久川城(ひさかわじょう)

久川城の基本情報

通称・別名

所在地

福島県南会津郡南会津町青柳字小丈山

旧国名

岩代国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

河原田盛次

築城年

天正17年(1589)

主な改修者

主な城主

河原田氏、蒲生氏、上杉氏

廃城年

慶長16年(1611)

遺構

曲輪、大手門、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

県史跡(久川城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

鴫山城(福島県南会津郡)[21.9km]
中丸城(福島県大沼郡)[23.4km]
塩原城(栃木県那須塩原市)[33.0km]
向羽黒山城(福島県大沼郡)[44.0km]
真木城(栃木県那須塩原市)[45.0km]
鷹待城(新潟県魚沼市)[45.3km]
小中城(群馬県利根郡)[47.3km]
日光奉行所(栃木県日光市)[48.6km]
神指城(福島県会津若松市)[48.7km]
会津若松城(福島県会津若松市)[49.1km]

久川城の解説文



久川城(ひさかわじょう)は、福島県南会津郡南会津町にあった戦国時代から江戸時代初期の日本の城。遺構の保存状態が良好で、築城の歴史的背景が明確であることから、福島県史跡に指定されている[1]

歴史・沿革 

久川城のある会津郡伊南郷(伊南川流域一帯)は文治5年(1189年)の奥州合戦の戦功によって下野国住人の河原田盛光に与えられ、以来河原田氏が治めていた。天文12年(1543年)頃に蘆名盛氏に攻められ、このころから河原田氏は蘆名氏に臣従したものと思われる。天正19年(1589年)、摺上原の戦いで蘆名氏が滅亡し、伊達政宗が黒川城へ入ったが、当時の河原田氏当主・河原田盛次は政宗への臣従を拒否した。政宗は家臣の柴田但馬や降伏した鴫山城主・長沼盛秀を伊南郷に攻め入らせる。天正17年(1589年)、盛次は戦闘に備えて新たに久川城を築き、そこに立て籠もって伊達勢を迎え討った。伊達勢は城を攻撃したが、結局攻め落とすことはできずに撤退した。しかし盛次は翌年の秀吉の小田原征伐に参陣しなかったためにその後の奥州仕置によって領地は没収されてしまった。その後、会津は蒲生氏、上杉氏、そして再び蒲生氏が入部し、この再蒲生時代に久川城は現在残されている縄張りの城に改築された。その後、慶長16年(1611年)に廃城となった。

構造 

久川城は伊南川の西の南北に延びる丘陵上に営まれた山城で、麓からの比高差は70メートル、東西110メートル、南北430メートルの規模がある。城の北と南の麓部分にそれぞれ枡形虎口が設けられ、九十九折りの山道を登ってようやく城内部分の平場に入ることができる。平場の中心には土塁と空堀に囲まれた南北110メートル・東西65メートルの主郭(本丸)があり、主郭内南西隅の稲荷神社がある場所に櫓台があったと思われる。主郭の南側に郭が3つほど連郭式に続き、堀切によって区切られている。主郭に北側は現在公園となっていて大きな平場であるが、北端には郭があり、土塁が残っている。この北端の郭の東側にはかつて野面積石垣の枡形虎口があったというが現在は残っていない。また、城の東麓は武家屋敷跡と推定されている。

エピソード 

久川城での唯一の戦いであった伊達勢と河原田盛次の戦いについては『伊南合戦記』、『泉州記』など後世に書かれた軍記物に詳しいが、あくまで後世のものであり、どこまで事実かは不明である。なお、政宗に臣従しなかった会津の国人はほかに伊北郷の山内氏勝がおり、伊達勢はむしろ背後に上杉景勝がいる氏勝攻撃に力を入れていたと思われる。

奥州仕置で領地没収となった河原田氏一族はその後蘆名義広について常陸国へ行った者、帰農した者などそれぞれの道を歩んだ。蘆名義広に従って常陸へ行った河原田氏は江戸時代に義広が領した出羽国角館(現・秋田県仙北市)に移り、そこに居住した。角館に残る武家屋敷・河原田家はこの子孫の屋敷である。

