塩原城(しおばらじょう)
塩原城の基本情報
通称・別名
- 塩原要害城、要害城
所在地
- 栃木県那須塩原市上塩原1002
旧国名
- 下野国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 塩原家忠
築城年
- 保元元年(1156)頃
主な改修者
- 塩原越前守
主な城主
- 塩原氏、小山氏
廃城年
- 慶長2年(1597)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(塩原(要害)城跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
真木城(栃木県那須塩原市)[12.1km]
矢板城(栃木県矢板市)[22.9km]
玉生城(栃木県塩谷郡)[23.4km]
鴫山城(福島県南会津郡)[24.0km]
川崎城(栃木県矢板市)[24.5km]
大田原城(栃木県大田原市)[25.0km]
御前原城(栃木県矢板市)[25.5km]
轟城(栃木県日光市)[25.9km]
佐久山城(栃木県大田原市)[27.4km]
大宮城(栃木県塩谷郡)[27.7km]
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塩原城の解説文
塩原城の口コミ情報
2021年02月03日
鶴ヶ渕城[塩原城 周辺城郭]
鶴ヶ渕城は1600年の徳川家康の上杉征伐の際に上杉景勝側が徳川家康の来襲に備え要塞化した長塁と、道路を挟んで向かいの姥捨山の上に砦をきづいた。
姥捨山は藪が凄くて確認出来なかったが、鶴ヶ渕城のほうには、今でも角馬だしと掘と土塁が確認出来る。
121号線ぞいのやってない食堂?を目印に橋を渡るとあります
2019年01月21日 【籠城中】下野守智ぞう
塩原城
城の周辺集落になっており、駐車場ないです。道幅狭く車の切り返しはキツイかと。(特に大きい車は)
しかも側溝のふたが開いてて油断すると落ちます。
集落の入り口の道路の脇に路肩駐車して徒歩で見学をオススメします。
今(冬)の季節は特に危険。
しかし、市指定史跡なのに不親切極まりないです。
土塁や掘などは確認出来ました
保元元年(1156)頃に「八郎ヶ原」舘を構えていたが、治承2年(1178)箒川と善知鳥沢との合流点の高台に塩原(要害)城を築いたと言われている。
鎌倉時代に入り、長沼(小山)宗政の領地となり、塩原氏はその支配下で領地を守ってきたが、その後、宇都宮系の君島信濃守、小山系ともいわれ橘伊勢守の支配を受け、文亀2年(1502)会津芦名氏の傘下であった小山出羽守が一時城主となったが、戦国時代に宇都宮家臣の塩原越前守が大改修を行ない、ほぼ現在の城郭になった。
しかし慶長2年(1597)、宇都宮氏の改易と共に、約420年続いた塩原城も廃城となった。
城郭は東西約300m、南北約250mに及ぶ塩原最大のもので、約40mの断崖が自然要害になっている。その中心には約30m四方の本丸を置き、虎の門や馬出しを設置、外敵に備え空堀を二重に廻し、大手門にあたる本丸には、南北約100m、高さ約5mの土塁を築いた強固な城構えとなっている。