井伊谷城(いいのやじょう)

井伊谷城の基本情報

通称・別名

所在地

静岡県浜松市浜名区引佐町井伊谷字城山

旧国名

遠江国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

井伊共保

築城年

寛弘7年(1010)

主な改修者

主な城主

井伊氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁

指定文化財

市史跡(井伊谷城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

三岳城(静岡県浜松市)[2.6km]
刑部城(静岡県浜松市)[3.7km]
大平城(静岡県浜松市)[7.2km]
田沢城(静岡県浜松市)[9.4km]
堀江城(静岡県浜松市)[9.4km]
千頭峯城(静岡県浜松市)[10.3km]
鳥羽山城(静岡県浜松市)[12.6km]
二俣城(静岡県浜松市)[12.9km]
宇利城(愛知県新城市)[12.9km]
長篠城(愛知県新城市)[13.9km]

井伊谷城の解説文



井伊谷城(いいのやじょう)は、遠江国の井伊谷(静岡県浜松市浜名区引佐町)にあった日本の城。浜松市指定史跡[1]

歴史 

別名・井伊城。

奈良時代、この地は古くより渭郷と呼ばれていたが、713年(和銅6年)に渭伊郷と改め、これが井伊谷の地名のもととなった。733年(天平5年)には行基が龍潭寺(当時は地蔵寺と言う)を開いたと伝わり、井伊氏代々の菩提寺となっている。

平安時代に入り1010年(寛弘5年)、井伊谷の八幡宮神主は御手洗の井の傍らに男児を見出した、これが井伊氏の祖、井伊共保である。1032年(万寿9年)には井伊谷城を築城したと伝わる。南は三方からの敵の動きが分かり、北は標高が高い山が連なっており、攻めにくい地形に造られている城である。本丸、二の丸、三の丸などで構成されていた山城である。

戦国時代以前は三岳城が井伊氏の本城だった。南北朝時代の記録は、三岳城を「井伊城」としている。この2つの城の関係はよく分かっていないが、南北朝時代は、井伊谷城が、普段、井伊氏が戦がないときに生活していた居城で、三岳城が、戦になったときに立て籠るための詰め城だったとされる。(しかし、戦国時代の井伊家の詰め城は三岳城から、背後の山に変わった。)

1336年(延元1年)、南北朝が分立し、出城として「三岳城」を築いたとある。翌年、井伊道政は南朝の後醍醐天皇の皇子宗良親王を助け、伊勢より井伊谷城に招いた。親王は道政の娘を正室として迎えている。また宗良親王の子・尹良親王も井伊谷城に生まれたと伝承されている。親王は井伊谷や遠江国についての歌を多く残しており、井伊谷城跡の山裾には宗良親王と、多遅摩毛理(古事記・日本書紀に登場する男性)とを祀る二宮神社がある。

今川範国が井伊谷を攻め、今川方と井伊一門は井伊城や麓の三方ヶ原で戦闘となる。室町幕府が成立し、1340年(暦応3年)には北朝方(室町幕府)の高師泰・仁木義長らに攻められ井伊谷城は落城した[2]

宗良親王は駿河から信濃に入り南朝の征夷大将軍となり、新田氏と共に各地を転戦するが足利方に敗走を続ける。この頃、井伊弾正(直秀と伝わる)も討ち死にしている。

今川貞世の鎮西九州攻めに井伊氏も同行する。奥山直朝が敗死。1385年(元中2年)には宗良親王が薨去し、その後南北朝合一が成る。

南北朝合一後、戦国時代までは比較的平穏な時代が続く。斯波氏が武功により室町幕府から井伊谷を含む遠江守護の地位を与えられるが、15世紀末の戦国時代に入ると今川氏親、北条早雲による遠江侵攻が始まる。対する尾張守護斯波義達も遠江に侵攻し両者の鍔迫り合いとなる。井伊直平は斯波方に付き氏親と戦うが、1514年(永正11年)、今川家臣朝比奈泰以に攻められ三岳城が陥落する。これにより井伊氏は今川氏の配下となる。以降、井伊氏は今川方として従軍する事になる。

