蒼海城(あおみじょう)
蒼海城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 群馬県前橋市元総社町
旧国名
- 上野国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 総社長尾氏
築城年
- 永享元年(1429)
主な改修者
- -
主な城主
- 総社長尾氏、諏訪頼忠、秋元長朝
廃城年
- 慶長6年(1601)
遺構
- 曲輪、土塁
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
石倉城(群馬県前橋市)[1.9km]
前橋城(群馬県前橋市)[2.4km]
北新波砦(群馬県高崎市)[6.3km]
島名城(群馬県高崎市)[6.9km]
阿内城(群馬県前橋市)[7.1km]
箕輪城(群馬県高崎市)[7.6km]
剣城(群馬県渋川市)[7.7km]
高崎城(群馬県高崎市)[7.9km]
倉賀野城(群馬県高崎市)[10.7km]
里見城(群馬県高崎市)[11.2km]
蒼海城の口コミ情報
2023年05月26日
檜田城[蒼海城 周辺城郭]
いまは工業地帯。現浄水場付近に案内板武田の武将、田口左近将監長能に持っていかれた推鐘の出元、東覚寺跡の案内板も北にありました。東覚寺跡と目される位置(看板から概ね300m西)より、南西方向、八幡川を遠望してみました。
2022年10月30日 マグロ常陸介祐平
蒼海城
本丸跡は立ち入り禁止になっています。区画整理が進んでいて遺構は確認できません。本丸近くの御霊神社も真新しくなっています。御霊神社には神社と総社長尾氏由緒の説明板があります。
2022年10月30日 マグロ常陸介祐平
勝山城[蒼海城 周辺城郭]
室町時代初期に築城された赤松氏の居城で、1566年に武田氏の攻略により落城し廃城になったとのことです。おとなりの総社城はこの城の一部を取り入れたようです。
2022年10月30日 マグロ常陸介祐平
総社城[蒼海城 周辺城郭]
僅か32年間で廃城になったお城ですが城域はかなり広かったようです。遺構はほとんど残っていないようで、遠見山古墳が物見に使われていたようですが、普通に前方後円墳です。近くの光厳寺は藩主秋元氏の菩提寺で、お寺の前にある国指定の史跡宝塔山古墳の上には、初代から明治期までの歴代の墓があります。また、元景寺には初代藩主長朝の父景朝の墓があります。景朝の墓の脇には、川越中院にある太陽寺氏の先祖と思われる墓も見られます。余談ですが、宝塔山古墳の石室と中にある家形石棺は大変みごとで、一見の価値ありです。
2022年04月26日 見城
蒼海城
蒼海城は、城郭東部に上野総社神社が配置され、東の牛池川を堀として区画された平城です。
現在は川を利用した牛池川遊歩道があり、明神東公園と合わせて散歩が出来る憩いの場所です。春になり虫たち、鳥たちも現れたり、あずまやから川や遠くの山を眺めたりゆっくり楽しめます。
蒼海城跡の地図も総社神社にあり、確認しながら、古の城郭をイメージして散策するのも良いかと思います。遺構は住宅地に紛れ確認しにくいですが、城内にある御霊神社や宮鍋神社を訪れると、往時の様子が解説された案内板があり楽しめます。
・牛池川遊歩道から、ハナミズキと明神東公園
・総神社社を牛池川を挟み、北側から
・御本丸の南西角の盛り土。やぐるま草、なでしこ等の花たちでふちどられて良いです。
2021年05月04日 まー刑部卿
総社城西木戸跡[蒼海城 その他]
南木戸跡と一緒で石碑と説明板があります。
総社発電所跡の説明板もあり流れている川は天狗岩用水です。道路端にあり気付かないと通り過ぎてしまいますのでご注意を。
