涌谷城(わくやじょう)
涌谷城の基本情報
通称・別名
- 涌谷要害
所在地
- 宮城県遠田郡涌谷町涌谷下町1
旧国名
- 陸前国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- 独立式望楼型[3重3階/1973年築/RC造模擬]
築城主
- 涌谷氏
築城年
- 不明
主な改修者
- 亘理重宗、亘理定宗
主な城主
- 涌谷氏、亘理氏(涌谷伊達氏)
廃城年
- -
遺構
- 隅櫓(太鼓堂)、曲輪、石垣、横堀(空堀)
指定文化財
- 町文化財(涌谷館跡隅櫓(太鼓堂))、町史跡(涌谷城跡)
再建造物
- 模擬天守(涌谷町立史料館)、説明板
周辺の城
-
彫堂七館(宮城県遠田郡)[6.9km]
千石城(宮城県大崎市)[7.9km]
塩野田館(宮城県石巻市)[13.0km]
小野城(宮城県東松島市)[15.4km]
高清水城(宮城県栗原市)[15.7km]
古川城(宮城県大崎市)[15.8km]
佐沼城(宮城県登米市)[17.5km]
寺池城(宮城県登米市)[18.1km]
宮沢城(宮城県大崎市)[18.6km]
石巻城(宮城県石巻市)[20.6km]
涌谷城の解説文
[引用元:Wikipedia「涌谷城」の項目]
涌谷城(わくやじょう)は、宮城県遠田郡涌谷町にあった日本の城(平山城)。別名涌谷要害。
概要
仙台平野(仙北平野、大崎平野)を東流する江合川(北上川水系)が、篦岳丘陵から南に延びる小規模な樹枝状丘陵にぶつかってやや南に向きを変え、同丘陵に沿って流れる区間がある。涌谷城はこの区間の同丘陵上にあり、標高約5mを流れる江合川に西側から南側を守られた、標高約20mの舌状地を城内とする。 色川家や中里家、鎌田家などが城下町に来場したときなどの世話をしたとも言われている。
もともとは大崎氏の家臣の涌谷氏が所有していたが、豊臣秀吉の天下統一に伴い木村氏を経た後、伊達氏の家臣亘理氏の居城になる。2代重宗、3代定宗を経て城郭を整備し、後に定宗は伊達氏を名乗ることを許されるまでになった(涌谷伊達氏)。しかし、定宗の後を継いだ伊達宗重が後継者問題などで原田宗輔と対立し、遂には殺害されてしまう(伊達騒動)。
現在は城山公園となっていて、春は桜の名所として知られる。城内には隅櫓(太鼓堂)が現存し、県内で唯一の城郭遺構となっている。
その隣に三層櫓に似た天守風の建物(資料館)があるが、いわゆる疑似天守(実在した天守を再現したものではない)である。
考古資料
遺構
- 土塁、堀(空堀)、隅櫓(太鼓堂)
アクセス
- JR石巻線・涌谷駅より約1km(徒歩13分)
- 東北自動車道・古川ICより約20km
- 三陸自動車道・松島北ICより約20km
- 三陸自動車道・鳴瀬奥松島ICより約19km
周辺
- 涌谷神社
- 黄金山神社 (涌谷町)
- 加護坊山
- 箟岳山
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涌谷城の口コミ情報
2024年03月10日 めご姫の姑
涌谷城
城址は涌谷神社や資料館が有り綺麗に整備された施設になっています。
2023年08月11日 榕庵榮胤
涌谷城
■涌谷城(要害)西側(江合川)の城垣は,昭和53年5月に発送した宮城県沖地震で崩落。其の後,河川改修(流域拡張)に併せて修築された現在の城垣は,大きく内側に入り込んで石を積みました。今,川沿いに走る県道の川側が旧(江戸期)の城郭西側に相当します。
■東側は急峻なる崖になつてをりますが,此れは人工的に作事され,西は河川にて東は崖により防塞されるよう縄張りされました。
人力による工事の困難さもさる事乍ら,法面保護策が為されない儘,現在に至る迄崩落する事なく当時の姿を留めるは驚嘆に値します。
