白石城(しろいしじょう)

白石城の基本情報

通称・別名

益岡城、枡岡城

所在地

宮城県白石市益岡町

旧国名

磐城国

分類・構造

梯郭式平山城

天守構造

複合式層塔型大櫓[3重3階/1602年築/焼失(火災)]、複合式層塔型大櫓[3重3階/1823年再/破却]、複合式層塔型大櫓[3重3階/1995年再/木造復元]

築城主

白石氏

築城年

鎌倉時代

主な改修者

蒲生郷成

主な城主

白石氏、蒲生氏、上杉氏、片倉氏

廃城年

明治8年(1875)

遺構

曲輪、石垣、移築門、移築蔵

指定文化財

再建造物

櫓、門、塀、石碑、説明板

周辺の城

地蔵院館(宮城県白石市)[3.9km]
遠倉館(宮城県伊具郡)[9.6km]
船岡城(宮城県柴田郡)[13.4km]
阿津賀志山防塁(福島県伊達郡)[13.5km]
石母田城(福島県伊達郡)[13.6km]

白石城の解説文

白石城(しろいしじょう)は、宮城県白石市にあった日本の城である。別名益岡城(枡岡とも)。

概要
主として仙台藩伊達氏の支城として用いられ、片倉氏が代々居住した。九州の八代城などと並んで、江戸幕府の一国一城制の対象外とされて明治維新まで存続した。天守の代用となっていた三階櫓は、支城という格と幕府への配慮から天守の名をはばかり大櫓と名づけられたとされる。かつての城は、本丸、二の丸を中心に、幾重にも外郭を備えた堅城であった。虎口のうち、大手門付近には幅が変化し、鍵の手に折れる通路など,特に工夫がみられる。

明治初頭の廃城令により廃城処分とされ、ほとんどの建物は破却された。天守閣は石垣なども撤去され更地になった。現在、三階櫓など本丸の一部が1995年に木造で復元されて現在は公園となっている。

現存する建物としては、厩口門が市内の延命寺山門に、東口門が市内の当信寺山門に、どこの門か定かではない城門が名取市の耕龍寺山門に、煙硝蔵が市内の個人宅に、それぞれ移築されている。土塁は当時のものがそのまま残っている。

地理
奥羽山脈と阿武隈高地に囲まれた白石盆地は白石川によって南北に分断されているが、その白石川南岸(右岸)に接して独立丘陵がある。同丘陵の長軸は南北約1,600m、短軸は東西300-650m、最も標高が高い三角点は南端付近にある下前山の標高97.10mである。白石城は南北に長い同丘陵の北端(三等三角点「城山」の標高75.79m)に築城され、同城の南側には空堀を掘って丘陵の尾根の連続性を断っている。空堀より南側の同丘陵上には、常林寺・清林寺・傑山寺などの寺院が並ぶ。

白石川沿いを上流に行くと羽州街道(七ヶ宿街道)に至るが、白石城下町を通るのは奥州街道である。奥州街道は南側の福島藩から仙台藩に入ると最初にある小規模な盆地に越河宿があり、次の白石盆地に入るとすぐ斎川宿がある。ここから白石盆地内に点在する地蔵院舘、八幡神社がある小山、金華山神社がある小山、太平神社がある小山などの間を縫うように通り、さらに権現山と八ツ森山という2つの小山の間を通って、上記の南北に長い丘陵の東麓に沿って北上し、白石城下町に入る。

歴史・沿革
鎌倉時代以後 - 刈田氏が白石の地に居住。同氏は後に伊達氏家臣となる。伊達政宗に仕えた白石宗実が著名である。
1591年 - 会津に封された蒲生氏郷の家臣・蒲生郷成によって本格的に築城。
1598年 - 会津に封された上杉景勝の家臣・甘糟景継によって修築。
1600年 - 関ヶ原の戦いの際、白石城の戦いが勃発し伊達政宗が上杉景勝から白石城を奪い取って再び伊達領とし、政宗の叔父、石川昭光が城代として入る。
1602年 - 伊達政宗の側近、片倉景綱(小十郎)が城主となる。
1819年 - 火災で焼失する。4年後の片倉宗景の時に再建される。...