2021年05月04日 まー刑部卿
総社城南木戸跡[蒼海城 その他]
石碑と説明板があります。
道路端にあります。目印はキックボクシングのジムがあります。
2021年04月25日 見城
総社城[蒼海城 周辺城郭]
秋元長朝氏が築城した南北780m、東西750mの同心円状の縄張りで、西は天狗岩用水を大堀としていた。東端は利根川崖端で前橋城、石倉城と同様、川の浸食の影響で本郭は削り取られてしまった。二の丸中央の遠見台があった場所は、現在の遠見山古墳である。総社地区史跡愛存会から引用
この他にも遠見台として機能していたであろう宝塔山古墳、蛇穴山古墳他、この周辺は総社古墳群と呼ばれており、大和時代の豪族の面影がある地域に総社城は築城されていた。
・ 天狗岩用水と整備された遊歩道
・光厳寺裏より北西側平地(左手)と大堀:天狗岩用水(右手)
・遠見台のあった遠見山古墳
・遠見台は、南を望むと前橋城(群馬県庁)の方向が見渡せる立地
・秋元氏に由来の秋元橋は、天狗岩用水にかかる。
・秋元氏の菩提寺 光厳寺の長屋門
・蛇穴山古墳北側
・宝塔山古墳南東側
総社公民館の駐車場が利用できれば、ゆっくり散策できます。
2021年02月11日 Hoshi
蒼海城
表示されている本丸には、今のところ看板などはありませんでした。まわりは工事中です。そのそばの、史跡表示のところに、神社の新しい鳥居と小さな建物があり、そこに初代城主の碑が作られていました。総社神社は、それとは別の場所にあり、総社神社の境内に蒼海城跡地図の看板があります。
2021年01月27日 まー刑部卿
総社城櫓台跡(遠見山古墳)[蒼海城 関連施設]
堀跡の痕跡あるそうでしたがわかりませんでした。駐車場は公民館前の公園に駐車可。
入口に前方後円墳の説明がありましたが総社城の名が、全くなし。
2021年01月27日 まー刑部卿
蒼海城
表示されている場所が本丸跡です。以前発掘調査されたため現在立入禁止。周辺は大々的に工事・整備中(御霊神社裏の残存土塁は破壊)。遺構・痕跡は完全になくなりそうです。今の工事が終えた後、城跡の表示案内ない限り城跡と思えない風景になるでしょう。総社神社の蒼海城跡地図の看板自体に意味がなくなるかと思います。
2021年01月27日 まー刑部卿
御霊神社[蒼海城 関連施設]
御霊神社裏にあった残存土塁は建築住宅工事のため破壊されました。御霊神社も曳屋工事で移築。改変され続けています。本丸跡付近の道路はもともとの地盤より1mくらい高くなります。痕跡が一切残らない城になりそうです。
2014年09月08日 イダッチ内膳正ヨッチャン
蒼海城
関東管領山内上杉家に仕え、上野守護代等の要職を代々務めた、総社長尾家の居城です。上野国府跡を含む広大な城郭を誇りますが、市街地化により、遺構は見当たりません。総社神社や宮鍋神社が城域に入っているようです。城郭が広すぎた為、長尾氏も、一度居城を石倉城に移しましたが、利根川の侵食により、再び蒼海城に帰ったとのことです。徳川時代に総社を治めたのは秋元氏ですが、総社城を北に築いて、其処を居城としています。数万石の小大名には手に余る城だったのでしょうか。
2011年07月26日 ばっち上野介こーい
蒼海城
総社神社にでっかい説明板があるよ
蒼海城の周辺スポット情報
蒼海城地図(碑・説明板)
総社城(周辺城郭)
檜田城(周辺城郭)
勝山城(周辺城郭)
総社藩主秋元氏墓所(寺社・史跡)
ホテル1-2-3 前橋マーキュリー(御城印)
総社城櫓台跡(遠見山古墳)(関連施設)
御霊神社(関連施設)
総社城南木戸跡(その他)
総社城西木戸跡(その他)