鴫山城(しぎやまじょう)

鴫山城の基本情報

通称・別名

南山城、田島城

所在地

福島県南会津郡南会津町田島字愛宕山他

旧国名

岩代国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

長沼義秀?

築城年

南北朝時代後期?

主な改修者

主な城主

長沼氏、大国氏、小倉氏(蒲生氏家臣)

廃城年

元和元年(1615)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

県史跡(鴫山城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

久川城(福島県南会津郡)[21.9km]
塩原城(栃木県那須塩原市)[24.0km]
向羽黒山城(福島県大沼郡)[29.7km]
高助館(福島県西白河郡)[32.4km]
真木城(栃木県那須塩原市)[33.2km]
会津若松城(福島県会津若松市)[35.2km]
中丸城(福島県大沼郡)[35.3km]
神指城(福島県会津若松市)[36.6km]
長沼南古館(福島県須賀川市)[39.5km]
白河小峰城(福島県白河市)[40.0km]

鴫山城の解説文



鴫山城(しぎやまじょう)は、現在の福島県南会津郡南会津町田島にあった日本の城。南山城・田島城とも称する。田島市街地の南部・愛宕山一帯が城跡である。城跡の保存状態が良好なことから福島県史跡に指定されている[1]

歴史・沿革 

鴫山城の築城年代は不明であるが、『塔寺八幡宮長帳』には、長禄4年(1459年)に山内越中と白川氏が「南山しき山の城」を攻め落としたことが記載されており、この頃にはすでに存在していたことは確実である。鴫山城一帯(「南山」と称されている)は、長沼氏が支配しており、鴫山城を築城したのも長沼氏と推定できる。16世紀初頭、長沼氏は長沼政義の代に蘆名氏の蘆名盛高とともに下野国まで勢力を拡大し、最盛期を迎えたが、永正6年(1509年)、宇都宮城主・宇都宮成綱との争いに敗れ下野国の領土をすべて失った(片角軍萱の戦い)。永正18年(1521年)、長沼氏は黒川城主・蘆名氏と戦い、鴫山城を落とされたという。その後も長沼氏は蘆名氏と戦い、一時は南山を取り返すなど勢力を巻き返したが、16世紀半ばに長沼氏は蘆名盛氏に臣従することとなった。天正17年(1589年)の摺上原の戦いで蘆名氏が滅亡すると、鴫山城主・長沼盛秀は伊達政宗に臣従し、伊達勢とともに河原田盛次が守る久川城を攻撃している。天正18年(1590年)の奥州仕置によって長沼氏は伊達氏に従って南山を去り、鴫山城には蒲生氏郷家臣・小倉行春が6,300石で入城する。その後、上杉氏時代は直江兼続(上杉景勝の執政)の弟・大国実頼が城代となり、関ヶ原の戦い後に蒲生秀行が会津領主となると、再び小倉行春が城代となった。しかし、行春が岡重政と対立して出奔したため、岡に与した蒲生主計に与えられたが岡の失脚後に主計も自害したとされる。その後、寛永4年(1627年)に加藤嘉明が会津領主となった際に廃城となった。

構造 

鴫山城は標高750メートルの愛宕山北辺部に築かれた典型的な山城である。城全体の全長は南北に700メートルで、山頂部の350メートルは急斜面、山麓部の350メートルは緩斜面である。山頂から山麓にかけて、尾根や谷間などの自然地形を利用して、土塁や門、堀などが構築されている。愛宕山山頂には現在、愛宕神社が祀られているが、戦国時代(長沼氏時代)はここが城の本丸であり、本丸の北東と西方向に削平して階段上になった曲輪群が上から下へ続いている。本丸から北東部の曲輪群をやや下がると、主水曲輪、御茶屋場と呼ばれる比較的広い平場が現れるが、山頂部から御茶屋場一帯あたりまでが長沼氏時代の城郭跡と推定される。山麓部には愛宕神社参道に沿って、侍屋敷跡、大門跡、御平庭、上千畳(本丸跡)、下千畳(二の丸跡)、空堀などの遺構が見られ、大門跡に石垣が復元されているほか、御平庭は公園化されている。これら山麓部は、蒲生時代以降の城の中心部と見られている。上千畳は1979年(昭和54年)に発掘調査され、書院建築の礎石群や庭園状の遺構が検出され、蒲生氏・上杉氏時代の本丸跡と推定できる。

