佐沼城(さぬまじょう)

佐沼城の基本情報

通称・別名

佐沼要害、鹿ヶ城、鹿城

所在地

宮城県登米市迫町佐沼内町(鹿ヶ城公園)

旧国名

陸前国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

照井高直

築城年

文治年間(1185〜1190)

主な改修者

主な城主

照井氏、佐沼氏、石川氏、津田氏、亘理氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切

指定文化財

市史跡(佐沼城跡(本丸跡))

再建造物

石碑

周辺の城

寺池城(宮城県登米市)[8.6km]
伊治城(宮城県栗原市)[15.9km]
高清水城(宮城県栗原市)[16.3km]
二桜城(岩手県一関市)[17.4km]
涌谷城(宮城県遠田郡)[17.5km]
金沢城(岩手県一関市)[17.8km]
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佐沼城の解説文



佐沼城(さぬまじょう)は、宮城県登米市迫町佐沼字内町にあった日本の城。別名・鹿ヶ城。江戸時代は伊達氏の支配下の元佐沼要害と称した。登米市指定史跡[1]

歴史 

藤原秀衡の家臣・照井高直によって文治年間(1185年-1190年)に築城されたという[2]

鎌倉時代は葛西氏の支配下の城であったが、戦国時代には大崎氏の持城であった。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置によって大崎氏は改易され、木村吉清の持城となった。葛西大崎一揆が勃発すると木村吉清・木村清久父子はこの城に籠城した。同年木村父子は伊達政宗によって救出された。政宗が一揆煽動の容疑により京に召喚された間に城は再び一揆の手に落ちたが、翌年政宗によって奪還された。一揆平定後は伊達氏の所領となって湯目景康が城主となる。津田氏が7代続いた後、宝暦7年(1757年)亘理倫篤が高清水城から移り、幕末まで亘理氏の城となった。1871年(明治4年)の廃藩置県で廃城となる。

佐沼城の口コミ情報

2024年03月19日 駄目太政大臣政宗
佐沼城



登米歴史博物館東側に駐車場が有り、すぐ北側に城趾の郭が有ります。復元図とは少し違った地割になっているけれど仕方ないか!

2019年05月08日 わる爺陸前守
遺跡 佐沼城中の板碑[佐沼城  碑・説明板]



阿弥陀如来が刻まれている供養碑1278〜1287年頃と伝わる

2019年05月08日 わる爺陸前守
堀[佐沼城  遺構・復元物]



近代的な補修の堀跡は空堀化してるがこの地は本来湿地帯なので水堀のはず。

2019年05月08日 わる爺陸前守
佐沼城復元絵図[佐沼城  碑・説明板]



宝暦九年頃の本丸部屋割り図がもと

2010年06月09日 のぼちゃん陸奥守
佐沼城

国道398から看板があるので、わかりやすいところにあります。無料駐車場もあります。この城は、水に囲まれた城で『鹿ケ城』と呼ばれており、案内板と石碑がありました。隣接する歴史博物館は、無料ですので、一緒にみてはいかがでしょう。市役所周辺に一揆鎮圧時の伊達成実陣跡があったと思いました。(よらなかったので、詳細はわかりません)

佐沼城の周辺スポット情報

 (遺構・復元物)

 佐沼城復元絵図(碑・説明板)

 鹿ヶ城跡の石碑(碑・説明板)

 遺跡 佐沼城中の板碑(碑・説明板)

 西館(周辺城郭)

 石森館(周辺城郭)

 出雲神社照日権現(寺社・史跡)

 旧亘理邸(寺社・史跡)

 登米市歴史博物館(御城印)

 トイレ(トイレ)

 登米市歴史博物館駐車場(駐車場)

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