一宮城(いちのみやじょう)

一宮城の基本情報

通称・別名

城山、一宮陣屋、加納藩城、加納藩陣屋

所在地

千葉県長生郡一宮町一宮

旧国名

上総国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

不明

築城年

南北朝時代〜16世紀

主な改修者

主な城主

須田将監?

廃城年

遺構

曲輪、土塁?

指定文化財

町史跡(一宮城址)

再建造物

模擬門、模擬塀、石碑、説明板

周辺の城

万喜城(千葉県いすみ市)[9.1km]
庁南城(千葉県長生郡)[11.6km]
本納城(千葉県茂原市)[13.5km]
大多喜城(千葉県夷隅郡)[14.7km]
西野城(千葉県山武郡)[16.9km]
土気城(千葉県千葉市)[18.7km]
大椎城(千葉県千葉市)[18.8km]
犬成城(千葉県市原市)[20.2km]
東金城(千葉県東金市)[20.9km]
佐是城(千葉県市原市)[21.3km]

一宮城の解説文



一宮城(いちのみやじょう)は、千葉県(上総国)長生郡一宮町城ノ内にあった日本の城。一宮町指定史跡[1]。通称「城山」。中世末期に一旦廃城となったが、江戸時代後期に一宮藩の陣屋として再建され、一宮陣屋(いちのみやじんや)と称した。

概要 

天然の地形を利用し標高約30メートルの台地上に築かれた平山城(要害)で、築城時期は南北朝時代から16世紀とされるが詳細不明。戦国時代の天文年間(1532年~1555年)には、里見氏に帰属していた正木氏の支配下にあった。第二次国府台合戦後、正木氏は分裂して北条氏に内通した正木時忠は、里見氏方の正木憲時方にあった一宮城を攻略して嫡男の正木時通を置いた。永禄年間(1558年~1570年)には里見氏・北条氏、そして分裂した正木氏が絡んで一宮城を巡る攻防戦が度々行われて、城下にあった玉前神社(上総国一宮)の宮司が社宝を持ち出して隣国の下総国に一時疎開したと伝えられている。

後に時忠父子が里見氏に復帰したため、再び憲時の支配下に置かれた。だが、後に正木憲時が里見義頼によって討たれると、里見氏が城代を直接派遣して同城を支配したとされているが、この時期の経緯は不詳であり、小田原征伐当時同城を支配していた鶴見氏は本多忠勝の攻撃を受けて没落したとされている。その後、暫くは新領主となった徳川氏の城代が設置されていたとも言われているが、遅くても文禄年間(1593年~1596年)までには廃城となった。

その後、一宮は寛政8年(1796年)に、伊勢八田藩の飛領とされる。文政9年(1826年)、八田藩主加納久儔が、江戸湾警備の都合から、飛領であった上総に藩庁移転を決定し、その際に荒廃して土塁のみが残っていた一宮城の跡地に陣屋を設置して周辺を整備した。以後、明治まで一宮藩の藩庁として機能したが、明治4年(1871年)の廃藩置県によって再度廃城となった。

1983年(昭和58年)から翌年にかけて武道館建設のために城跡の一部で発掘調査が行われて、厚い焼土層の中から中国製陶器や武器類などが出土している(出土品は町指定の有形文化財[2])。

アクセス 

  • JR外房線 上総一ノ宮駅 徒歩10分

参考文献 

  • 上総一宮郷土史研究会 編「ふるさと」(上総一宮郷土史研究会、1981年)
  • 千葉城郭研究会 編「図説房総の城郭」(国書刊行会、2002年)ISBN 4-336-04433-3

一宮城の口コミ情報

2023年04月10日 マタローちゃん式部大輔
一宮城



いきなり城門が出現する。勿論古いものではなく明らかに最近建築されたのだろうが、これが期待を高める。その脇には案内看板などがある。そして車でそのまま城門をくぐって奥へ進み坂を登りきると振武館という立派な建物があり駐車場もあった。だが、それだけだった。アプリによるとその建物の場所こそ、城の主郭部分らしい。遺構などもなく些か物足りない気分となった。

