津谷館(つやだて)
津谷館の基本情報
通称・別名
- 獅子ヶ館、獅子が館
所在地
- 宮城県気仙沼市本吉町津谷舘岡
旧国名
- 陸前国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 米倉氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
遠野城(宮城県気仙沼市)[6.5km]
赤岩城(宮城県気仙沼市)[14.0km]
朝日館(宮城県本吉郡)[14.7km]
上折壁城(岩手県一関市)[16.9km]
薄衣城(岩手県一関市)[23.2km]
二日市城(岩手県陸前高田市)[24.5km]
寺池城(宮城県登米市)[24.9km]
米ヶ崎城(岩手県陸前高田市)[26.3km]
山吹城(岩手県一関市)[26.7km]
末崎城(岩手県大船渡市)[28.8km]
津谷館の口コミ情報
2025年06月21日 さよなら出羽守急行津軽
津谷館
本吉総合支所の裏(7枚目)に車を停めて徒歩で向かいました。看板(1枚目)は遠野城と同じタイプのものがありました。
舘岡山神社の看板のある道を進み、建物(6枚目)から左へ折れ曲がる道を進み(砂利道直進は神社に向かう)、竹林の中をところどころ見える石畳のある道(2枚目)を登っていきます。
砂利道に途中でかわった道をさらに進むと二の丸跡である福祉協議会が見えてきます(8枚目)。先人の方の通り伐採も行われています(4枚目)。(3枚目は伐採箇所より南)
二の丸から少し離れた所にある、忠霊塔がある所が本丸跡です。(5枚目)
2025年05月31日 日和山
津谷館
三重堀切が木の伐採で全貌を現していました。整備のための伐採ではないと思いますので、薮化が進む前にぜひ。
写真1 三重堀切全景
写真2 一重目と二重目
写真3 二重目・三重目間土塁より
写真4 竪堀
2014年04月30日 慶 士郎
津谷館
三ヶ月ぶりに城主に戻ったので津谷館の情報を‥国道346号が津谷の町中に入り津谷郵便局や気仙沼市本吉支所がある交差点を北に上る感じで‥坂道を登って行くと左手に「気仙沼市本吉老人福祉センター」という看板が出てきます。津谷館の写真ギャラリーにも看板の写真をアップしておきました。その看板を左折して坂を登った上に公園があるトコが館跡、福祉センターがあるトコが曲輪だそうですね‥室町時代の山城的な‥小さいながらも城郭を感じられますよ‥
2014年02月05日 さくら主膳佑にゃ〜
津谷館
館主として米倉左近将監持長(持村)、同右近行友らの名が伝わる。また薄衣清村が嘉暦元年(1323)津谷へ移り住み、次子持村が応安五年(文中元・1372)に獅子館に住した、最知玄蕃が晩年に米倉氏を称して移り住んだ、登米郡米谷館主米谷修理亮の親族米谷左近将監が館主である、など諸説紛々である。
何れにせよ葛西氏重臣の居館であり、この地に大きく勢力を拡大していたものであろうが、豊臣秀吉の奥州仕置による主家の滅亡と運命を共にした。
なお前述の米倉右近行友は、天正十八年(1590)の大崎葛西一揆で、蒲生氏郷の軍勢に抵抗した葛西勢の中に名前が見られる。