城郭です。歴史書では建久年間(1190~1192)に記載があるとのことですが、現在残っている遺構から判断すると、戦国時代に築城したと考えられます。千葉宗家の本佐倉城には及びませんが、大須賀氏の助崎城(成田市)よりは規模が大きいと思われます。おそらく、利根川や椿の海といった水運を利用して、勢力を伸ばした結果だと思われます。
台地上は主に4つの郭に分かれていますが、畑になっているので、見学する際には注意してください。空堀の跡もはっきりと分かりますが、ここも畑となっており、かなり浅くはなっていますが、幅自体はかなり広いので、往時はかなり深かったと推測することが出来ます。
帯曲輪にある水堀跡を見たかったのですが、急斜度に加え高さもあり、帯曲輪に降りる方法がなく確認できませんでした。もしかすると、畑を横断すれば降りれる地点があるかもしれませんが…
麓には平場があり、当時は大手門や家臣団の屋敷があったと思われますが、現在は個人宅になっています。

【アクセス】
総武本線猿田駅から徒歩30分、または成田線椎柴駅から徒歩20分。
特に駐車場はないので、路駐するしかないと思われます。

【写真】
1:案内板(西側の青年館近くの物)
2:琴平神社
3:案内板だと虎口だが…
4:空堀(3郭と4郭の間)
5:帯曲輪(南側)
6:1郭(要害)
7:外堀(逆川)
8:遠景

2021年07月23日 女帝 織田信華
飯沼水準原標石[飯沼城  その他]

飯沼水準原標石は、明治5年(1872)に明治政府の招聘(しょうへい)により来日したドールン(C.J.Van Doorn)を代表とするオランダ人技師団の一人、リンド(Isaac Anne Lindo)により設置されました。

(水準原標とは、水準測量(高さを測る測量)行う時の原点となる点のことです。利根川、江戸川の水準測量を開始するときにリンドは、千葉県銚子市にある飯沼観音内に設置し、これを基準に飯沼水位尺(量水標)の基本水平面を(J.P.)日本水位尺と名付けました。、ここから、利根川、江戸川の基本水平面(Y.P. 0.0m)の高さや荒川の基本水平面(A.P. 0.0m)の高さが決まり、現在のそれらの河川における河川計画の基準高となっています。)

この当時、明治政府は、利根川、江戸川、荒川や信濃川や淀川等の河川を治水(河川の氾濫から町を守ること)や利水(舟運のための運河の建設や農業・工業用水や上水の確保)等の河川改修のためにデレーケやムルデルに代表されるたくさんのオランダ人技師を招きました。

2021年07月20日 十時下総守半睡
飯沼城



お城と言うよりお寺の境内、小高い丘の上にあるので銚子港方面の眺望は良いです。海風が心地よい。駐車場は月極場所と混在、少しわかりづらいです。

2021年06月13日 ファン掃部助トム治郎
飯沼城



飯沼観音には大仏があります。玉縄城のイメージが強かったですが北条氏繁はこの地で佐竹を睨みながらなくなったんですね。

2021年05月28日 特にありません
飯沼城

城というよりとても素晴らしい仏閣ですね。今、海から引き上げた観音様が限定ご開帳との事で、偶然参拝できました。城の遺構は無いけど。

2019年06月30日 下沼下総守雄信
旧陣屋跡の碑[飯沼城  碑・説明板]



銚子は上野国高崎藩の飛び地領域だった歴史があり、その当時の陣屋跡を示す碑。跡地は陣屋公園となっていて、この辺りの地名は陣屋町である。右の白い建物はトイレ。左の赤い建物は熊野神社。駐車場はなく路駐することになるので近隣住民のご迷惑にならないよう配慮を。

2019年06月30日 下沼下総守雄信
圓福寺大師堂[飯沼城  寺社・史跡]



かつては広大な境内を有していたが、戦後、大師堂(本坊)エリアと、観音堂(本堂)エリアとに分断される歴史がある。飯沼城もこの辺りまで城郭を有していたのだろうか?こちら、大師堂エリアは大師堂の他、涅槃堂や墓地などがある。

2019年06月30日 下沼下総守雄信
圓福寺(飯沼観音)本堂[飯沼城  寺社・史跡]



飯沼城があったとされる圓福寺の本堂。空襲で焼失後、戦後再建。醤油製造の街らしく、奉納物は御神酒の菰樽ではなく、醤油の一斗缶。圓福寺こと飯沼観音は坂東三十三観音霊場の第27番札所。こちらの観音堂エリアは観音堂(本堂)の他、大仏像、五重塔、仁王門、飯沼水準原標石(土木遺産)がある。

2019年06月30日 下沼下総守雄信
浜見坂[飯沼城  その他]



圓福寺(飯沼城趾)と東側の住宅街とではこのくらいの高低差があるが、これが遺構であるのか不明。ここよりも数百メートル東側にある後飯町公園や、浅間神社辺りの方が千葉県内によくありがちな台地の先端にある城趾っぽく見えるが果たして?

