三沢城
三沢城([白石城 周辺城郭])
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三沢城の口コミ情報
2026年04月11日 奥大道の堕天使大膳大夫城弾正
三沢城は白石蔵王駅の東南に位置し、麓にある大聖寺の裏の墓地に登城口がある。それほど険しい山でもなく、草刈りされ、トラロープによるルート表示や案内板など最低限の整備がなされ、意外に登り易い。
本丸、二ノ丸、三ノ丸という用語には違和感があるが、尾根の北側に位置する通称三ノ丸と南側の通称本丸、二ノ丸とは鞍部を隔てて連絡性が無く、一城別郭の様な体をなす。
通称三ノ丸は楕円形に二重(一部は三重)に空堀を巡らすが、東側において空堀は帯曲輪となる。或いは長年の侵食、崩落によって空堀が消失したのであろうか?まるで鉢巻式山城を思わせる単純な縄張である。
一方、鞍部を隔てた通称本丸、二ノ丸域(以下、主郭域)はS字クランク状に折れ曲がる連続喰違虎口や横矢など技巧的な縄張を呈する。この主郭域の西側は厳重な二重空堀が穿たれ、横矢も設けられるが東側には堀は無く切岸状となる。通称二ノ丸と通称本丸(以下、主郭)の間にS字に屈曲する連続虎口があり、見応えがある。主郭に向かうと、案内板に土橋とある場所に至る。しかしこの土橋は空堀外土塁から主郭切岸にぶつかるだけで虎口に繋がらない。むしろ空堀を区切り(この空堀の南端も土塁状に区切られる)主郭に至る喰違虎口を構成する土塁かと思われる。この喰違を左に折れると主郭に沿い左手に茀状の小さな土塁によって屈曲しながら進み、さらにUターンして坂を登ると左手に虎口に至るという厳重さである。これらは16世紀後半頃、伊達氏の影響を窺わせる。
この両者の縄張の違いは、通称三ノ丸は南北朝期の古いものかとも想像させるが疑問も残る。いずれにせよ今後の考古学的調査、研究を待ちたい。
ただ、せっかくの二重空堀の外側の空堀は手付かずの藪で、そこまで含めての整備を望みたい。
2023年01月04日 【】修理大夫こーへー
【歴史】
★白石刈田十七城のひとつで南北朝期唯一の城で築城期、築城者の詳細は不明。古くは藤原泰衡の家臣が居城、慶長年間には三沢信濃守頼母の居城と伝われる。現在の遺構は伊達氏系の築城があることから伊達氏による戦国時代後期に改修されたと考えられる。
【遺構】
★連続虎口、二重堀、土塁、土橋、曲輪
【写真】
①歴史看板、案内図(縄張図)
②城内にはルート看板有り
③三の丸
④二の丸
⑤連続虎口
⑥土橋
⑦二重堀
⑧本丸、奥は櫓台跡?
【感想】
★続・東北の名城を歩くで紹介されている伊達氏による戦国後期の城郭。連続虎口、土橋、二重堀を含む技巧的な縄張りは必見です。笹ヤブは多少有りますが今のシーズンがお勧めです。白石城に寄った際には是非!