◆此の崖の下は現在,行政地区で「沢」といいますが,城手前西側のT字路【註】を下り,月将館小学校敷地交差点を左に折れ,道なりに進むと「沢」に着きます(鳥居から徒歩で15分弱)。此処から城を見上げると,攻むるの難さ如何の程がお分かり頂けるかと思います。
【註】T字路右手に在ります涌沢歯科医院様宅は,江戸期には表御座一番着座二席涌澤七郎左衞門の屋敷です。
■隅櫓から見える江合川に架かる橋(涌谷大橋)は,江戸期に「下之橋」と称し木橋。涌谷神社(旧本丸)北側の橋(涌谷橋)は「上之橋」と称し,架橋部は木製乍ら法面は土を固めた造作でした。此れは,城攻め危急の報が入り次第,法面を大型カケヤを以て打ち崩し,敵の侵入を断じ,其れにて兵を大手門・下之橋に集結するを得るからです。
■城表階段下,涌谷神社石鳥居を背に左手堤防沿いに細い道があります。江戸期には大手門通りと称し,左右に重臣の「居懸屋敷」が立ち並んでをりました。
つまり此の法面(のりつら〈高さ〉)が江戸期の建屋敷地面になります。現在,堤防兼県道から見上げる隅櫓と,薬医門(下記に仔細記載。江戸期路面)からの其れを比較されると,其の違いに驚かれると思います。
■往時を今に殘す唯一の建築物として「薬医門」があります。此の門は,表御座一番着座一席御家老家であつた千石四郎左衞門〈千石家は代々四郎左衞門を名乗る〉の表門です。
門内側鴨居部分に複数ある金具は,家臣が役方出張(やくかたでばり)の際,出立前に此処に名入り陣笠を掛けました。此れは役方安全と家臣の出入を管理する為でありました。
[参考]表御座職は時代により呼称の違同がありますが,御一家(3家)の次に位し17家。1,900有余の涌谷伊達家中では最上位の格式です。
2022年11月27日 前田掃部助かん太
涌谷城
敷地内に駐車場、公衆トイレあります。資料館となっており、小さいながらも良い施設です。
2022年11月11日 治部大輔利虎
涌谷城
お城と周りの環境の調和が素晴らしいです。人も殆どいないので雰囲気に浸るのに良いと思いました。
2022年09月29日 RED副将軍
涌谷城
宮城県で唯一の現存する城郭建物遺構の太鼓堂とその下の現存石垣が見所です✨
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。
奥州管領大崎氏一族の百々氏の庶流である涌谷氏の居城であったと云われます。
1590年、豊臣秀吉による小田原征伐に参陣しなかったことで大崎氏は改易となったことから、伊達政宗の所領となりました。
1591年には、伊達氏家臣の亘理重宗が入部し、涌谷城を居城としました。
江戸時代に入ってからも涌谷要害として維持されました。
1604年には亘理重宗の嫡男である亘理定宗が家督を継ぐと、伊達政宗の庶子の宗根が亘理重宗の娘を娶り姻戚関係となると、伊達姓が与えられ涌谷伊達家が明治に至るまで続きました。
見所
現在は城山公園として整備されています。
本丸は涌谷神社の境内となり、二の丸には一番目立つ天守風の資料館は模擬ですが、その隣の
太鼓堂と呼ばれる隅櫓は宮城県で唯一現存する城郭建物遺構です。
江戸時代になると、城郭であると破却されるため、湧谷城は涌谷要害、太鼓櫓は太鼓堂と呼ばれる様になりました。
太鼓堂下の反り返った石垣は、現存石垣と云われ、見逃さない様にしてください。
①②現存石垣
③④現存櫓の太鼓堂
⑤⑥模擬天守
⑦本丸に鎮座する涌谷神社
2021年07月26日 南部陸奥守勝牛
涌谷城
