塩野田館(しおのだだて)
塩野田館の基本情報
通称・別名
- 塩煮田館
所在地
- 宮城県石巻市須江字館
旧国名
- 陸前国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 須藤勘解由左衛門?、矢代斉三郎?
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、腰曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
石巻城(宮城県石巻市)[7.7km]
小野城(宮城県東松島市)[11.0km]
涌谷城(宮城県遠田郡)[13.0km]
千石城(宮城県大崎市)[17.4km]
彫堂七館(宮城県遠田郡)[18.7km]
横浦館(宮城県牡鹿郡)[20.4km]
寺池城(宮城県登米市)[20.5km]
花淵城(宮城県宮城郡)[23.8km]
佐沼城(宮城県登米市)[24.9km]
朝日館(宮城県本吉郡)[27.6km]
塩野田館の口コミ情報
2026年03月29日 日和山
飯野川館[塩野田館 周辺城郭]
飯野川館
所在地 石巻市相野谷字旧屋敷
別名・別称 飯野川所、飯野川屋敷、葛西・大立目氏館
分類・構造 平城
築城主 葛西俊信
築城年 寛永4年(1627)以降
主な城主 葛西氏、大立目氏
廃城年 明治元年(1868)
遺構 なし
ともに仙台藩の奉行や若年寄を務めた葛西氏、大立目氏の屋敷跡です。桃生郡相野谷村の飯野川屋敷というようです。仙台藩の支城制度では3段階目の「所」です。
奥羽仕置きで滅亡した葛西晴信の末弟胤重の孫俊信が飯野川領を拝領、曾孫の重胤が承応3年(1654)町家を整備したので、その時までには館も完成していたことでしょう。葛西氏は伊達重村治世下での騒動「安永疑獄」で6代目の清胤が失脚し、安永2年(1773)改易となりました。2年後に大立目氏が入部して明治維新まで治めました。
館(屋敷)跡は飯野川小学校になり遺構は残っていませんが、フタがされた水路があったり、周囲に土塁や切岸の残欠っぽい面影があったりで、ここに収まるものかと勝手に判断。
館跡はあまり見るべきところはありませんでしたが、飯野川町場には葛西氏の霊廟や大立目氏の墓所もあるようなので、次の機会に訪れたいと思います。
写真1 館跡の飯野川小学校
写真2 フタがされた水路と土塁跡のような学校周囲の区画
写真3 学校の南東の土塁のような盛り上がり 東端はこの辺りできまりかと
2025年03月09日 さよなら式部少輔急行津軽
塩野田館
県道191号沿いに「館生活センター」の建物を見つけることができました。石巻市街からは、工務店の手前にありました。
館生活センターの後ろには説明板(3枚目)がありましたが、昭和に旧河南町によって作成されており、読みにくくなっています。
館生活センターの後ろの舗装路を少し歩くと山道が始まります。(5枚目舗装路は住宅に向かうので左にそれて山に向かう)(6枚目真っ直ぐ上に向かう)
案内板はありませんが、道は単純なので迷うことはないと思います。
数分で鳥居が見え、八雲神社が見えてきます。
2024年03月10日 めご姫の姑
塩野田館
城跡北側の県道191号線に登城口と説明の看板があります。城跡まではほぼ直登ですが5分ほど登れます。
2021年06月02日 副将軍お城エリコ
塩野田館
県道191号線に「舘生活センター」があり、その横に説明板が建っています。そこから八雲神社への参道が有ります。
2015年01月03日 中務少輔きたろう三世
塩野田館
登城口にある公民館に車を停めさせてもらった。城址には、堀や曲輪が残る。
近くには、葛西一揆で葛西家臣がことごとく討ち死にした深谷古戦場跡がある。
石巻市内の城跡は、大森城、七尾城が見応えがあるが、どちらも多少藪漕ぎや斜面登が必要。
2013年06月24日 伊東みっつん
塩野田館
館がある山の北側に詳しい説明看板あり。
舘跡は神社になっている。