大門石垣

大門は御平庭と下千畳の間をとおる道路上にあり、城の大手門的なものであったと思われるが、この一帯には石垣の遺構が残されていた。しかし、廃城以降の人為的な破壊と降雨や雪解け水による浸水などで崩落していた箇所もあり、そのため1986年 - 1988年(昭和61年 - 63年)にかけて穴太積技術継承者の粟田万喜三によって復元工事が行われたが、その際の調査で石垣の構造や高さ、「鉢巻式石垣」と呼ばれる技法などが判明した。大門石垣遺構はその構造や技法などから蒲生・上杉時代の築造と思われ、関ヶ原の戦いの前に上杉景勝が徳川家康の攻撃に備えるために領内諸城の改修をおこなった際に築造された可能性があるが詳細は不明である。

現状 

鴫山城跡のある愛宕山には愛宕神社が祀られており、その参道が登山道となっている。登山道はかつての城の大手道と推定され、道沿いには城跡遺構が見受けられ、その都度解説板が建てられている。また、大門石垣が復元されているほか、御平庭跡は公園として整備されている。

アクセス 

会津田島駅から愛宕山山頂までは約1時間ほどである。

周辺の施設 

  • 細井家資料館

鴫山城の口コミ情報

2025年06月30日 伊豆守十郎
鴫山城



現代にも続く穴太衆で、人間国宝にも選ばれた石積みの匠が手掛けたという大門石垣を見に訪問。圧倒的な存在感に、近くまで行くのであれば、これだけ見に足を延ばしても良い。

2025年05月14日 南会津の星
鴫山城



会津田島駅からも徒歩で約10分ほどで城跡に到着し車でも国道から細い道ですが行くことができます。大鳥居を抜けると石垣の大手門跡や空堀また居住跡などがあり案内板なども整備されて見学もしやすくなってます。

また山城として山頂の郭跡もあるので30分ほどの登山で登れます山頂には祠が設置されています。

2025年04月28日 こーじょう
鴫山城

しっかりとした門の石垣、空堀も残っていて中世の山城をじっくり偲べます。高い山ではないものの勾配がきつめなので、雨の日は散策路が濁流路となりそうです。何日か晴れが続いている日の訪問が良いかと。

正面鳥居前のスペースは幼稚園専用の駐車場らしいです。城の駐車場は山の東西にありますが、町役場の駐車場も使ってよさげです。

2024年09月24日 尼崎城近江守一口城主
鴫山城



[進軍編]8/12、宿泊先の栃木から野岩鉄道、会津鉄道と鉄印収集しながら北上🛤️進軍前に鴫山城最寄りの会津鉄道・会津田島駅構内の観光案内所へアドバイスを貰いに行きました。私、漢字を誤ってインプットしておりまず、❌鴨山(かもやま)ではなく、⭕️鴫山(しぎやま)ですよ💁🏻‍♀️と訂正してもらいました😱確かに関西の地名で思い浮かべると鴨川の<かも>ではなく、鴫野の<しぎ>でした🥲観光案内所でお城に行くならまず麓の旧南会津郡役所に寄っていくのがオススメですよとのことで「まちなか中心街便利マップ」(写真①)の白黒コピーを頂いて出発。旧南会津郡役所(写真②)に到着してアドバイス通り入館(入館料300円※2024.8訪問時)訪問時、人が少なかった(というより私1人だった)ので受付の方の熱心な説明を聞くことが出来ました‼️館内でお城の資料や地元の歴史などを勉強出来ました。鴫山城の模型(写真③)を見たり、直江兼続と鴫山城(写真④)を読むと上杉氏は関東方面の押さえとして兼続公の弟の大国実頼を配置したこと、山頂の愛宕神社⛩️は兼続公の兜の前立ての由来ともされる愛宕神社であることが書かれていました。
旧南会津郡役所の入口に鴫山城メインの周辺案内マップ(写真⑤)がありイラスト付きでイメージがしやすいものでした。
旧役所からまず登山口の侍屋敷を目指そうとした矢先に外郭遺構があったので撮影(写真⑥⑦)。貴重な惣構えの遺構と書いてありました。
当日は会津田島駅から山頂の詰め城まで往復してきました。出発時は気付きませんでしたが山城なので駅から見えている山(写真⑧右側の山)でした。写真⑧の通り盆踊りシーズンの暑い季節に登りましたが見応えのある山城で登って良かったです⛰️