白石城の口コミ情報

陸前守仙臺むすび丸JUN様[2015年12月21日]
真田信繁(幸村)の次男・大八は、大坂夏の陣後、片倉小十郎重長の養子として密かに育てられ、片倉守信と改名。仙台真田氏として現在も家系が継承されています。

片倉守信は伊達家本藩の藩士として召し抱えられ、家禄350石を与えられ、仙台城下な三の丸傍の片倉家屋敷とは別の場所に屋敷がありました。

知行地は、白石市に隣接する蔵王町や、桃生郡(現石巻市)に宛がわれました。

<仙台真田氏ゆかりの地>
白石城下
①当信寺:白石城東口門(二の丸大手二の門)が移されており、重長の後妻になった阿梅と大八の墓があります。

②清林寺:幸村の家臣三井奉膳景国の子が僧となって開いた寺。寺紋は六文銭。


蔵王町には仙台真田氏の分家ゆかりの場所が残っています。

③真田幸清筆子塚:分家から仙台真田氏に養子となった仙台真田氏8代当主。寺子屋の弟子が建てた供養塔。

④真田豊治墓碑:江戸期末期の分家の当主。「幸村十一世」と刻まれています。

いずれも見学自由。
①以外は駐車は数台。
付近はいずれも道幅は狭いです。

伏龍鳳雛SAS様[2013年01月10日]
既に修復は終わったようです

壱岐守重然様[2012年08月06日]
今年、7月訪れた時、集古苑の方から石垣復元には7年掛かると聞きました。
足場が無くなるのは、メインの三重櫓の建物周辺だけですかね?
それでも、まだ石垣がくずれ、地割した痛々しい姿でしたが…。

ぎっちゃん様[2012年08月05日]
今日震災被害の修復工事公開の白石城を訪れましたが10月初頭に行われる「鬼小十郎祭り」に間に合わせるようにしたいと係の方が仰っていました。足場はもうすぐ解体出来るとの事。がんばれ白石!東北!!

参議一之介様[2012年04月30日]
東日本大震災のために、再建された天守閣は修復工事中です。壁には位置を示すテープが貼られ、かなり痛々しい姿ですが、天守閣自体は内部公開されています。

柿崎和泉守景家様[2012年04月24日]
ちなみに、片倉という地名は現在も残っています。

柿崎和泉守景家様[2012年04月24日]
片倉景綱の祖先は、どうも長野県伊那市高遠町片倉の出身みたいです。近くに、山本勘助改築の高遠城がある。

tomm加賀守様[2011年03月20日]
今回の地震で、天守閣の壁にひび割れが入り一部崩落、瓦も数枚落ちたそうです。(アメーバブログ「白石戦國武将隊 奥州片倉組」より)
現在4/1よりの開館を目指して頑張られておられるそうです!

サムライ大膳大夫はる様[2010年10月04日]
国内で3番目の木造復元された天守ですが、伊達家居城・仙台城に遺構が少ない分、白石城の方が見応えがある様な感じがします。城内は片倉小十郎一色ですけどね

徳川内大臣源朝臣康武様[2010年09月25日]
白石城ミュージアムに併設されている売店のお土産に、白石城は皆無片倉小十郎グッズばっかりお客も若い女性が多かったなぁ・・・

のぼちゃん陸奥守様[2010年07月21日]
国道4から白石城の看板がありますので、わかりやすいです。城とミュージアムと武家屋敷の共通入館券(計600円)がお得です。ミュージアムでは、片倉小十郎(2代目)の大阪夏の陣の活躍がみれます。(真田幸村の娘阿梅のエピソード)国道113沿いに片倉家の墓があります。

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore