石倉城(いしくらじょう)
石倉城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 群馬県前橋市石倉町4-19-5
旧国名
- 上野国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 長尾憲景
築城年
- 文明17年(1485)
主な改修者
- 武田信玄
主な城主
- 長尾氏、曽根氏(武田氏家臣)、荒井甚六郎(上杉氏家臣)、寺尾氏(北条氏家臣)
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
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石倉城の口コミ情報
2022年10月30日 マグロ常陸介祐平
石倉城
前橋城の利根川をはさんだ対岸にあります。石碑(福田赳夫書)の脇には長文の碑文が書かれています。遺構は見当たりませんでした。
2022年08月12日 菊左近衛少将
石倉城
前橋城から歩いても行けそうな、川の反対側。小さな公園の中に看板がありました。
2022年03月27日 見城
石倉城
石倉城は、現在王山古墳公園となる高台の北砦から、南は用水堰堤までの、また東は利根川、西は石倉城外堀公園までの南北に細長い城郭でした。
城郭は現在宅地化されており、北の虎口に配置された高台である王山古墳の盛り土が往時の数少ない遺構と考えられます。そしてもう一つの遺構は、大水に削り取られた石倉城郭の絶壁があり、これら周辺は利根川河川敷のグラウンドやサイクリングロードとなり、生活に溶けこんで利用されております。
サイクリングロードは、その絶壁に沿って回廊のようになっており、ちょうど削り取られた石倉城郭を見上げながら、古の戦国の世を忍ぶことができる散策の小径です。
・高台からの眺め
・城郭北の王山古墳は高台
・削り取られた城郭東の絶壁
・自転車道から見上げる城東部、右下は赤城山
・城郭沿いの回廊化した自転車道を徒歩で散策
・城郭外堀南 用水堰堤河川敷から
・城郭外堀南 上石倉ミニ公園から利根川を見下ろす。対岸に前橋城 群馬県庁舎
2015年05月05日 野呂利左衛門督休三
石倉城
県道10号線が外郭の北側の堀跡のようです。中央大橋を利根川の西岸に渡りきって最初の信号のある交差点で北側(すき屋がある方)から見ると、道路が低くなっており、南側には土塁の痕跡と思われる盛り上がりが窺えます。
また、石倉城二の丸公園から300メートル南に行ったところに、断崖を伴う川がありますが浅川の放水路で、外郭の南側の堀にあたるようです。
2015年02月20日 牢屋見廻り同心マダオ
石倉城
遺構はありませんが、二の丸公園と外堀公園が石倉城の名残を偲ばせています。
2014年01月16日 イダッチ内膳正ヨッチャン
石倉城
信玄が前橋城攻略の為、利根川を挟んだ対岸に築いた石倉城ですが、皮肉なことに前橋城同様利根川の侵食と市街地化により、本丸は既に無く、遺構も分からなくなっています。二の丸に公園が有りますが、ただの公園です。案内板や石碑が在るだけ。ちなみに石碑の文字の主は故福田赳夫元総理によるものです。
石倉城の周辺スポット情報
碑・説明板(石)・鳥瞰図(碑・説明板)
勝山城(周辺城郭)