薄衣城(うすぎぬじょう)

薄衣城の基本情報

通称・別名

米倉館、葛丸館、搦手館、古館

所在地

岩手県一関市川崎町薄衣字古舘

旧国名

陸中国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

千葉胤堅

築城年

建長5年(1253)

主な改修者

主な城主

薄衣千葉氏(葛西氏家臣)

廃城年

遺構

曲輪、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(薄衣城址)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

金沢城(岩手県一関市)[8.8km]
二桜城(岩手県一関市)[10.6km]
一関城(岩手県一関市)[12.7km]
上折壁城(岩手県一関市)[14.3km]
柳之御所(岩手県西磐井郡)[17.2km]
山吹城(岩手県一関市)[18.0km]
遠野城(宮城県気仙沼市)[19.9km]
衣川柵(岩手県奥州市)[20.1km]
津久毛橋城(宮城県栗原市)[21.4km]
佐沼城(宮城県登米市)[22.7km]

薄衣城の解説文



薄衣城(うすぎぬじょう)は、現在の岩手県一関市川崎町(旧川崎村)薄衣にあたる陸奥国磐井郡薄衣荘に所在した中世の日本の城。別名・葛丸城。一関市指定史跡。

概要 

北上川左岸に迫る標高78メートルの丘陵上に築かれた山城で、本曲輪は140メートル×60メートルを測る。本曲輪の西側に二の曲輪、南東側の尾根筋に三の曲輪・四の曲輪を配置し、虎口や堀切など中世山城の遺構を良好に残している[1]

城に関する確実な史料は少ないが、鎌倉時代初頭、1189年(文治5年)の奥州藤原氏滅亡以後に当地に勢力を張った葛西氏の被官・薄衣千葉氏の居館であり、初代・千葉胤堅が1253年(建長5年)に築いたと伝わる。以降、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による奥州仕置で葛西氏が没落し、千葉胤次(胤勝とも)がそれに殉じるまでの337年間、千葉氏の管轄下にあった。

城跡は、1998年(平成10年)7月1日付けで旧川崎村(現・一関市)指定史跡に指定された。

参考文献 

  • 一関市教育委員会 2018「薄衣城址」『一関の文化財-平成29年度版-(https://www.city.ichinoseki.iwate.jp/index.cfm/6,29882,73,html)』p.104

薄衣城の口コミ情報

2022年01月05日 沼田乃豆腐屋
河崎の柵(覚鱉城疑定地)[薄衣城  周辺城郭]



『河崎の柵』と『覚鱉城(かくべつじょう)疑定地』の二重遺跡
【河崎の柵】
前九年の役の直接の原因は、婚姻に発した差別意識であったが、これはとりもなおさず中央と地方との人種的偏見、政治的経済的対立による現地住民の中央への強い反発等がからみあって前後十二年間にも及ぶ長い争乱となったのである。
源頼義は頼時の亡くなったのを知り、安倍氏の勢力が衰えたものと判断して、一挙に根拠地の衣川を攻め、安倍氏を壊滅しようと兵千八百人を率い衣川に向かって進軍した。これに対し新総帥の安倍貞任は、部下の金為行の拠る川崎村門崎の河崎柵へ四千人の兵を集めた。貞任はこの兵を率い、薄衣から山を越えて、藤沢町黄海に抜け反撃に移った。この戦いが有名な黄海の戦でこの時のことを『陸奥話記』には、同年十一月、将軍兵八百余人を率いて、貞任等を討たんと慾す。貞任等精兵四千余人を率いて、金為行を以て河崎柵にゆき営と為す。黄海に拒ぎ戦う。

【覚鱉城疑定地】
今をさかのぼる1230年の昔、蝦夷侵略に全力をあげていたヤマト政権が胆沢進攻を目指す軍事基地『覚鱉城』の造営中、『伊治公呰麻呂の乱』で中断。それっきり歴史から姿を消してしまった『まぼろしの覚鱉城』
ところが平成12~16年北上川狐禅寺峡谷が南に開ける『河崎の柵疑定地』の発掘調査で『河崎柵遺構』より1~2m下層面で『八世紀後半から九世紀初頭』の遺構(竪穴式住居13戸)と遺物(和同開珎、蕨手刀など)が出土。報告書でそれを『胆沢方面への征夷の時代相を表している』と記述。
その出土遺構・遺物を『覚鱉城遺跡』だと言い切られる我が東北古代史研究の第一人者高橋富雄博士(『磐井地方日本学』専任講師)は正史『続日本紀』宝亀三年紀~同十一年紀に見られる、ヤマト政権蝦夷経営の流れに併せ考えるなら納得できるとされていた。『続日本紀』宝亀十一(780)年二月二日紀の『北からの寇道を塞ぎ、三、四月の雨水溢れるとき直進できる覚鱉城』造営の地が、当に北上川東側、詳しくは、狐禅寺峡谷を挟んでの北・胆沢に隣接する南・遠山村(東磐井・気仙)南西、ここ川崎にあってこその記述だったと云えること、その上、和同開珎・蕨刀手などの遺物出土という強力な裏づけがあってのことである。

2012年06月09日 隻眼猫大納言
薄衣城

道の駅かわさきから入口まで徒歩10分程度。そこから足場の悪い山道を約5分で到着。

2011年10月24日 足軽越中守一歩
薄衣城

道路からの登り口は、ここ一カ所?突然、広場のような本丸、二の丸などに出る。本丸端に畑があり車の跡が!裏からは車で来れるようだ。もう少し木がなければ景色が良いのだが!

薄衣城の周辺スポット情報

 河崎の柵(覚鱉城疑定地)(周辺城郭)

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