1542年(天文11年)には井伊直宗が今川義元に従い三河国田原城を攻めるが戦死(異説あり)。1544年(天文13年)には直宗の弟直満、直義が武田氏に内通したとの家臣小野政直の讒言により義元に自害させられる。1560年(永禄3年)には伝・直宗の子直盛が桶狭間の戦いで戦死。家督を直満の遺児・直親が継ぐが、小野政直の子小野道好の讒言により今川に謀反を疑われ掛川で朝比奈泰朝の襲撃を受け討死。直親亡き後の井伊谷は直親後見役の中野直由が治めるが、曽祖父の直平、重臣新野親矩ら共々、今川配下として戦いに出て戦死。直親の遺児・虎松(のちの井伊直政。徳川四天王の一人)が城主となるまでの期間、出家していた伝・直盛の娘井伊直虎が還俗し城主を務めた。

城の南にある龍潭寺は井伊谷城の防衛の役割もあり、直虎は井伊家を任されてからも身を寄せていた龍潭寺に留まることはできたが、井伊谷城に移る決断をした。理由は井伊家を継ぐのが確実な虎松に武将としての振る舞いを城できちんと学ばせる為と、城が醸し出す「戦場の一部」という雰囲気に慣れさせるためだと考えられている。

今川で直虎への反感を持つ者が多くなった事と、甲斐国の武田氏が駿河国に侵攻してきたことによって、今川寄りの家臣小野道好が今川氏真から、虎松を殺害して井伊谷を掌握し、その軍勢を率いて加勢せよとの命を受け入れたことで、直虎は城主の座を奪われてしまい、直虎と虎松は龍潭寺に追いやられてしまう。

1568年(永禄11年)、「次郎法師」(直虎説が有力)と関口氏経の連名で井伊谷に徳政令が発布される。しかし同年末には武田氏の駿河侵攻が起こり戦国大名としての今川氏は滅びる。また武田氏に呼応して徳川家康が遠州攻め。井伊谷三人衆は徳川方に寝返りこれを支援し、井伊谷城を専横していた小野道好を攻めて捕らえる。翌年、小野は直親を讒言したかどで家康により処刑される。

1572年(元亀3年)、武田氏が遠州に侵攻。三方ヶ原の戦い。井伊谷三人衆は井伊谷城を武田方に明け渡す。翌年の1573年(天正元年)、武田軍は猛攻するも信玄が病に倒れ、甲斐への撤退を余儀なくされる。井伊谷の城下を焼き払う。また撤退途中で信玄が病没。その後、家康、井伊谷三人衆の力を借りて井伊谷を奪還する。

1575年(天正3年)、出家していた虎松(直政)の還俗、家康への出仕が認められ、井伊万千代と名乗る。この時、旧領である井伊谷が家康より直政に下賜される。

直政には武功により上野箕輪城、次いで関ヶ原の戦いにより近江佐和山城が与えられ彦根藩主となり、井伊氏の拠点は井伊谷からそちらに移ったので、江戸時代以降は城としての役割がなくなった。しかし、はっきりとした廃城年は分かっていない[3]。また近藤秀用(近藤康用の子)も関ヶ原の武功により井伊谷の一部を与えられる。

現在、井伊谷城は建物は残っていないが、二の丸、三の丸跡などがある。

大河ドラマ『おんな城主 直虎』の放送が決定した後、城跡の頂上までの山道が浜松市によって舗装された。井伊谷城跡は標高110mで山頂まで約15分ほどで行くことができる[4]。  

井伊谷城の口コミ情報

2024年04月23日 主殿助とおとうみ
井伊谷城



 NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』で整備されたのか? 井伊谷城趾入口から数百メートルほど 坂を登ると水洗トイレはあるし ちょっとした広場に展望台、案内板、記念撮影用ボードなど有り。 展望台からはアクトタワーも見えます

2023年11月24日 コナン遠江守
松岳院跡地[井伊谷城  寺社・史跡]

井伊直盛の妻・松岳院が晩年を過ごした場所です。松岳院は大河ドラマで主人公になった「おんな城主直虎」の母です。桶狭間の戦いで討死した夫の菩提を弔うため、この地に庵を建てて、供養に勤めました。直虎も永綠11年(1568)徳政令を受け入れて、城主を退いた後、ここで過ごしました。

