飯沼城(いいぬまじょう)

飯沼城の基本情報

通称・別名

所在地

千葉県銚子市飯沼町(飯沼観音)

旧国名

下総国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

海上氏

築城年

不明

主な改修者

主な城主

海上氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

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鹿島城(茨城県鹿嶋市)[32.9km]

飯沼城の口コミ情報

上総介駿河守様[2018年05月26日]
飯沼観音圓福寺は広い通り馬場町交差点をおおまかに挟んで北に札所飯沼観音、南に圓福寺本坊太子堂があります。観音側駐車場は檀家のみで一般は停められませんが、本坊側の駐車場は一般も停めることができ、そこから徒歩で観音や陣屋公園に行くことが可能です。

佐野式部少輔藤原朝臣氏胤様[2017年12月03日]
海上氏
圓福寺の伽藍を建てた海上長者、最初千葉一族の海上氏と見ていたのだが、調べてみると海上氏の発祥は平安後期で、千葉常胤の叔父、海上与一介常衡からというので、海上長者は千葉氏より前にこの地域で勢力を持っていた豪族であったと思われる。千葉一族の海上氏は二流あり、ひとつは先の常衡の流れで、もうひとつの流れは常衡流の滅亡後に常胤の六男、東六郎大夫胤頼の孫、海上二郎胤方から始まる。飯沼城はこの海上氏によって築城されたとされることから、もともと圓福寺があった場所(またはその周辺)に後から城を建てたことになる。「鎌倉大草紙」では海上師胤の代で千葉介孝胤に味方し、千葉介自胤・太田資忠に飯沼城を奪われたとしているが、「太田道灌状」にはそのような記述は無く、それどころか海上師胤は撤退した自胤に帰服している。その頃海上氏内でも御家騒動のようなものが起こっていたとされ、実態の把握は困難であるが、何方にせよ海上氏がここで没落することは無く、その後も続いた。1590年の小田原合戦の折、海上氏は兵を率いて小田原城に入城している。

佐野式部少輔藤原朝臣氏胤様[2017年12月03日]
圓福寺
圓福寺は坂東27番札所で26番清滝寺、28番滑河龍正院から距離があるため、銚子の町は門前宿場町として発展した。安永2年(1773)には十間四方の銅葺に改築され、仁王門、鐘楼、多宝塔、太子堂などの大小さまざまな建物がいずれも整備され、豪壮な寺であったが、戦時中に全て焼失してしまっている。現在境内にある仁王門・観音堂は1971年(昭和46年)再建、五重塔は2011年(平成23年)に完成した新しいものである。境内にある銚港神社は観世音示現と共に海中より出現した馬脳石がご神体で、明治2年までは「竜蔵権現」と称し、飯沼観音の鎮守であった。圓福寺西側にある陣屋児童公園は高崎藩銚子陣屋跡であり、公園内にある熊野神社は江戸時代より存在している。当日(2017年11月26日)は黒潮よさこい祭りが開催されており、圓福寺境内でもよさこいが行われて、町が活気付いていた。毎年この時期に行われているとの事なので、機会があれば観に行くのも一興。

佐野式部少輔藤原朝臣氏胤様[2017年12月03日]
飯沼城は現在の圓福寺が建っている場所周辺にあったとされている。圓福寺は弘仁年間(810~824)に弘法大師が本尊の十一面観世音を開眼し、海上長者と称する豪族が財を出して壮麗な伽藍を建てたと伝えられている。圓福寺の土地は台地に繋がる南側を除き、周囲より3~5m程高くなっている。要害と言えるほどではないが、南の防御さえ構えれば館を置くにはそれなりの立地と見える。飯沼城の正確な場所がどこであったかははっきりしないが、圓福寺の境内がそうであったとするなら、城というより、城郭機能を兼ねた寺であったと考えた方が良いかも知れない。南に目を向ければ独立した小さい台地や舌状台地があり、其方の方が城郭を築くのに向いている。建てられた時代もあるが、防御目的の要塞ではなく、港の管理が目的であったと考えられる。

まー宮内卿様[2016年10月31日]
飯沼観音の境内に駐車場なし。ただ地元民も路駐しているので問題はないかと。石碑のある公園に行くのを忘れてました。

永眠武蔵守釋 葱進様[2016年05月08日]
現在は飯沼観音や圓福寺が建っていますが、城の痕跡はほとんどなくかろうじて近くの公園に石碑がある程度です。

銚子電鉄観音駅(なぜかたい焼きが有名)や高速バス陣屋町バス停から徒歩圏内ですし、飯沼観音から数分で銚子漁港へ出られるので、銚子観光の一つとして立ち寄るのがよいでしょう。

さくら主膳佑にゃ〜様[2011年04月18日]
小天狗様城主就任祝い
室町時代、海上郡を所領した千葉氏一族東氏流海上氏により、本拠中島城の支城として築かれた。戦国時代初頭には海上備中守師胤が居城しその本拠となったと見られるが、師胤が千葉自胤、太田資忠の攻撃を受けた千葉孝胤の臼井城救援に向かったところ反撃に遭い、逆に飯沼城を奪われている。
江戸時代、銚子地方は高崎藩松平氏の飛地となり陣屋が置かれた。
城、陣屋はほぼ同一の箇所に置かれたと見られるが、飯沼城は円福寺、飯沼陣屋は陣屋公園となっている。

中務大輔平八郎様[2010年06月14日]
陣屋町公園になっており石碑があります。

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