2019年06月30日 下沼下総守雄信
トイレ(夜間閉鎖)[飯沼城  トイレ]



左側の建物がトイレ。夜間は閉鎖されるので注意。

2018年05月26日 上総介甲斐守
飯沼城

飯沼観音圓福寺は広い通り馬場町交差点をおおまかに挟んで北に札所飯沼観音、南に圓福寺本坊太子堂があります。観音側駐車場は檀家のみで一般は停められませんが、本坊側の駐車場は一般も停めることができ、そこから徒歩で観音や陣屋公園に行くことが可能です。

2017年12月03日 山内侍従伊右衛門俊胤
飯沼城

海上氏
圓福寺の伽藍を建てた海上長者、最初千葉一族の海上氏と見ていたのだが、調べてみると海上氏の発祥は平安後期で、千葉常胤の叔父、海上与一介常衡からというので、海上長者は千葉氏より前にこの地域で勢力を持っていた豪族であったと思われる。

千葉一族の海上氏は二流あり、ひとつは先の常衡の流れで、もうひとつの流れは常衡流の滅亡後に常胤の六男、東六郎大夫胤頼の孫、海上二郎胤方から始まる。飯沼城はこの海上氏によって築城されたとされることから、もともと圓福寺があった場所(またはその周辺)に後から城を建てたことになる。

「鎌倉大草紙」では海上師胤の代で千葉介孝胤に味方し、千葉介自胤・太田資忠に飯沼城を奪われたとしているが、「太田道灌状」にはそのような記述は無く、それどころか海上師胤は撤退した自胤に帰服している。その頃海上氏内でも御家騒動のようなものが起こっていたとされ、実態の把握は困難であるが、何方にせよ海上氏がここで没落することは無く、その後も続いた。

1590年の小田原合戦の折、海上氏は兵を率いて小田原城に入城している。

2017年12月03日 山内侍従伊右衛門俊胤
飯沼城

圓福寺
圓福寺は坂東27番札所で26番清滝寺、28番滑河龍正院から距離があるため、銚子の町は門前宿場町として発展した。

安永2年(1773)には十間四方の銅葺に改築され、仁王門、鐘楼、多宝塔、太子堂などの大小さまざまな建物がいずれも整備され、豪壮な寺であったが、戦時中に全て焼失してしまっている。現在境内にある仁王門・観音堂は1971年(昭和46年)再建、五重塔は2011年(平成23年)に完成した新しいものである。

境内にある銚港神社は観世音示現と共に海中より出現した馬脳石がご神体で、明治2年までは「竜蔵権現」と称し、飯沼観音の鎮守であった。圓福寺西側にある陣屋児童公園は高崎藩銚子陣屋跡であり、公園内にある熊野神社は江戸時代より存在している。

当日(2017年11月26日)は黒潮よさこい祭りが開催されており、圓福寺境内でもよさこいが行われて、町が活気付いていた。毎年この時期に行われているとの事なので、機会があれば観に行くのも一興。

2017年12月03日 山内侍従伊右衛門俊胤
飯沼城

飯沼城は現在の圓福寺が建っている場所周辺にあったとされている。
圓福寺は弘仁年間(810~824)に弘法大師が本尊の十一面観世音を開眼し、海上長者と称する豪族が財を出して壮麗な伽藍を建てたと伝えられている。

圓福寺の土地は台地に繋がる南側を除き、周囲より3~5m程高くなっている。要害と言えるほどではないが、南の防御さえ構えれば館を置くにはそれなりの立地と見える。
飯沼城の正確な場所がどこであったかははっきりしないが、圓福寺の境内がそうであったとするなら、城というより、城郭機能を兼ねた寺であったと考えた方が良いかも知れない。
南に目を向ければ独立した小さい台地や舌状台地があり、其方の方が城郭を築くのに向いている。

建てられた時代もあるが、防御目的の要塞ではなく、港の管理が目的であったと考えられる。

2016年10月31日 まー刑部卿
飯沼城

飯沼観音の境内に駐車場なし。ただ地元民も路駐しているので問題はないかと。石碑のある公園に行くのを忘れてました。

2016年05月08日 永眠武蔵守釋 葱進
飯沼城

現在は飯沼観音や圓福寺が建っていますが、城の痕跡はほとんどなくかろうじて近くの公園に石碑がある程度です。

銚子電鉄観音駅(なぜかたい焼きが有名)や高速バス陣屋町バス停から徒歩圏内ですし、飯沼観音から数分で銚子漁港へ出られるので、銚子観光の一つとして立ち寄るのがよいでしょう。

2011年04月18日 さくら主膳佑にゃ〜
飯沼城

室町時代、海上郡を所領した千葉氏一族東氏流海上氏により、本拠中島城の支城として築かれた。戦国時代初頭には海上備中守師胤が居城しその本拠となったと見られるが、師胤が千葉自胤、太田資忠の攻撃を受けた千葉孝胤の臼井城救援に向かったところ反撃に遭い、逆に飯沼城を奪われている。

江戸時代、銚子地方は高崎藩松平氏の飛地となり陣屋が置かれた。城、陣屋はほぼ同一の箇所に置かれたと見られるが、飯沼城は円福寺、飯沼陣屋は陣屋公園となっている。

2010年06月14日 中務大輔平八郎
飯沼城

陣屋町公園になっており石碑があります。

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