寺池城(てらいけじょう)

寺池城の基本情報

通称・別名

寺池館、登米要害、臥牛城

所在地

宮城県登米市登米町寺池桜小路

旧国名

陸前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

葛西氏

築城年

天文5年(1536)

主な改修者

主な城主

葛西氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切、移築搦手門

指定文化財

市文化財(伝寺池城搦手門)

再建造物

石碑

周辺の城

佐沼城(宮城県登米市)[8.6km]
朝日館(宮城県本吉郡)[13.1km]
涌谷城(宮城県遠田郡)[18.1km]
遠野城(宮城県気仙沼市)[18.6km]
塩野田館(宮城県石巻市)[20.5km]
高清水城(宮城県栗原市)[23.2km]
金沢城(岩手県一関市)[23.7km]
二桜城(岩手県一関市)[23.9km]
彫堂七館(宮城県遠田郡)[24.0km]
伊治城(宮城県栗原市)[24.4km]

寺池城の解説文

【ご注意】私有地のため、現在立ち入り禁止となっています。


寺池城(てらいけじょう)は、宮城県登米市登米町寺池にあった日本の城。「寺池館」とも呼ぶ場合もあり、通称「臥牛城」。江戸時代は伊達氏の支配下の元「登米要害」と称した。

歴史 

築城年代は不明。葛西氏により築城された。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置によって葛西晴信は改易。木村吉清が葛西氏、大崎氏の旧領30万石を与えられ、寺池城を居城とした。

しかし、葛西大崎一揆が勃発。一揆軍に城を占拠されたため、木村吉清は佐沼城に逃れた。その後寺池城は伊達政宗により落城。

現在の寺池城は、慶長9年(1604年)、伊達政宗の家臣白石宗直が移り修築し、居城としたものである。その後白石氏は伊達氏を名乗ることを許され、寺池城は一国一城令の後は登米要害と称し、幕末まで登米伊達氏の居城であった。

遺構 

廃城令や奥州仕置により殆どの建物は解体されたが、伝承を含むものの払い下げられた建築物も存在する。

同市内にある養雲寺の山門(四脚型楼門・市指定文化財)は、奥州仕置により前身の寺池城が廃城となった際、山門として移築されたものであるとされる(但し、当時は別の寺院。)。元は茅葺きであったが、近年銅板葺に吹き直されている。

また、同市内の民家にも廃城令で払い下げられたとされる門(伝・搦手門)が現存し、市の指定文化財となっている。

寺池城の口コミ情報

2025年06月21日 さよなら出羽守急行津軽
米谷城[寺池城  周辺城郭]



遠野城(気仙沼市)に向かうために県道202号を走っていたところ、不意に石垣(4枚目、5枚目)と看板(1枚目、2枚目、3枚目)を見つけて、急遽Uターンして訪問しました。

木の看板の前に車を1台停められるスペースがあり、停めてから徒歩で登城しました。

立派な住宅を目の当たりにし、私有地に入ってしまったかと思い、引き返そうとしましたが、本丸跡への小さな看板(6枚目)を見つけたので、砂利道でお庭を突っ切って、本丸跡に向かいました。

本丸跡の東側に、城主の子孫の方の文章の記載のある看板がありました(7枚目)。城主の子孫の方のご厚意により、城跡の一部を公開いただいていると理解しました。

本丸跡からは、田んぼがよく見えました(8枚目)。

2024年03月19日 めご姫の姑
寺池城



公園として整備されたのは昔で、建物は朽ちて立ち入り禁止の札が掛けられており、残っているのは入口の門位。城マークは公園より北側にあり辿ると、家庭裁判所入口の右脇の砂利道の先にあります。車は砂利道の入口に停めて徒歩で進むと小高くなった先に畑地が見えます。

2023年05月11日 ᴿᴱᴰ副将軍
寺池城



奥州総奉行の葛西氏の居城🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。奥州総奉行を任じられ、大名となった葛西氏により築城され本拠地であったと云われます。1590年、豊臣秀吉の奥州仕置により葛西氏が改易。代わって豊臣秀吉家臣の木村吉清の支配となりましたが、翌年の葛西大崎一揆で落城。その後、伊達政宗の米沢からの国替えに伴い、伊達氏の支配となり、伊達氏家臣の白石宗直が入城。一国一城令以降も仙台藩21要害の一つの#登米要害 として存続し、白石氏が代々城主を務めて明治維新に至りました。