東北城攻めイベントのため車で訪れました。江合川を渡り川沿いを城方面に走らせると、塀が城郭風になります。右手に神社や石垣上の櫓を見ながらそのまま進み、斜め右に入る上り坂を上がった所に駐車場とトイレがあります。櫓には駐車場から徒歩で公園を抜け、水平移動で到着します。私は東北スタンプとリア攻めをして直ぐに次の城へ向かいました。
2021年07月10日 陸奥守仙臺むすび丸JUN
涌谷城
太鼓櫓そばの石段から麓にある涌谷神社の鳥居まで立入禁止の規制がかかっており、下から太鼓櫓や太鼓櫓石垣を間近に見ることは現在できない状態になっています。
リア攻めのときの参考にしていただければ幸いです。
2021年04月04日 【三】浦和兵部卿梵天丸
涌谷城
桜も咲いて良かったですが、残念ながら資料館となっている天守は現在修復中で立入禁止となっています。
2020年10月04日 桜井太政大臣静龍
涌谷城
平山城ですが、車さえあれば史跡資料館駐車場から、車椅子の方でも本丸天守そば迄いけます。天守は資料館になってて、ガイド付のほうが堪能できます。桜が咲く頃が本丸からの眺めが気持ち良いよいかと。
2020年09月29日 まーし
涌谷城
街の資料館でしたが4時閉館で入れませんでした。行かれる方はご注意を
2020年06月15日 マクスウェル
涌谷城
天守跡が資料館になっています。
親切な職員が説明をしてくれて涌谷の伊達家を学べました。
価格は忘れましたが、リーズナブルな入館料の記憶があります。再建天守と神社を右手に見ながら進むと無料駐車場があります。
資料館まで駐車場から数分、資料館前に無料で使える公衆トイレあり。
2020年01月21日 つの釆女正けん
涌谷城
町の資料館だが、冬期閉館中でした。
2019年05月22日 ⛫武蔵の越前守の謙
涌谷城
二郭より上段にある本郭を見上げる。八代当主、大崎政兼の弟である百々高詮の次男信直が涌谷氏を名乗ったともいう。12/2撮影。
2019年05月21日 ⛫武蔵の越前守の謙
涌谷城
太鼓堂。県内で唯一現存する二層櫓。天保4年の再建という。屋根には伊達家一門の象徴である鯱をあげている。2018.12/2撮影。
2019年05月20日 ⛫武蔵の越前守の謙
涌谷城
太鼓堂下の詰之門石垣。切込み接ぎの石垣で上部は布積、下部が乱積に近い。平成15年の地震による崩落に伴い積み直された。
2019年05月17日 ⛫武蔵の越前守の謙
涌谷城
永享三年頃には大崎一族、涌谷氏の居城となる。初代大崎家兼公の三男、百々美濃守の次男が涌谷氏を名乗ったという。
2019年05月08日 織田上総介晃司
涌谷城
駐車場あり。太鼓堂(隅櫓)や模擬天守まですぐ行けます。
太鼓堂は宮城県下唯一の現存城郭遺構になります。
宮城県の城のどこかに太鼓堂とそっくりな鐘堂があります。探してみてください。
まるで金閣(太鼓堂)と銀閣(鐘堂)のようです。
2010年12月10日 さくら主膳佑にゃ〜
涌谷城
因みに涌谷城の二重櫓は、旧仙台藩領に唯一遺る貴重な現存櫓なんですよー。
2010年12月10日 さくら主膳佑にゃ〜
涌谷城
直ぐ近くの城山裏土塁遺跡で12月12日(日)10:30〜現地説明会開催。奈良〜平安前期の構築とみられる二〜三重の土塁遺構が確認され、古代小田郡家の存在した可能性が浮上との事。直接は関係無いのですが、この遺構は近世のものという可能性もあるとか…?行きてぇ〜!(>_<)ノ
2010年06月08日 のぼちゃん陸奥守
涌谷城
敷地内には天守と櫓、涌谷神社があり、伊達騒動で有名な伊達安芸の銅像があります。天守内は、資料館になっていますよ。
2010年06月07日 シャド陸前守
涌谷城
国道346号から佐沼街道を西へまっすぐ進むと橋を越える為に坂になります
その坂を上り切ったところで右折県道173号へ
川沿いは城壁のような造りになっているのでまっすぐ進むと涌谷城に辿り着きます