久川城の口コミ情報

2023年12月03日 RED副将軍
久川城



西側の大土塁と多用された桝形が特徴的な河原田氏が築き、蒲生氏が改修した名城🏯

オススメ度 ★★★★★

1589年に河原田盛次により築城。
河原田氏は、藤原北家の藤原秀郷の系譜である小山氏の庶流とされます。小山政光の五男であった小山盛光は下野国河原田を領して河原田氏を称したのが始まりとされ、その後に源頼朝より奥州征伐における軍功で会津伊南地方を与えられて駒寄城を築いて本拠としました。
その後、会津で勢力を拡大した葦名氏に属して伊南地方を領していましたが、1589年に葦名義広は摺上原の戦いで伊達政宗に敗れると佐竹氏を頼って常陸へ逃亡。更なる所領拡大を狙う伊達政宗に対抗するために河原田盛次が築いたのが久川城です。
伊達政宗が南会津に侵攻すると、鴫山城の長沼盛秀などは伊達氏に帰順。
河原田盛次は徹底抗戦の姿勢を見せたため、長沼盛秀が先陣として久川城に攻め寄せましたが落とすことはできず守り切ります。
1591年、伊達政宗は豊臣秀吉により私闘を禁じた惣無事令に反したとして会津領は没収され、奥州仕置きにより会津領は蒲生氏郷に与えられました。
河原田盛次は久川城を守り切りましたが奥州仕置きにより所領は没収され、葦名義広を頼って常陸から出羽国角館へ移った後に帰農したとされます。
その後、久川城には蒲生郷可が入城。
1598年に蒲生氏が転封となり上杉氏が会津に入封すると清野長範が入城。
1600年、関ヶ原の戦いの軍功により再度、蒲生秀行が入封すると蒲生彦太夫が入城し、1615年の一国一城令により廃城となりました。

見所
伊南川西岸にある標高628mの丘陵上に築かれており、伊南川の支流である久川と滝倉沢川に挟まれ天然の要害となっています。
非常に特徴的な縄張りで、西側の高い傾斜地形を利用して大土塁とし、東側を削平して郭を形成。西側の大土塁から大規模な竪堀で南北に分断し、それぞれの郭が区切られています。
南北中間に方形の主郭があり、西を除く三方を土塁と空堀が巡り、東側中央に食い違い虎口が開口。北東隅と南東隅に櫓台が配されています。
主郭北側には北曲輪があり内桝形の虎口を挟んで北出丸へと続いています。
主郭南側には、二ノ丸・三ノ丸・南曲輪と続き、西側の大土塁から伸びた竪堀でそれぞれが区画されています。
また、南側山麓には7m四方の桝形があり、外側に堀が巡らされた馬出しが残ります。

麓に大きな看板が立つので分かりやすく、駐車場も完備され、久川城資料館も併設されています。

写真
①②③主郭と北曲輪を隔てる竪堀は主郭巡る空堀に展開
④主郭虎口
⑤二ノ丸と三ノ丸を隔てる巨大竪堀
⑥南曲輪の虎口
⑦南麓の大手馬出し
⑧北曲輪の搦手桝形虎口

2020年09月29日 国府左京大夫城介
駒寄城[久川城  周辺城郭]



伊南を治めた河原田氏の戦時用の城

【歴史】
奥州征伐に従軍し、功を挙げた河原田盛光(初代)が源頼朝から伊南郷の地を与えられた際に、戦時用として築城したと伝わる。
天文12年(1542年)に会津統一を狙う蘆名盛氏と河原田氏は戦いますが、この際、駒寄城では防ぎきれないため、宮沢の奥に柵で防いだとのことです。伊達政宗の影響が伊南に及んでくると、河原田盛次は新たに久川城を築城したため、そのまま廃城になったと思われます。

【遺構】
伊南小学校の背後にある山が駒寄城となる。
空堀と土塁で区切られた曲輪群があり、各曲輪もかなり広い造りとなっている。
3郭には、長方形上の謎の窪地があり、用途は不明らしいが、武者隠しみたいな役割があったのかと推察してみる。
主郭には駒寄神社があるが、岩盤の上の小スペースのため、むしろ物見台として利用していた方が妥当だと思われる。
また、城の南側は山頂から流れる川があることから、籠城時の水源は確保できるようになっている。。
なお、この山頂には駒寄要害城があり、堀切や竪堀があるとのことだが、今回は時間がなかったため訪れてはいない。

【感想】
久川城と比べると、あまり戦闘向きではないような印象を受ける。河原田氏もこの城の防御をあまり信用していないことは歴史の欄で書いたとおりです。駒寄要害城を確認していないので何とも言えませんが、あくまでも、居館の一つとして使っていた感じがします。
久川城をリア攻め後、バスの時間まであるのならば、訪れるのも一興かと。
なお、登城口には熊に注意する看板があるので、この城を訪れる際は熊鈴は必須です。
加えて、城内は杉林のため、比較的歩きやすいですが、時期によっては花粉症の人には辛い城だと思います。

【アクセス】
会津田島駅から「内川」行きのバスに乗り、「古町タバコ屋前」で下車し、徒歩5分。
久川城から、徒歩で20分程の場所にある。

【写真】
1:駒寄城遠景
2:説明板
3:3郭にある謎の窪地
4:2郭と3郭の間にある空堀(分かりにくいですが)
5:主郭への登り口
6:主郭にある駒寄神社

2020年09月28日 国府左京大夫城介
西館[久川城  周辺城郭]



伊南を治めた河原田氏の平時の居館

【歴史】
奥州征伐に従軍し、功を挙げた河原田盛光(初代)が源頼朝から伊南郷の地を与えられた際に、西館・東館を平時用の居館として築いたと伝わる。河原田盛次(11代・久川城築城者)が、豊臣秀吉による奥州仕置きによって改易されたことから廃城されたと考えられる。

【遺構】
西館は60m四方の方形居館であり、南側には3m程の土塁が良好な状態で残っている。この場所は、旧伊南保育所の跡地でもある。
東館は遺構が完全に消滅しており、国道沿いのガソリンスタンド脇に石碑が残っているだけである。