龍潭寺の外れにあり、あまり観光客は訪れませんが、井伊家の歴史を感じるには、訪れておきたい場所です。

2023年10月16日 RED副将軍
井伊谷城



女城主 井伊直虎で有名な井伊氏の居城🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎

1010年に井伊共保により築かれたと伝わります。
井伊共保は、藤原氏の末裔であり遠江国司の藤原共資の子であると称し、井伊谷で井伊氏を名乗ったことが始まりとされ、以降は井伊谷城を井伊氏の居城としました。
南北朝時代になると、井伊道政は南朝方に付き、1337年には後醍醐天皇の皇子である宗良親王と三岳城に籠もりましたが北朝方の高師泰と仁木義長に攻められ落城したとされます。
戦国時代になると今川氏に従属し、1560年の桶狭間の戦いで城主の井伊直盛が討死します。
さらに1562年には家督を継いだ井伊直親が今川氏真に謀叛の疑いをかけられて討死。井伊直親の子は幼かったため、井伊直盛の娘が女性でありながら井伊直虎と改称して当主となりました。
井伊直親の子が成長すると井伊万千代と名乗り徳川家康に仕えます。後に徳川四天王のひとりとなる井伊直政です。
井伊直虎は1582年に死去するまで井伊家の当主でした。
井伊直政が家督を承継しましたが、井伊氏の拠点が彦根に移ったのでやがて廃城となったと考えられています。

見所
井伊谷川と神宮寺川の合流地の山陵先端に築かれています。
井伊谷城跡城山公園として整備されており、山頂の主郭は長軸50m程度の楕円形で、甘めの土塁が巡らせただけのシンプルな構造です。
山麓の居館跡、詰め城である三岳城 、井伊家の菩提寺である龍潭寺も併せて訪ねることをオススメします。
龍潭寺は井伊直虎を名乗る前に次郎法師として出家していた所縁の古刹です。写真⑦⑧

2023年04月03日 お気楽飛騨守喜兵衛
井伊谷城



登山道はきれいに整備されていて簡単に登れます。ただ勾配がきついです。桜の花がところどころ咲いてきれいですが、中盤あたりで花を愛でる余裕がなくなりました。頂上からは井伊谷の里が一望でき、直虎もこの景色を見たのかと感慨に耽りました。

2022年11月19日 wonder中納言smit
井伊谷城



トイレにへびに注意と注意喚起がありましたが、本当にいました

2022年11月07日 ばらく~だ
井伊谷城

遠鉄バス「井伊谷」バス停前の内山製菓さんで、井伊谷城の御城印、井伊直虎と井伊直政の武将印が販売されています。各300円です。あと、「いい!直虎゛」(いいなおどら)という商品がうまかったので、お試しあれ

2022年09月11日 ペスカトーレ
井伊谷城



大河ドラマ女城主直虎の舞台になった城です。
山城ですが、道が舗装されており、登りやすいです。
ただし、かなり急勾配の道が続きますので途中にある休憩場所に止まりながら登ると良いかも知れません。
道のり的にはそれほど長くないので、30分位で往復出来るとおもいます。
独立した丘のような形状で、山城としては保存状態は悪く無いとは思います。
しかしそもそもが、堀切や空堀等を持たないとてもシンプルな作りの城なので、遺構は城好きじゃないと一寸わかりつらいです。
明らかに平らになっている頂上からは、伊井谷の大半が見渡せて、直虎もここから伊井谷の未来を考えていたかと思うと、感慨深いものが有ります。

2022年07月26日 ボタもち
井伊谷城

階段はほんの少しで、坂道がすごく急ですので運動できる靴を。

2022年04月11日 ひでき右京亮
井伊谷城



城の遺構はあまり残っていませんが、道も整備されており、見晴らしもよく、気持ちの良い城跡でした。合わせて井伊家の菩提寺である龍潭寺も行くことをお薦めします。

2021年12月20日 583系安房守きたぐに
井伊谷城

浜松駅→神宮寺(バス)、神宮寺→金指駅(バス)、バス停から徒歩で登城。バス停から駐車場脇の登城路まで10分ほど。そこからの登城路は舗装され、中学生がトレーニングで走っていた。駐車場には山頂まで徒歩15分とあるが、ハイカーならそんなにかからない。2ヶ所ほど休憩用のベンチがある。登城行程は山城好きには物足りない。