見所
北上川西岸の丘陵に築かれています。現在は公園、簡易裁判所や宅地となっており遺構はほぼ消失しており切岸らしい地形のみ残っています。寺池城趾公園として整備され冠木門が建っています。

2019年05月29日 ⛫武蔵の加賀守の謙
寺池城



西側の城塁のように見える部分。改変が著しく、遺構といえる部分は殆どない。葛西氏の系譜も錯綜甚だしく、城跡と共に謎が多い。

2019年05月28日 ⛫武蔵の加賀守の謙
寺池城



模擬冠木門。戦国大名葛西氏の居城としては小規模だが、平時は寺池城、戦時は南側の保呂羽城に詰めたと考えられる。2018.12/2撮影。

2019年05月27日 ⛫武蔵の加賀守の謙
寺池城



南朝の凋落を契機に嫡流葛西氏が没落。その系譜を継承した北朝方の庶流家が、14世紀後半に寺池城と一体として機能した保呂羽城に入部したとの指摘がある。2018.12/2撮影。

2017年04月25日 カーネル
寺池城

気仙沼線 柳津駅から

直線で5.5km。遠いなぁと思いながら北上川に沿って北上します。川の東側を歩きます

川沿いの国道342号は、歩道がないので、国道の一段下の土手を歩く。こっちは未舗装なので膝にも優しい

1時間後に、初めて北上川を渡る橋がでるので、ここで左折します。国道342号も一緒に曲がります
橋を渡るといきなり市街地になります。観光駐車場の北に寺池城の標識があります。ここまで1時間半

城跡は公園になってます。公園には井戸や曲輪があり、周辺は武家屋敷風に整備されてました

帰りは国道342号に並走する東の生活道路を歩きました。歩道はないけど交通量が少ないので、こっちのほうがよかったです
駅から往復して3時間でした

寺池城前で佐沼行きのバスとすれ違いました
そして、柳津駅北西の津山総合支所前にあるバス停に、佐沼行きがありました。バスあったんか・・・

2014年08月27日 中務少輔きたろう三世
寺池城

遺構は、全体的な形状や主郭周辺以外は、改編されてしまった部分が多い。

葛西氏の本拠としての寺池城は、近くの保呂羽城だとする説もあり、こちらは、郭や切岸が確認できる。

2010年06月09日 のぼちゃん陸奥守
寺池城

廃藩地県のとき、宮城県でなく、水沢県だったそうで、県庁記念館や警察資料館や尋常小学校もあり、見所満載です。懐古館には、白石氏の甲冑(兜が政宗風に『也』になっています)が展示してあります。城跡周辺には、B級グルメで有名なあぶらふ丼のお店が数件あり、はっと汁とのセットは美味しかったですよ。


2010年06月07日 シャド陸前守
寺池城

教育資料館の隣にある観光物産センターの裏に駐車場もあるので
比較的場所は見つけやすいと思います

寺池城の周辺スポット情報

 (遺構・復元物)

 寺池城跡の標柱(碑・説明板)

 秋葉山の石碑(碑・説明板)

 米谷城(周辺城郭)

 保呂羽城(周辺城郭)

 どうめき館(周辺城郭)

 吾妻館(周辺城郭)

 小島館(周辺城郭)

 苔ノ沢館(周辺城郭)

 美濃館(周辺城郭)

 柳津館山館(周辺城郭)

 茶臼館(周辺城郭)

 赤生津要害館(要害屋敷)(周辺城郭)

 前館(周辺城郭)

 如来山館(如来山城)(周辺城郭)

 月輪館(周辺城郭)

 浅部茶臼館(茶臼館)(周辺城郭)

 高橋館(周辺城郭)

 浅部館(周辺城郭)

 月ノ輪館(周辺城郭)

 花台館(周辺城郭)

 長谷館(周辺城郭)

 鼎館(周辺城郭)

 大膳館(周辺城郭)

 登米懐古館(御城印)

 駐車場(駐車場)

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