駒城(こまじょう)

駒城の基本情報

通称・別名

駒館、駒楯城

所在地

茨城県下妻市黒駒字奥内47-1

旧国名

常陸国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

藤原実寛

築城年

南北朝時代

主な改修者

主な城主

藤原実寛

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

県史跡(駒城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

関城(茨城県筑西市)[3.9km]
大宝城(茨城県下妻市)[5.0km]
多賀谷城(茨城県下妻市)[5.7km]
結城城(茨城県結城市)[10.3km]
逆井城(茨城県坂東市)[10.5km]
海老ヶ島城(茨城県筑西市)[10.8km]
塚田城(栃木県小山市)[11.1km]
中久喜城(栃木県小山市)[11.7km]
下館城(茨城県筑西市)[11.8km]
伊佐城(茨城県筑西市)[13.5km]

駒城の解説文

南北朝時代にあった城跡。東西約120m、南北約180mの城跡の北西部に『駒城址』の碑がある。駒館、駒楯城ともいわれた。

駒城は小田城(つくば市)、関城(筑西市)、大宝城とともに常陸国における南朝方の戦略的拠点として重要な存在であった。在地の武将の名は確定できないが、中御門少将実寛を擁して奮戦し、興国1・暦応3年(1340)5月27日、北朝方の将高師冬の猛攻により実寛は生け捕りにされ、やがて落城したといわれる。

情報提供:下妻市教育委員会生涯学習課


駒城の口コミ情報

2024年06月14日 マグロ常陸介祐平
駒城



駒城は、南北朝時代の騒乱期に中御門少将藤原実寛により築かれたお城です。実寛は南朝方としてこの城に立てこもり、北朝方の高師冬の攻撃により落城します。

北畠親房が小田城で「神皇正統記」を著すことが出来たのは、実寛が師冬を釘付けにしたからとされています。駒城は昭和10年に茨城県指定の史跡となりますが、皇国史観によるものです。これも歴史の一コマですね。

遺構は、石碑の建つ土塁が空堀を伴い一本と「茨城県の中世城館」の縄張図に土塁のように表現される南東に200mにある「駒の墓」の石碑(大正13年建立、由緒不明)が建つ短い土盛りのみと思われます。
また、近くには南北朝時代の五輪塔がありますが、説明板には城との関わりにはふれていません。

2024年06月14日 マグロ常陸介祐平
鷲宮砦[駒城  周辺城郭]



和歌城の北東1km、沼森鷲神社が砦跡です。南北朝時代、北朝方の高師冬が南朝方の駒城を攻略するための拠点の1つとして築いたようです。

神社のある主郭は一段高い土壇に建てられ、周囲には土塁や堀の痕跡のような構造が見られますが、明確な遺構という感じではありません(写真3,4,5,6,7,8枚目)。

北条氏照の北総侵略では、お隣の和歌城同様攻撃を受けたとされていることから、戦国期まで存在したようですが、神社の創建は1409年とされており、微妙な感じです。

神社の鳥居は1701年のもので、町の文化財に指定されています。説明板は砦にはふれていません(写真1,2枚目)。

2023年08月29日 つか征夷大将軍
山川城[駒城  周辺城郭]



山川城もしくは山川氏居館です。現在は通称梅寺と言われている東持寺になっています。結城四天王の一つとされる山川氏の最初の居城だと言われています。結城朝光の子である重光が山川氏を称したのが始まりといわれています。山川綾戸城が築城されると移ったそうです。
昔の館跡らしく周りを土塁と堀で囲まれています。四つ角も綺麗に盛り上がってますね。

2023年08月29日 つか征夷大将軍
山川家歴代霊廟[駒城  寺社・史跡]



長徳院に山川家歴代霊廟があります。山川氏は結城朝光の子である重光が山川氏を称したのが始まりといわれています。現在の東持寺に屋敷を構えて、後に山川綾戸城を居城としていたそうです。山川朝貞 の時に結城秀康に従い越前に移りました。

2023年08月29日 つか征夷大将軍
山川水野家墓所[駒城  寺社・史跡]



山川水野家の菩提寺だった万松寺があったそうです。この山川水野家は、水野信元や於大の方の兄弟である水野忠守の子、水野忠元が大坂の陣後に下総山川藩3万5000石の藩主となり、山川水野家初代となります。二代水野忠善がこの地に山川水野家の菩提寺として護竜山万松寺を建立したそうです。その後に山川水野家は国替えとなり、山川の地を離れた後も、十一代忠邦までの当主は、万松寺に葬られてきました。 お寺は江戸時代末期に火災により焼失してしまいますが、再建されず明治五年に廃寺となったそうです。
天保の改革で有名な水野忠邦のお墓もあります。

2023年08月29日 つか征夷大将軍
山川綾戸城[駒城  周辺城郭]



結城四天王の一つとされる山川氏の居城です。結城朝光の子である重光が山川氏を称したのが始まりといわれています。山川朝貞の時に結城秀康に従い越前に移りお城は廃城になったそうです。その後に水野氏がこの地を与えられると修築して使用したそうです。
遺構は土塁の一部があるくらいですかね。他は案内が無いのでわかりません。周りは農地として開発されてます。

2020年09月15日 kazuyou大蔵大輔
駒城



南北朝時代に、髙師冬との大激戦があり小田城への進軍をかなりの日数足止めさせたこの城も、今は、少しの土塁と空堀が林の中に残るだけです☝️県史跡になっています。僅かな遺構をきれいに整備してありました😃トイレ🚻駐車場🅿️はありませんが、説明板の前に一台くらいなら停められます。

2019年05月30日 感謝修理大夫はる ◢͟│⁴⁶
駒城

駒城の案内板に書かれている山川綾戸城(アプリ未登録)は結城市山川不動尊近くにあります。土塁が少し残っている程度ですが、山川不動尊は平将門ゆかりのものらしいです。毎月28日に縁日が開かれているそうです。近くに「天保の改革」で知られる、水野越前守忠邦の墓があります。

2016年01月01日 まー刑部卿
駒城

県道233号線の脇道を入ると車一台分の道幅しかありません。駐車場はない為城址石碑前に路駐。ここは車一台置いても対抗車両が通れます。
ここはアパートが隣接したりして遺構が見つかりませんでした。石碑周辺にこんもりとした土塁跡しか見受けられませんでした。

駒城の周辺スポット情報

 堀、土塁、曲輪(遺構・復元物)

 駒城趾石碑(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 山川綾戸城(周辺城郭)

 山川城(周辺城郭)

 鷲宮砦(周辺城郭)

 山川水野家墓所(寺社・史跡)

 山川家歴代霊廟(寺社・史跡)

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