【アクセス】
会津田島駅から「内川」行きのバスに乗り、「古町タバコ屋前」で下車し、徒歩2分。
久川城から徒歩で15分ほどの場所にある。

【写真】
1:西館跡の石碑
2:土塁(虎口脇)
3:土塁(主郭内から)
4:東館跡の石碑

2020年09月22日 国府左京大夫城介
久川城

公共交通機関で久川城をリア攻めする方へ

会津田島駅から、内川行きのバスに乗って、青柳で下車して、徒歩5分程で、登城口に着きます。運転手さんによっては、乗車時に目的地を聞いてくれるので、久川城の登城口近くで降ろしてくれます。
片道1時間程で、運賃は1230円(現金のみ)となります。
また、このバスは、1日4往復しかしていないため、会津バスのHPで時刻表を確認しておくことは必須かと!
乗ってきた便の次の便で戻る場合は、久川城を1時間以内で回る必要があります。その次の便は、大体4時間後位になります。

公共交通機関でのリア攻めの目安にしてください。


2019年04月30日 大隅守
駐車場[久川城  駐車場]

大手側登城口付近の駐車場

2018年10月18日 三ツ鱗▲钁湯無冷所
久川城

奥会津博物館伊南館の方によると、例年熊が出る城だそうです。(久川城内で熊の糞を確認されてるそう)
今年は山中での熊の食べ物が豊富だそうで、熊の目撃事例は無いそうです。
熊の活動時期での久川城散策には、熊鈴必携かと。

2018年08月27日 【籠城中】下野守智ぞう
久川城

奥会津博物館伊南館。ちょっと営業時間変更になったのかな?

5月~11月上旬くらいまで。金・土・日・祝日のみ営業。

入場料300円。ここにしかない久川城の模型や久川城いくさ絵巻とか必見!

館内の写真撮影は館長に断ってからよろしくお願いいたします

2018年08月27日 【籠城中】下野守智ぞう
久川城

奥会津博物館伊南館駐車場が広いスペースで車を止める事が出来ます。

奥会津博物館から出て左に歩いて行った先にある大手門口からお城跡に入られるのをオススメします。角馬だし門土塁が良好に見られます。

そこから上に上がり、一通り遺構を見て回ったあと、北の丸から裏手に突き上げる土塁の上に登って、

本丸、二ノ丸、三の丸の後ろがわを上から見ながら歩く事が出来ます。

変わった縄張りの久川城。俺の大好きなオススメ城です

2016年08月28日 永眠武蔵守釋 葱進
久川城

城跡そばにある久川城資料館(正式名称は奥会津博物館伊南館)は、基本的に春から秋まで週末のみの開館です。入館料は大人300円、詳しい開館日は各自で確認を。
久川城についてはパネルによる解説やジオラマ展示があり、登城前に見学しておくとよりリア攻めが楽しめるでしょう。
また、ユーモアあふれる話好きな館長さんとの会話もお勧めです。
登城口は資料館そばの搦め手口と少し離れた大手口の二つ、大手→搦め手(またはその逆)と周遊して回ることができます。
現地に自販機なし(館長さんによれば少し離れたキャンプ場にあるそう)、トイレは資料館のものまたは近くの簡易トイレが使えるとのこと(なお大手口にあるトイレは閉鎖されてます)

2015年07月27日 大田原釆女正資清
久川城

2015/07/26時点での登城レポです
近隣の方でなければ、殆どの方が東北道白河IC〜R4〜R289〜R401の経路で進軍する事かと思います。
車内泊も辞さず…と言う方は、R289の道の駅「きらり289」を起点にされると良いでしょう。
さて、入り口は一応三ヶ所(小塩七曲り登城坂口、青柳七曲り登城坂口、林道口)ですが、青柳七曲り登城坂口が無難です。
小塩七曲り登城坂口は、草木が生い茂り足元がおぼつきません。
又、林道口は林道への入り口が判りにくいかと思います。
城域の状態は良好なのですけれど、管理面は幾分悪いかと思います。
印南村時代の案内板に記されたルートで歩くと、砦への道が急峻(トラロープで立ち入り禁止にした形跡あり)なので、そこだけは避けた方が宜しいかと思います。
尚、探訪時期は春か秋をお奨めします。
春なら山桜(城域全体)、秋ならイロハモミジ(二の丸一帯)が映える事でしょう。



2015年06月28日 若狭守きこりん
久川城

遠征で訪れるには何しろ遠い所ですが、堀と土塁の残りがよく、一見の価値ありです。
伊南川沿いに国道401号線で近くまで行けば、「久川城跡」というどでかい看板と小山が対岸に見えるのですぐ分かります。道路はさんで向いに資料館と駐車場があります。
尾根より少し低い位置を削って郭を連ねてあるのですが、各郭を区切る土塁と堀切がみな竪になって、削り残された尾根に登り詰めているのがユニークです。


久川城の周辺スポット情報

 搦め手側登城口(碑・説明板)

 西館(周辺城郭)

 駒寄城(周辺城郭)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

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