千石城

(せんごくじょう)

通称・別名

千石館、松山城、松山館、文覚館

所在地

宮城県大崎市松山千石字本丸(御本丸公園)

城郭構造
山城
天守構造
築城主
遠藤盛継
築城年
応永8年(1401)
主な改修者
主な城主
遠藤氏、石川昭光、古田重直、茂庭良元
廃城年
遺構
曲輪、腰曲輪、土塁、堀切
指定文化財
再建物
説明板
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千石城口コミ情報

さくら主膳佑にゃ〜様[2014年02月05日]
折角なので城主就任記念書き込み(^-^)ノ♪
伝承では文覚上人遠藤盛遠が構築したとされるが明確ではない。
応永八年(1401)遠藤盛継が志田、玉造、加美三郡の奉行に任ぜられ松山に居住、以後天正十九年(1591)に登米に移封となるまで、遠藤氏は伊達氏最北限の家臣として鳴瀬川を挟んで対峙する大崎氏への備えに当たった。
遠藤氏が去った後は慶長三年(1598)まで石川昭光、同八年(1603)まで古内重直が居城、その後は茂庭良元が松山を所領とした。
良元は当初は松山城を修築し居住したが、手狭である事を理由に寛永八年(1631)下屋敷として上野館を造営、慶安四年(1651)隠居した後にはそれに移り住んだ。そして明暦三年(1657)後を継いだ定元が上野館に居を移すに及び、松山城には留守居一名を置くのみとなった。

のぼちゃん陸奥守様[2010年06月29日]
別名千石城。連郭式の山城。城跡は、コスモス園になっています。近くのふるさと歴史館に城や茂庭氏の資料が展示していて参考になりますよ。(松山出身のフランク永井の展示コーナーもありました)

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