山川城
山川城([駒城 周辺城郭])
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山川城の口コミ情報
2025年02月24日 マグロ常陸介祐平
鎌倉時代初期に結城氏初代朝光の四男重光が築城したと伝わります。分割相続の時代でもあり、独立した武士として鎌倉幕府に仕えていたようです。小山氏・結城氏の有力な一族として、小山氏の15代成長は、山川氏より養子に入っています。鎌倉時代から戦国時代まで、代々この館に居住しましたが、永禄8年(1565年)氏重の代に山川綾戸城を築いて移っています。慶長6年に山川氏が結城氏(秀康)に従い福井に移ると幕府の直轄地となり、陣屋が置かれ横田氏が代官として赴任、代官が廃止されると東持寺が寛永3年(1626年)この地に移っています。
お城は典型的な方形の居館で、土塁や空堀が良好に残っています。説明板によると南北約172m、東西約134m、堀の幅約7m、土塁は幅約7m・高さ約1.8m、南側の山門側の虎口が大手門跡で、南に真っ直ぐに伸びる道が馬場だったようです。
戦国時代後期に、防衛力の高い綾戸城に移ったのは納得できます。
2023年08月29日 つか征夷大将軍ぽ
山川城もしくは山川氏居館です。現在は通称梅寺と言われている東持寺になっています。結城四天王の一つとされる山川氏の最初の居城だと言われています。結城朝光の子である重光が山川氏を称したのが始まりといわれています。山川綾戸城が築城されると移ったそうです。
昔の館跡らしく周りを土塁と堀で囲まれています。四つ角も綺麗に盛り上がってますね。