2024年09月24日 尼崎城近江守一口城主
鴫山城



[本丸周辺散策編1/2]
旧南会津郡役所から鴫山城に出発していくと愛宕神社の鳥居前に案内図(写真①)がありました。
鳥居をくぐって進むとすぐに侍屋敷跡(写真②)がありました。家臣団の寝小屋🛖から現在の地名の根小屋になっているようです。侍屋敷から少し進むと鴫山城のイメージ図(写真③)があり、眺めていると麓から山頂の詰の城(愛宕神社)にかけ大小様々な多くの曲輪があったことがうかがえます。写真③から少し進んだ所に空堀(写真④⑤)があり、堀のすぐ奥に大門跡(写真⑥⑦)がありました。写真⑦の説明板通り、大門にはかつては二階建ての楼門がそびえていたようです。大門横に階段があったので上がってみたところ、大門と堀のセットの守り(写真⑧)が堅固だった様子がうかがえました。気づくのが遅く口コミを書いている途中になってしまいましたが写真⑧の写真を撮っている位置は大門脇の曲輪の下千畳にあたり、攻め手側が大門を正面突破を試みても、正面の守備部隊と連携して下千畳から側面攻撃をすることが出来るのでなかなか突破は困難な縄張りだなと感じられました🏹

2024年09月24日 尼崎城近江守一口城主
鴫山城



[本丸周辺散策編2/2]
大門の石垣を通過するとすぐに御平庭(写真①②)の広い曲輪が広がっていました。御平庭の隣にある曲輪(写真③)が本丸、二の丸にあたる上千畳・下千畳(写真④⑤)とのことでした。上千畳の説明板(写真⑥)に鴫山城の生命線と書いてある通り近くに水の手曲輪の漱(うがい)清水(写真⑦)がありました。本丸から少し詰の城の山頂方面に進んだところに御花畑という曲輪(写真⑧)があり、説明板に「籠城時の食用野菜等の栽培が考えられている」と書かれており様々なことが想定してある縄張りだったことがうかがえます。
旧南会津郡役場の方が鴫山城は江戸時代の一国一城令で一気に人がいなくなった為、中世や戦国期の遺構がいい状態で残っていると仰っていた通り見応えのある城跡です‼️

2024年09月24日 尼崎城近江守一口城主
愛宕神社(詰の城)[鴫山城  寺社・史跡]



山麓の本丸から頂上の詰の城(愛宕神社)に向かって登山開始。道中、御茶屋場(写真①)という曲輪がありました。名前的には茶の湯を楽しむような場所に感じますが詰の城の大手口に相当する曲輪とのことでした。
御茶屋場からさらに山頂を目指すと主水(もんど)曲輪(写真②)があり説明板に中世野面石積みが見られると書いてあったので下山時に石積みを探索。恐らく写真③がその石積みではないかと推測🤔主水曲輪からさらに山頂を目指すと麓の案内マップにに<大きい岩が見えたら頂上はもうすぐ>と紹介されていた馬返し岩(写真④)が見えてきてもう一踏ん張りだという気になりました✊(参考までに私の足で写真④から頂上まで約3分かかりました。)
仁王門(写真⑤)をくぐって山頂の愛宕神社(写真⑥)に到着。見晴らしの良い(写真⑦)でした✨
仁王門前に愛宕神社の説明板が倒れた状態であり、読んでみると標高749mと書かれていました。標高の割には短時間で登れたなと比高を調べてみると比高は約200mでした。

2024年09月24日 尼崎城近江守一口城主
丸山歴史公園[鴫山城  寺社・史跡]