2021年08月06日 Jager724右近衛少将
井伊谷城



大河ドラマのおかげか城址まで舗装され城郭も手入れされ真夏に訪れましたが、問題無く見学できました。

2021年05月23日 Yana中務大輔
井伊谷城



おんな城主直虎をみて思い立ち訪れて見ました。城跡はとても良く整備されていていました。龍潭寺近くの御初代の井戸を見たあと井伊谷宮でご祈祷もして頂きました^_^

2021年05月19日 不破益麿
井伊谷城



山の麓に大きな駐車場があり、そこから先は徒歩でしか登れません。
登山口には「直虎の杖」なる木の棒が、ご自由にお使いくださいと置いてあります。
山頂まで300m以上あり、急峻な登山道は坂道や階段で足元を整備、また手すりも設置されているものの、杖の1本もあったほうが無難な急斜面が続きます。
途中に休憩ポイント、山頂にはお手洗いも整備されている親切設計。
土塁と方形居館の跡が残されていて、土塁の真ん中に「御所の丸」と書かれた杭と、石を積んだ山があります。

2021年02月21日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
井伊谷城



【井伊谷宮の御朱印】
井伊谷宮の御朱印ですが、普通の御朱印と特別仕様の御朱印(書き置きタイプ)4種類の計5種類ありました。井伊家から奉納された"粟田口國綱"のイラスト(?)入りの御朱印(2種類)がお勧めだと思います。


2020年11月08日 ひ〜ふ〜
井伊谷城

井伊谷城をリア攻め前にお城の麓の浜松市地域遺産センターで予習してからリア攻めすると、分かりやすくなりますよ〜〜 駐車場からも歩いて1〜2分。駐車場が混んでいたら地域遺産センターの駐車場に停めても大丈夫でした〜

2020年10月11日 【城郭道】たっきー
駐車場[井伊谷城  駐車場]



井伊谷城リア攻めの際にこの駐車場を利用できるとのことです。それなりの台数をとめることができます。

2020年09月26日 【城郭道】たっきー
トイレ[井伊谷城  トイレ]



井伊谷城の本丸の搦手虎口にあります。中は綺麗で、電気は自分でつける感じです。
井伊谷城リア攻めの際にどうぞ。

2020年09月19日 泉地近江守ばっかんまん
井伊谷城

城の規模としては小さい方ですが、周辺の龍端寺とかも含めて、井伊氏の歴史が堪能できます。

2017年08月15日 上総介尾張守
井伊谷城

その花押入り書状は先日東京でのおんな城主直虎展に出品されてました。東京展は終了し静岡県立美術館での静岡展が14日から始まって出品されるそうです。

2017年08月15日 まるき〜出雲守
井伊谷城

タクシードライバーさん情報
井伊直虎って本当に居たの?
の問いに井伊谷城跡から257号線を南に行くと蜂前神社があり、そこに直虎の花押が入った書状が保存されているという…
だがその花押は現在浜松博物館にて保管
蜂前神社にはコピーが残されていると…

2017年08月15日 まるき〜出雲守
井伊谷城

大河ドラマの影響で沢山の人が来ているのかと思いきや混雑するほど多くもなく遠足気分でいける普通の公園。
登城口から城跡までのキレイな道のりはドラマ決定に因んで突貫工事で整備されたとの事。途中の休憩所、トイレはキレイです。
登り始めには畑の電気柵があるので注意!

ドラマ関連、直虎ゆかりの地めぐりの観光タクシーが多数出ているようで待機中のドライバーさんに話を聞いてみましたら、よく勉強されているようで聞いた質問にスラスラと答えていただけましました。
いや〜自走じゃなければタクシー使っちゃうかな〜
コースは1.5時間〜6時間
14,900円〜35,160円
いろんなプランがあります
乗車は4名まで、要予約
遠鉄タクシー

2017年07月19日 寿甘主計助桃兎姫
井伊谷城

先の方々が仰っているように、井伊谷城はちょっとした山登りです。昔の人は足腰強かったろうなぁと思いながら登りましたが、跡から見える景色は本当に気持ちのよいものでした!

