歓喜寺城(かんきじじょう)
歓喜寺城の基本情報
通称・別名
- (歓喜寺城・歓喜寺山城)
所在地
- 滋賀県大津市大物
旧国名
- 近江国
分類・構造
- 城郭寺院
天守構造
- -
築城主
- 木戸氏?
築城年
- 戦国時代?
主な改修者
- -
主な城主
- 木戸氏?
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
細川城(滋賀県大津市)[7.4km]
打下城(滋賀県高島市)[10.4km]
大溝城(滋賀県高島市)[11.5km]
衣川城(滋賀県大津市)[12.3km]
田中城(滋賀県高島市)[13.2km]
木浜城(滋賀県守山市)[13.7km]
沖島坊谷城(滋賀県近江八幡市)[13.7km]
朽木城(滋賀県高島市)[14.9km]
水茎岡山城(滋賀県近江八幡市)[14.9km]
静原城(京都府京都市)[16.6km]
歓喜寺城の口コミ情報
2024年06月13日 RED副将軍
木戸城[歓喜寺城 周辺城郭]
有力土豪であった佐野氏の居城と云われる城跡🏯
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代、築城主等の詳細不詳。
樹下神社の縁起に1348年に佐野豊賢が木戸城を創建、1578年に佐野秀方が再建との記録があり、木戸城は居館であり木戸山城、歓喜寺城・歓喜寺山城は詰め城であったと考えられています。
また、木戸十乗坊の城との伝承もあります。
信長公記の巻6にも記載があり、敵勢が籠る木戸・田中の両城へ直属の馬廻をもって攻撃にあたらせると程なくして降伏。落城後、信長公は両城を明智光秀に与えたとあります。
見所
JR志賀駅近辺の木戸集落と耕作地が比定地とされます。郭状の地形に高低差が城跡を偲ぶ程度であり、河原石による石垣もありますが後世のものと思われます。
2024年05月13日 上田図書頭雪娘
歓喜寺城
軽い藪漕ぎで歓喜寺城と歓喜山城を見ました。堀切は立派です。石垣もありました。志賀駅より徒歩50分で登り口に着きました。車で歓喜寺城の薬師堂まで登れます。
2024年05月08日 RED副将軍
ダンダ坊遺跡[歓喜寺城 周辺城郭]
比良山系で最大規模の城郭寺院
オススメ度 ★★★★⭐︎
創建年代は不詳。
平安時代後期から鎌倉時代に創建された天台宗系の山岳寺院と云われ、比良山系では最大規模の寺院ですが、文献史料にはほとんど見当たらず沿革は不明です。古書に「團田坊屋敷」「比叡山横川恵心院の別院にして檀陀波羅蜜多山と号す」などの記載がある程度の様です。
戦国時代に城塞化された様で、1572年の織田信長による比叡山焼き討ちと同じ頃に同様に焼き討ちにされたと伝わります。
見所
比良山系北部に位置し、最高所に本堂を置き、石垣や段差によって区画された数多く僧坊が残ります。但し、規則的な配置に並んでおらず徐々に拡張をしていったことが窺えます。
最奥部には庭園遺構があり、池跡や景石が残り、入口には枡形虎口状の空間があります。
寺院の規模は最大の様ですが、城郭寺院の遺構としては長法寺、太山寺、歓喜寺の方が上の様に感じました。
行き方は、城域下まで旧比良登山リフトへの道が付いており、東麓に駐車場もあります。比高は約50mです。
2023年10月22日 RED副将軍
歓喜寺山城[歓喜寺城 周辺城郭]
城塞化した歓喜寺城の東側背後を固める山城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1571年の朝倉・浅井連合軍と織田信長が争った元亀争乱において、織田信長に対抗するために城塞化した歓喜寺により築かれたものと考えられています。
しかし、1572年に比叡山延暦寺と同様に織田信長に焼き討ちにされ落城したと伝わります。
見所
歓喜寺城の林道を挟んで東側の南北に走る尾根上に築かれています。
ピークに主郭がある北郭群と400mほど南側に南郭群から構成されています。
南から尾根を進んで行くとT字型の南郭群に辿り着きます。ややシダ薮化していますが結構な広さがあります。
その先の尾根を進むと堀切が二条あります。南側は土橋がかかり、北側は更に深い堀切です。
その先の斜面を登っていくと主郭である北郭群です。南に虎口が開口し北側は土塁が巡り広さもあります。
