姫松館(ひめまつだて)
姫松館の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 宮城県栗原市一迫真坂字寺東
旧国名
- 陸前国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 平安時代後期
主な改修者
- -
主な城主
- 井ノ山氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、畝状竪堀群、堀切
指定文化財
- 市史跡(姫松館跡)
再建造物
- 碑
周辺の城
-
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姫松館の解説文
姫松館の口コミ情報
2020年11月13日 源摂津守@ポンコ2①〜
姫松館
県道17号線沿いにある龍雲寺を目指し、その向かい側に「姫松館森林公園」の標識があるので、それに沿って車で進むと、西館までいけます。数台駐車可のようです。
舗装されず道幅もなく、車に傷つくとか、対向車とすれ違えないので運転に不安な方は龍安寺墓地前に駐車されたほうがいいかもしれません。
比高5〜60㍍、草刈など整備も行き届いてるので、龍安寺から歩いてない人間が言うのはおこがましいですが、それほどきつくないと思います。ビジネスシューズの革靴でも全然問題なかったですから。
なお、龍安寺前には政岡の墓の案内板があり、伊達騒動のバイプレーヤーの墓がここにあるとは意外で小説「樅の木は残った」を思い出しました。
また寺の裏山は、真坂館があったそうです。
車で西館に向かう途中でも、帯曲輪や竪堀がよくわかります。西館の東に主郭(中館)、東館、それを囲うように帯曲輪、竪堀数多くあり、二重堀切、シャープな切岸、虎口に土塁と見応えある城跡のようです。
西館から主郭付近でカサカサと動物らしき足音が聴こえたので、主郭に東館を堪能するまでとはいかずペットボトル潰す音出しながら早々に退散しましたが、少し歩いただけでも縄張りや遺構にワクワクしました。
フォトにもあげた熊出没注意の看板もありましたので、冬眠や春先で熊に遭遇しない時期に登城されるといいと思いました。
2010年06月07日 シャド陸前守
姫松館
国道4号から国道398号を西へ走り大きな交差点を右折して県道17号を道なりに橋を越えカーブが終わるとすぐ右折
入り口は2カ所あるので通過してしまっても行けます
未舗装で道幅も狭いのでご注意下さい
【遺構】
一迫川の北岸、一迫川と並行して東西にのびる比高約60mの丘陵上に位置する。東西600m、南北300mに及ぶ巨大な山城だ。大きく6つの曲輪が東西に並び、それぞれを区切る堀切、山腹に設けられた大規模な横堀や竪堀、土塁などがよく残る。竪堀と横堀を組み合わせたような設計が見事で、県内屈指の見ごたえがある城だ。
城の南側は断崖に守られているため、防御のしかけは北・東・西側に集中する。曲輪間は堀切と土塁により遮断され、北側には横堀がめぐる。とりわけ主郭と思われる曲輪付近の防御は厳重で、北側に長大な二重の横堀と大規模な竪堀が設けられている。最西の曲輪は南側にせり出し、その東側にある主郭らしき曲輪も同様に南側に大きく突き出している。
最東の曲輪は南側に向けて開き、南東側に二重の堀、南に向けた竪土塁と竪堀が設けられている。枡形虎口も、南側を向いている。
現在は、姫松館森林公園として整備されており、城の一部が破壊されているが、遊歩道があり歩きやすい。
【歴史】
築城者や築城年代は定かではない。奥州藤原氏の城で、重臣の井ノ山氏が城主を務めたと伝わる。文治6年(1190)に奥州藤原氏の旧臣・大河兼任が姫松館に籠り、落城したと伝わる。落城時、千代姫が崖から傘を手に逃亡した伝承が、城名の由来のようだ。
現存する遺構は、天正18年(1590)の大崎・葛西一揆の際、一迫狩野氏の館を大改修したものと考えられている。
一迫狩野氏は本姓狩野氏で、14世紀中頃に一迫に入部。15世紀中頃から一迫氏を名乗った。天正末期には伊達氏に近づき、奥州仕置後も伊達氏に臣従した。
【交通】
東北自動車道築館ICから車で約25分
【参考文献】
・『東北の名城を歩く 南東北編』吉川弘文館、2017年