旧南会津郡役所に入館時、案内して下さった方から鴫山城に登った後、時間があればぜひ丸山歴史公園(写真①②)に寄って義民の史跡もと勧められたのでお参りに向かいました。
江戸時代、現在の町役場の西隣に田島陣屋があったと推測されるそうです。年々厳しくなる年貢を下げてもらうよう陣屋に訴え出ても取り上げてもらえなかったため村の代表者たちが江戸に訴えに行ったそうです。最終的に斬首6名という悲劇になってしまうも義民のお陰で村に平和が戻ってきたとのことでした(写真③④)
六地蔵(写真⑤⑥)と小栗山喜四郎さんのお墓(写真⑦⑧)に手を合わせて命がけで村を守った方々の熱い思いに頭が下がるとともに切ない思いになりました。

2024年09月01日 池田紀伊守信輝
駐車場[鴫山城  駐車場]



駐車場と登録されていますが暁の星幼稚園の駐車場なので声をかけて使用しましょう。

2024年07月22日 気分爽快美濃守
鴫山城



電車の待ち時間が90分もあったので、暑かったけど攻城してきました。後から口コミみると熊注意のようでしたが、暑いので山頂までは行きませんでした。暑すぎて熊さんも昼寝していたようです。
前回見落とした、東外壁塁(二重土塁)をメインに見てまわりました。
①大門手前の堀。水が溜まっている
②大門の先は下千畳
③下千畳への登り階段
④下千畳からの大門。積み直しなので浮いている
⑤お花畑から東外壁塁の道。土橋のようにも見えたのでパチリ
⑥二重土塁。左から土塁、堀、土塁、堀だが写真では分かりづらい
⑦二重土塁を麓側から見上げる
⑧①の堀につながる横堀

2023年08月20日 マグロ常陸介祐平
宮本館[鴫山城  周辺城郭]



田島祇園公園が城址です。隣接する神社の案内板には、長沼氏による鴫山城の出城と記されています。城の東側は神社となっていますが、西側は土塁・空堀・虎口がよく残っています。

隣接する神社(城域)は、拝殿に宇賀神社・鹿島神社の2つの扁額と2つの賽銭箱が並ぶ珍しい形式です。

2023年08月20日 マグロ常陸介祐平
鴫山城



戦国時代以前から江戸時代初期の蒲生氏改易まで続いた城で、麓部分は復元された蒲生・上杉時代の大門の石垣があり、近世の城郭の雰囲気を感じます。

近くにある旧南会津郡役所は明治18年の建築物(写真6枚目)で、展示室には鴫山城に関する展示が、充実しています。

2023年08月15日 司馬弾正大弼遼太郎
鴫山城

街中にある珍しい山城です。遺構も少なくないのですが、訪れる人が少ないからか、草むして散策しにくいのが難点です

2023年06月20日 長けた 左衛門督 進言
鴫山城



久々の新規攻略に、東北方面南部をチョイス。高速道路インターからは距離のある位置も、R121は走りやすく、アクセスにストレスはありませんでした。武家屋敷跡などのある麓部分は、綺麗に整備されており見学しやすい城郭です。本郭跡地にはスズメバチがホバリングしていて到達出来ませんでした。これから行かれる方は十分に注意する事をお勧めします。

2022年08月01日 織田上総介晃司
鴫山城

駐車場は城域手前、幼稚園の向かい側にあります。
平日リア攻めの方は園児に気をつけましょう。
そして保育士さんに気をとられ脇見運転して脱輪しないように(笑)

城は平地と愛宕神社まで続く山地からなりますが、大門の石垣や堀、土塁などは平地部だけでも見ることができます。
山頂までの間に曲輪・石積がありますが、熊の生息地で目撃情報も多々あるらしいのでパスしました。

8月末から10月までの平日夜間、国道289号の甲子トンネルが工事のため通行止めとなります。
車での平日攻略を考えてる方は白河方面からの夜討ちポチや朝駆けリア攻めはできません。

2022年05月10日 ᴿᴱᴰ 副将軍
鴫山城



麓の根古屋と、山頂の詰城で楽しめる城郭です。

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代は不詳。南北朝時代に下野国小山氏の一族である長沼氏により築城され、長沼城から居城を移したと云われています。長沼氏は、蘆名氏の蘆名盛高とともに下野国まで勢力を拡大しましたが、伊達氏により蘆名氏が滅亡すると、長沼盛秀は伊達政宗に臣従。