主郭から西側の斜面を30mくらい降ると明瞭な堀切があります。
シンプルな縄張りですが城域は広く、物見や詰め城として築かれたと思われます。
行き方は林道がカーブする箇所から尾根に取り付き進んで行くと辿り着きます。「佛の穴」の案内板が目印です。比高は100mくらいです。
私は最短距離を目指して北側から登りましたが、結構な急斜度であり山頂付近はシダ薮になっているのでオススメできません。
写真
①②北側堀切
③④南側堀切
⑤⑥主郭(北郭群)
⑦⑧南郭群
2023年10月20日 RED副将軍
歓喜寺城
中世の城塞化した山岳寺院卍
オススメ度 ★★★★★
歓喜寺は、延暦年間(782年〜806年)に最澄によって建立された天台宗の山岳寺院と伝わります。
延暦寺の荘園であった比良荘を代表する寺院でした。
戦国期に城塞化した様ですが詳細は不明。1571年の朝倉・浅井連合軍と織田信長が争った元亀争乱において、織田信長に対抗するために城塞化したものと考えられています。
しかし、1572年に比叡山延暦寺と同様に織田信長に焼き討ちにされ落城したと伝わります。
見所
比良山系の谷間を削平し築かれています。
北から南の谷筋に7つの郭が連なり大規模な堀切で郭は遮断され城塞化されています。
主郭は北から三番目の郭と考えられ土塁囲みで石垣が多用されています。
これほど大規模な堀切が残る城郭寺院は珍しいと思います。
行き方は、林道が薬師堂(旧歓喜寺)まで付いており車で登ることができます。但し、舗装されているとはいえ道幅は狭く荒れ気味でしたので麓に駐車して歩いて登りました。軽や小型車なら問題ないと思います。薬師堂の道を挟んだ東側が城域です。
林道を挟んだ東尾根筋の歓喜寺山城も併せて登城するのをオススメします。
2021年12月29日 RED副将軍
北比良城[歓喜寺城 周辺城郭]
寺社の境内となり、周囲も宅地化により遺構は消失
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代等の詳細は不明。1582年、城主田中左衛門尉定光が織田信長を裏切ったため落城したと伝わります。この年に本能寺の変が起こりますが、やっぱりここも信長に離反する家臣の城跡だった様です。
見所
本丸跡は福田寺の境内となり、遺構は残らず。城跡の碑が立つのみです。
2020年06月20日 梅鉢近江守Silvine
ダンダ坊遺跡[歓喜寺城 周辺城郭]
ダンダ坊遺跡は比良山の山中に残る城砦化した広大な山岳寺院の遺構で、比叡山焼討ちの際に破壊されたと伝わりますが、何故か武家様式の庭園跡が遺っている謎の遺跡です。
遺構は寺坊跡、庭園のある館跡からなり、石垣や建物礎石、枡形虎口、池跡のある庭園遺構がよく残っています。
ダンダ坊へは湖西道路比良ICで降りたところを比良山方向へ上がっていくと、小さな橋を渡った先で丁字路となっています。右折するとイン谷口のバス停があり、その先に駐車場があります。戻って丁字路をそのまま直進するとすぐにダンダ坊東入口の案内が右手にあります。東入口を越え、さらに進むと比良登山管理小屋があり、その先に西入口があります。西入口から5分でダンダ坊遺跡の寺坊跡です。寺坊跡から東入口へ向かい、途中を左に曲がった先の最奥部が館跡です。
比良駅からイン谷口へはバスも出ていますが、本数が少ないので注意してください。
2020年06月09日 梅鉢近江守Silvine
歓喜寺城
歓喜寺城は延暦寺に繋がる天台系の山岳寺院が城砦化したもので、信長に焼討されたと伝わります。遺構は道なりの4段ほどの曲輪を明瞭な堀切で区切り、石垣も随所に残ります。
城へは湖西道路志賀ICを降りて旧県道556号線(国道161号線)を北へ、大物交差点で左折し、神社の前の三叉路を左へ。湖西道路をくぐり、道なりに進めば「右やくし道」と書いた看板が出てきます。荒れ気味の舗装路を終点まで行くと、右手に薬師堂が見え、道を挟んだ左側が歓喜寺城です。訪れやすい城と言えるかと思います。
2014年04月07日 sugar3776根室守
北比良城[歓喜寺城 周辺城郭]
福田寺の中に城跡の碑があり、外からはわかりません。何度か通り過ぎ17:00前に到着。突然無人の寺の鐘がなり出しビックリ❗️機械で動かしていました。