塩原城(しおばらじょう)

塩原城の基本情報

通称・別名

塩原要害城

所在地

栃木県那須塩原市上塩原1002

旧国名

下野国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

塩原家忠

築城年

保元元年(1156)頃

主な改修者

塩原越前守

主な城主

塩原氏、小山氏

廃城年

慶長2年(1597)

遺構

曲輪、土塁、空堀

指定文化財

市史跡(塩原(要害)城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

真木城(栃木県那須塩原市)[12.1km]
矢板城(栃木県矢板市)[22.9km]
玉生城(栃木県塩谷郡)[23.4km]
鴫山城(福島県南会津郡)[23.7km]
川崎城(栃木県矢板市)[24.5km]

塩原城の解説文

平安時代より塩原の地は宇都宮城主の領地で、塩谷氏の一族の塩原氏が地頭であった。

保元元年(1156)頃に「八郎ヶ原」舘を構えていたが、治承2年(1178)箒川と善知鳥沢との合流点の高台に塩原(要害)城を築いたと言われている。

鎌倉時代に入り、長沼(小山)宗政の領地となり、塩原氏はその支配下で領地を守ってきたが、その後、宇都宮系の君島信濃守、小山系ともいわれ橘伊勢守の支配を受け、文亀2年(1502)会津芦名氏の傘下であった小山出羽守が一時城主となったが、戦国時代に宇都宮家臣の塩原越前守が大改修を行ない、ほぼ現在の城郭になった。

しかし慶長2年(1597)、宇都宮氏の改易と共に、約420年続いた塩原城も廃城となった。

城郭は東西約300m、南北約250mに及ぶ塩原最大のもので、約40mの断崖が自然要害になっている。その中心には約30m四方の本丸を置き、虎の門や馬出しを設置、外敵に備え空堀を二重に廻し、大手門にあたる本丸には、南北約100m、高さ約5mの土塁を築いた強固な城構えとなっている。

情報提供:那須塩原市教育委員会生涯学習課

塩原城の口コミ情報

口コミがまだ投稿されていません。

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore