山川綾戸城
山川綾戸城([駒城 周辺城郭])
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山川綾戸城の口コミ情報
2025年02月22日 マグロ常陸介祐平
天慶の乱(938~940年)で、平将門が砦を築いたとの伝承があるようです。永禄8年(1565年)になると結城氏の一族山川氏が北に4km程の山川城(現東持寺)からこの地に城を築き移っています。慶長6年(1601年)に結城秀康と共に山川氏が越前に移ると、一旦徳川氏の直轄地となり、慶長9年に松平定勝(久松松平)の三男の定綱が山川に5000石を与えられ、慶長14年に1万石を加増され、山川藩が立藩します。おそらくこの時点で近世城郭として整備されたと思われます。元和2年(1616年)定綱がさらに加増され下妻に移ると(最終的には桑名藩主)、家康の従兄弟の水野忠元が3万石で入りますが、寛永12年に1万石を加増され、駿河田中に移封となり山川藩は廃藩となり山川綾戸城は城としての役目を終えます。その後山川の地は、壬生藩領となり、城跡に陣屋が置かれています。
宝暦3年(1753年)に成立した諸国古城之図を見ると、湖(山川沼)の中の島のように描かれており、かなり堅固なお城だったように見えます。近世城郭としては、城下町が発達しなかった理由が何となくわかる気がします。遺構としては、看板のある場所(写真1,2,3枚目)と少し北側の墓地付近(写真4,5,6枚目)に土塁が見られます。
近くには平将門の守り本尊とされる不動明王坐像(茨城県文化財)が伝わる山川不動尊、長徳院には山川氏歴代の墓(写真7枚目)、萬松寺跡には水野忠邦など水野氏歴代の墓(写真8枚目)があります。
2023年08月29日 つか征夷大将軍ぽ
結城四天王の一つとされる山川氏の居城です。結城朝光の子である重光が山川氏を称したのが始まりといわれています。山川朝貞の時に結城秀康に従い越前に移りお城は廃城になったそうです。その後に水野氏がこの地を与えられると修築して使用したそうです。
遺構は土塁の一部があるくらいですかね。他は案内が無いのでわかりません。周りは農地として開発されてます。