千石城(せんごくじょう)

千石城の基本情報

通称・別名

千石館、松山城、松山館、文覚館

所在地

宮城県大崎市松山千石字本丸(御本丸公園)

旧国名

陸前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

遠藤盛継

築城年

応永8年(1401)

主な改修者

主な城主

遠藤氏、石川昭光、古田重直、茂庭良元

廃城年

遺構

曲輪、腰曲輪、土塁、堀切

指定文化財

再建造物

説明板

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千石城の口コミ情報

2019年05月16日 ⛫武蔵の越中守の謙
千石城



二郭東側の切岸。城は松山の中心に位置する大松沢丘陵の北端に築かれた。主体は本郭~三郭で構成された連郭式山城である。12/2撮影。

2019年05月15日 ⛫武蔵の越中守の謙
千石城



本郭東下の堀切兼虎口。天文五年の大崎氏の内訌では、義直方に伊達稙宗が加勢。城主遠藤光定も稙宗に従い反義直方の拠点である古川城を攻めた。

2019年05月14日 ⛫武蔵の越中守の謙
千石城



二郭(左)、三郭間の堀切。幅10m、深さが6m。寛永絵図には深さ六間と記されているという。形状は箱薬研堀のようだ。2018.12/2撮影。

2019年05月13日 ⛫武蔵の越中守の謙
千石城



本郭、二郭間の堀切。応永八年に遠藤盛継は関東公方により志田、玉造、加美三郡の奉行に任ぜられ、松山に入部したという。

2014年02月05日 さくら主膳佑にゃ〜
千石城

折角なので城主就任記念書き込み(^-^)ノ♪
伝承では文覚上人遠藤盛遠が構築したとされるが明確ではない。
応永八年(1401)遠藤盛継が志田、玉造、加美三郡の奉行に任ぜられ松山に居住、以後天正十九年(1591)に登米に移封となるまで、遠藤氏は伊達氏最北限の家臣として鳴瀬川を挟んで対峙する大崎氏への備えに当たった。
遠藤氏が去った後は慶長三年(1598)まで石川昭光、同八年(1603)まで古内重直が居城、その後は茂庭良元が松山を所領とした。
良元は当初は松山城を修築し居住したが、手狭である事を理由に寛永八年(1631)下屋敷として上野館を造営、慶安四年(1651)隠居した後にはそれに移り住んだ。そして明暦三年(1657)後を継いだ定元が上野館に居を移すに及び、松山城には留守居一名を置くのみとなった。

2010年06月29日 のぼちゃん陸奥守
千石城

別名千石城。連郭式の山城。城跡は、コスモス園になっています。近くのふるさと歴史館に城や茂庭氏の資料が展示していて参考になりますよ。(松山出身のフランク永井の展示コーナーもありました)

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