2022年08月19日 ファン掃部助トム治郎
一宮城

一宮駅から徒歩10分。高台にあり海まで展望できます。鎌倉どのの13人で近くの玉前神社が上総介関連の史跡として紹介されていました。

2021年10月18日 国府左京大夫城介
上総一宮観光案内所[一宮城  その他]

一宮城(千葉県)周辺のレンタサイクル情報

【場所】
上総一宮観光案内所(上総一ノ宮駅から徒歩1分)

【貸出時間】
8:30~17:00(夏季期間延長有)

【時間及び料金】
普通:500円/1日  電動:1000円/1日 ロード:1000円/1日 ビーチ:500円/1日

【種類】
普通自転車・電動アシスト付き自転車・ロードバイク・ビーチクルーザー

【Web情報】
千葉県一宮町観光協会

【利用日】
令和3年6月26日

【アクセスできた城】
・アプリ登録
 一宮城

・口コミ登録
 高藤山城、加納藩台場、勝見城

【参考事項】
・高藤山城や勝見城に行くのであれば、電動が便利

2021年01月23日 あかさ
一宮城



大手門から入り、坂の上にある駐車場から建物脇の小路を通って山の上に行くと、加納久宜公の墓があります。たまに 行くのですが、そこから城下を見ると 何故か少しほっとします。
まだ少し早いですが、4月になると大手門からの坂道にある桜が綺麗に出迎えてくれますよ♪

2020年11月25日 昌幸近江守雪舟接収計画
高藤山城[一宮城  周辺城郭]



御城印発売記念に再び登ってみました。木の葉が落ち、探索しやすくなりました。

【写真の説明】
①ニ郭下の広めの郭(三郭?)に微かに残る土塁。
②登城路に現れる切岸。上は三郭。
③主郭-ニ郭間の堀。
④その堀を底から。浅さは使われなくなったその年月を感じさせる。

2020年11月07日 昌幸近江守雪舟接収計画
一宮城



20年9月より一宮城と高藤山城(周辺城郭で紹介)の御城印を販売しています。
販売場所はJR上総一ノ宮駅前の観光物産直売所にて。駐車場あり。一枚300円。

2020年08月21日 昌幸近江守雪舟接収計画
高藤山城[一宮城  周辺城郭]



別名:高塔山城、柳沢城

城の歴史は古く、平安時代に平常家が上総権介に任じられ、以後4代60年上総平氏棟梁の城として栄える。戦国時代には一宮正木氏の属城となっていて、現在の遺構は戦国期のものらしい。

小田原征伐では豊臣方についた一宮正木氏は、一宮城とこの城で、北条方の万喜土岐氏に睨みを効かせていたに違いない。豊臣の世となると共にこの城の役目は終えた。幕末、一宮藩主加納久徴は城址が廃れ忘れ去られていくのを憂い、碑を建て見示することにした。

場所は一宮町と睦沢町の境にあり、一宮側から登城できる。登城口前に2台位停められる路肩がある。標高80m、5分もあれば到着。ほどんと薮だが、主郭と二郭は整備されている。

【写真の説明】
①登城口
②二郭
③主郭-二郭間の堀
④主郭にある加納久徴公の建てた碑
⑤尾根より二郭への侵攻を防ぐ堀切
⑥その堀切を上から
⑦主郭と二郭は周囲を腰曲輪で防御している
⑧大手があったとされる睦沢町の妙勝寺

2017年05月05日 Nabeppu左馬頭
一宮城

遺構はハッキリ確認出来ないが、入口に嘗てもあったとされる場所に模擬門が大手門としてある。大手門を150m程進むと正面に駐車場と振武館という武道場がある。その建物の左側を上がって行くと最初の広場(眼下に小学校と一宮の街並みがあり、遠くに太平洋が一望出来る)があり、更に躑躅の通り道を上がると一宮藩最後の藩主加納久宣公の墓所がある。この辺りが城跡の頂きになっている。

一宮城の周辺スポット情報

 堀跡(遺構・復元物)

 加納藩台場(周辺城郭)

 高藤山城(周辺城郭)

 上総国一ノ宮・玉前神社(寺社・史跡)

 加納久宜公墓所(寺社・史跡)

 上総一宮観光案内所(その他)

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