2017年07月18日 駿河守武蔵守
井伊谷城

道中は舗装されていますが
結構な急坂です。
登城口に杖が有るので自信が
ない方は借りていくのがベストです。
本丸跡からの景色は絶景でした。

2017年03月04日 本多左近将監忠政公
井伊谷城

井伊谷城の南西に建つ妙雲寺には土日限定で直虎公の位牌が無料で公開されています

2017年02月04日 安倍相模守宗任
井伊谷城

二宮神社から山頂まで200m、よく整備されてますが、急坂です。麓に自然木の杖が置いてあるので、迷わず使いましょう。疲れますが山頂からの眺めは中々ですよ。

2016年12月30日 まー刑部卿
井伊谷城

本郭から三岳城跡が見えます。

2016年12月29日 まー刑部卿
井伊谷城

先人達が『多目的研修センター駐車場へ停めたほうがいい』と書いてありますが看板には『多目的研修センター専用のため停めないで地域遺産センターへ停めて下さい』とあります。多目的研修センターから車で1,2分、歩いても5分ほどです。また来年1月15日〜平成30年1月14日まで地域遺産センターでは開館記念として【戦国の井伊谷】という特別展が開催されます。城跡ですが遊歩道が造られていますが急坂です。またトイレも新築されてますが遺構が壊されてるように感じました。あまり観るべきものはありませんが景色は良かったです。また周辺には『引佐町第四区公民館』に井伊氏居館跡の説明板があります(遺構なし)。井殿の塚は途中まで案内板が出てますがいつの間にかなくなってしまい確認出来ませんでした。龍潭寺庭園、井伊直虎ほか井伊氏のお墓(拝観料500円)もあるので観に行くべきかと思います。

2016年12月29日 Nabeppu左馬頭
井伊谷城

とても登り易く整備されてます。車は南側大手口付近に多目的研修センターがありますので、そこの駐車場に。
単郭式の性か頂上に着くまで、郭の説明板等は一切無いです。ただ途中数カ所休憩場が設けてあり、そこが何かの郭に見えなくもないです。
でも頂上からの眺めはいいですよ!


2016年09月13日 副将軍お城エリコ
井伊谷城

城山公園に行くには、急な坂道や階段を登ります。現在、階段に手摺を付ける工事をしていました。

2016年07月10日 カーネル
井伊谷城

天竜浜名湖線金指駅から
アプリを起動すると本丸まで直線2.4kmでした
駅前の国道362号を西へ歩き、国道257号線で右折したらひたすら北へ

信号「井伊谷上」を過ぎ北上を続けます。帰りはこの信号に戻ってきました
信号を過ぎ、国道が北西に曲がり最初の小さな交差点で左折
車道で山を登るつもでしたが、民家脇に「城山公園」の標識があるので、左折すると整備された山道
登ると階段状の曲輪?公園として整備されたもの?を過ぎると車道と合流します

車道を登り続け、駅を出て45分くらいで頂上の本丸着

標識と案内板があります。5分ほど散策して登ってきた道と反対側に「多目的センター、二宮神社→」の看板がある道があるので、こちらから帰りました

で多目的センターに降りましたが、こちらから来たら、多目的センターの北の道を西に少し登ると看板があります
東へ歩き国道257の井伊谷北信号にでて駅へ戻って1時間半ちょいでしが、ずっとコンクリの上を歩くので時間以上にダメージありです

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです

2016年01月04日 本多左近将監忠政公
井伊谷城

お正月期間中のみ宮内庁管轄領域に入れます

井伊谷城の周辺スポット情報

 井殿の塚(遺構・復元物)

 搦手虎口(遺構・復元物)

 大手虎口(遺構・復元物)

 井伊氏居館跡(碑・説明板)

 新野左馬助屋敷跡(碑・説明板)

 小野但馬守政次屋敷跡(碑・説明板)

 説明看板(碑・説明板)

 金指陣屋(碑・説明板)

 御所の丸の碑(碑・説明板)

 奥山城(周辺城郭)

 奥山館(周辺城郭)

 金指近藤陣屋Ⅱ(周辺城郭)

 井伊共保公出生の井戸(寺社・史跡)

 妙雲寺(寺社・史跡)

 伝小野但馬守政次 供養塔(寺社・史跡)

 二宮神社(寺社・史跡)

 天白磐座遺跡(渭伊神社)(寺社・史跡)

 龍潭寺(寺社・史跡)

 伝 井伊次郎法師(直虎)墓所(寺社・史跡)

 井伊谷宮(寺社・史跡)

 蟹淵(寺社・史跡)

 松岳院跡地(寺社・史跡)

 蜂前神社(寺社・史跡)

 御菓子司すぎや(御城印)

 ヤマタ内山製菓(御城印)

 生そば処 曳馬路(御城印)

 竜ケ岩洞 受付(御城印)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 浜松市地域遺産センター(関連施設)

 井伊谷(その他)

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