1590年に、豊臣秀吉による奥州仕置きにおいて、長沼氏は伊達氏に従っていきます。代わって、蒲生氏郷家臣の小倉作左衛が城代となり入城。1598年には上杉景勝の会津移封に伴い、直江兼続の弟である大国実頼が城代として入城しました。1627年の一国一城令により廃城。

見所
標高749mの愛宕山に詰城が築かれ、山頂に主郭が配され愛宕神社が祀られています。周囲に御茶屋場、主水曲輪といった名称の曲輪が残り、主水曲輪には野面積の石垣が確認できます。山麓の根古屋部分は蒲生氏・上杉氏によって大きく改修され、石積の大門跡が復元されています。

関西からはメチャ遠かったお城のひとつです。クマのガチ棲息域なので緊張感のある登城でした。

写真
①②大手門
③④根古屋の土塁
⑤上千畳
⑥主水曲輪の石垣
⑦主水曲輪
⑧詰城主郭の愛宕神社

2021年08月22日 うっちー外記幸村
鴫山城

山城ですが、石垣、堀は山に登らなくても見れます。階段があり、石垣の上に行けます。説明板もあるので当時の姿を想像しやすいです。堀、土塁、石垣が山に登らず、平地にあります。しかーし!夏は膝以上の高さまで草が伸びてます。夏はアブが数匹飛んでました。

2018年10月27日 てつ
鴫山城

右手に熊撃退スプレー、左手に大音量のラジオを持って攻略。

2018年10月18日 三ツ鱗▲如意成就
鴫山城

今年6月に、熊が鴫山城内で目撃されています。(熊警戒の注意喚起看板有り)
公式ガイドさんは熊鈴と熊避けスプレーを、携行されていました。
熊の活動時期には、熊鈴携行は必要と思われます。

2017年08月29日 鼓舞式部卿勘助
鴫山城

南会津合同庁舎脇にある外郭遺構も忘れずにご覧下さい。一部畑になってますが。

2016年02月17日 安田民部卿秀俊
鴫山城

山頂の愛宕神社が焼失してますね。再建されるかな どうなのか?

2015年11月23日 まさ宮内卿猛虎
鴫山城

初期鴫山城城主は、長沼氏に依ります。長沼氏は南北朝期から戦国終期迄続く。関東八屋形【那須、小山、宇都宮、長沼、結城、佐竹は親戚関係、他に千葉家等】
分家当時の関東は、八屋形の他に鎌倉公方*足利公方*北条氏が入り乱れ覇権争いを展開した。応仁の乱に50~100年先駆け戦国時代に突入。
葦名氏が、会津統治する頃は、会津藩の影響大きく、藩の西の支城になり、藩の動向に左右される様になります。

2012年02月24日 初代征夷大将軍天下一の号
鴫山城

山城でハイキングコース有り。山頂までは50分ほどかかります

鴫山城の周辺スポット情報

 東外壁塁(遺構・復元物)

 大門(遺構・復元物)

 侍屋敷(遺構・復元物)

 空堀(遺構・復元物)

 鴫山城案内板(碑・説明板)

 鴫山城説明板(碑・説明板)

 鴫山城説明板(碑・説明板)

 鴫山城入口看板(碑・説明板)

 案内板(碑・説明板)

 宮本館(周辺城郭)

 渡部館(周辺城郭)

 折橋館(周辺城郭)

 古町館(周辺城郭)

 享保期田島陣屋(周辺城郭)

 寛政期田島陣屋(周辺城郭)

 慶応期田島陣屋(周辺城郭)

 高野館(周辺城郭)

 田部原館(周辺城郭)

 金井沢館(周辺城郭)

 岩之館(周辺城郭)

 中荒井館(周辺城郭)

 観音岩館(周辺城郭)

 古内館(周辺城郭)

 大岩城(周辺城郭)

 児島館(周辺城郭)

 上添館(周辺城郭)

 愛宕神社(詰の城)(寺社・史跡)

 丸山歴史公園(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

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