遠野城(とおのじょう)
遠野城の基本情報
通称・別名
- 遠野館、馬籠塁
所在地
- 宮城県気仙沼市本吉町馬籠町頭
旧国名
- 陸前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 馬籠千葉氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、土橋
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
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遠野城の口コミ情報
2014年02月05日 さくら主膳佑にゃ〜
遠野城
正応二年(1289)桃生郡より千葉相模守忠広が移住、以後馬籠氏を称してこの地を支配したとされる。遠野館主としては千葉四郎左衛門、同宮内左衛門の名が伝わる。
千葉行胤の代の建武三年(延元元・1336)、赤岩城主熊谷氏と共に葛西高清と争った馬籠合戦で遠野館は戦場となり、落城はしなかったものの馬籠氏は次第に勢力を弱め、以後葛西氏の勢力下に組み込まれて行った。
2011年07月03日 慶 士郎
遠野城
【10】〈参考資料〉史料仙台領内古城館・第二巻 宮城県東北部(旧葛西領南部)P208〜P210
本吉町立図書館 101016361
背番号 M212シ2 (郷土資料)
2011年07月03日 慶 士郎
遠野城
【9】四郎兵衛は歌津城に於て「千葉」と称し、遠野城の住人も「千葉」を名乗っているのはその係累を支証すると見てよい。
2011年07月03日 慶 士郎
遠野城
【8】歌津城主の馬籠四郎兵衛はこの城と関係がある。馬籠は地名(苗字)である。
2011年07月03日 慶 士郎
遠野城
【6】「古城書上」には、千葉四郎兵衛の居城、「風土記」には、千葉宮内左衛門が住むとあり、何れも、葛西家臣千葉一統の者であろう。
2011年07月03日 慶 士郎
遠野城
【6】「仙台領古城書上」には、東西十二間、南北三十間とあり、「風土記」には、高さ八丈、東西二十二間、南北十六間と書かれている。
2011年07月03日 慶 士郎
遠野城
【5】北の窪地を経て県道側に張り出した台地も物見台として使用されたと思われ城館の大きさを感じられる。
2011年07月03日 慶 士郎
遠野城
【4】高さ30m、東西200m、南北100m程の西面に構えた断崖、空堀、土塁により堅められた、当地方では珍しい城郭。
2011年07月03日 慶 士郎
遠野城
【3】本丸から東に伸びる一段低い平場は南北100mある。細長い平場の周囲も空堀が見られる。そして、この山城の四周が断崖となる。
2011年07月03日 慶 士郎
遠野城
【2】薬師神社から見える小山の一番高所が本丸。この本丸の平場部分は直径70mの円形で深い濠によって二重に囲われている。
2011年07月03日 慶 士郎
遠野城
【1】本吉町馬籠遠野沢にある薬師神社の前に立ち、東側にある小山が遠野城址。県道に張り出した丘一帯も城郭の一部と思われる。城郭の西麓を山沢が流れ、これを遠野沢と言う。
2010年06月07日 シャド陸前守
遠野城
国道346号から県道233号に入ってすぐのところに案内看板があります
元吉 気仙沼方面から来た場合 坂道に音がする場所があります
その一歩手前になるのでわかるかと思います